「FORTUNE ARTERIAL」パネル時計 on キャラアニ.com

コンプティークオリジナルグッズ「FORTUNE ARTERIAL」パネル時計(受注生産分)
予約期間 〜 2008年4月20日まで

コンプティークオリジナルグッズ「FORTUNE ARTERIAL」パネル時計(受注生産分)

©2007 AUGUST イラスト:べっかんこう

毎号買っているマンガ雑誌。“コミックハイ!”が、今のスタイルになってからも、その前からも、ずっと買ってるんですな。最初はなんで買ったか、まあ、ずっと買ってる“漫画アクション”に広告が出てたりしたとは思うのだが、ためしに買ったらいくつか気に留まる連載があって、平綴じになってからは、かがみふみをの連載があったりして、それで買い続けてる。

これが、そうどこの本屋でも置いてある雑誌ではないので、確実に置いてあるところということで、私はゲーマーズで買うことにしている。ふだん、そういう、アニメだゲームだという場所には出入りしないから、月に一度行くのもいいだろうなと思ってる。で、ゲーマーズで買い物すると、タダの宣伝冊子やしおりを入れてくれる。しおりは大体紙のしおりだが、「FORTUNE ARTERIAL」のプラスチックのしおりを 2枚もらっている。私は何冊もの本を並行して読むたちで、しおりはよく使うのだが、「FORTUNE ARTERIAL」のしおりは、キャラクターに思い入れはないが(どういうキャラクターかも知らないが)、そばに置いて愛用するのに見た目可愛くて、なかなかいい。画像はパネル時計だが、この子である。

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“BURRN!”の レッド・ツェッペリン コンサート・レポートを立ち読み

もう音楽雑誌を手に取ることは、あまりないが、ジミー・ペイジとロバート・プラントの表紙がいくつか並んでる。ドラムス、範馬の血を継ぐジェイソン・ボーナムで再結成のコンサートがあったという。“BURRN!”を、これも 10年ぶりくらい?に手に取って、伊藤政則 のレポートを立ち読み。再結成……どうでもいいとは思っておったが、いいコンサートらしくて安心した。ボブ・ディランが初期に取り上げたブルース「死にかけて」、『フィジカル・グラフィティ』の A面はいいよなあ。……で、今日。

「毎日jp」
http://mainichi.jp/enta/geinou/graph/200801/28_4/
「ジミー・ペイジ:「エリカ知ってる?」に「別に……」 「ツェッペリン」アルバムPRで来日」

……なんや、そりゃ。

〈「再結成ライブに女優の沢尻エリカさん(21)が、交際中のプロデューサー、高城剛さん(43)と訪れたことについて聞かれたペイジさんは、英語で「別に……」と答え、〉

……どういう記者か知らんが、あまりに恥ずかしいだろう。この記事は西村綾乃という者が書いているが、〈「天国への階段」「限りなき戦い」などロック史に残る名曲〉 普通、こういう場合は「胸いっぱいの愛を」「天国への階段」じゃないのか。珍しいヤツ。

「SANSPO.COM」
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200712/gt2007121207.html
「伝説復活!ツェッペリン、再結成ライブで16曲を熱唱」

〈「天国への階段」「胸いっぱいの愛を」など代表曲を連発〉

普通、こうだよ。

今回の来日はベスト盤『マザーシップ~レッド・ツェッペリン・ベスト』と『永遠の詩』のプロモーションだというが、2枚組のベスト盤聴くなら、ファースト・アルバムとセカンド・アルバムを聴いた方がいい。この 2枚聴いてダメだったら、そこで終わり。もっと聴きたかったら全アルバム聴くことになる。全アルバムといっても、『永遠の詩』除いて、7枚+ 2枚組 1組。


レッド・ツェッペリンの一連のアルバムがネット配信開始 on リッスンジャパン


CDは e-hon、amazon.co.jp、楽天ブックスでも販売中。

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“SPA!”の「スパマー座談会」を立ち読みした

今出てる“SPA!”( 1月15日号)、特集「[ネットで副業]稼ぐ人はココが違う!」、こういう「ネットで稼ぐ」みたいな記事って、ときどきあるけど、また今さらみたいなこと書いてるんだろうと思いながら、本屋で手に取ってみたが、特集中「スパマー座談会」というのだけは興味あって立ち読みした。スパマーといってもメールより、サイト、ブログの方の話だ。

以前は、このココログの新しい記事を書くたび、怪しげなトラックバックが来たが、最近それがほとんど来なくなって、何か変化があったなとは感じていた。だが、その変化のわけがはっきり分からなかった。その座談会によると、Yahooの検索のシステムになにか変更があって、インチキくさい促成アフィリエイトページが検索に出て来にくくなってるらしい。んで、このスパマー座談会に出るような人は、次の手口に移ってるということのようだ。それまでに怪しげな情報商材とかにひっかかった人も大勢いるんだろうね。

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古典が読めるサイト 『源氏物語』『古今和歌集』『新古今和歌集』

古典の研究」に続き、一連の古典の著作権とネットでの公開についての覚え書きのような記事。実際に日本の古典文学は、どのくらいネットで見ることが出来るのか。

『源氏物語』については、私はゆっくりゆっくり岩波文庫版を、講談社学術文庫の現代語訳を参照しながら読んでいる。私のページを始めた当時、それが、光源氏が紫上を見出すあたりで、面白くなりだしたこともあって、私のページのコンテンツの中に『源氏物語』も取り上げた。自分の参考のためだが、そこでリンクしているのが「GENJI-MONOGATARI」、高千穂大学教養部教授の渋谷栄一という方の作られているページである。同様に「古今和歌集」、「新古今和歌集」のページもあって、いつでも参照出来る。ありがたい。

上記は学術関係のページだが、明治以降で著作権の切れているものなら、いくらかは、おなじみの青空文庫で読める。例えば北原白秋なら、これだけ今読める。

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森鴎外『ヰタ・セクスアリス』を再読したりしている

乱歩の再読を話題にしたが、再読といえば、最近、ある本屋に入ったが特に買いたいものもないので、あまり厚くない新潮文庫の森鴎外『ヰタ・セクスアリス』を買った。26、7の頃、読んだ本の再読である。再読なのだが、読んだ内容を全然覚えていない。ただ印象に残ったのは、明治時代というと、幕末から明治初期の文明開化の頃、また明治末期の日露戦争の頃、夏目漱石が小説を書き始めた後の頃の、いろいろと歴史上の有名な事件や著名な人物が印象に強かったのだが、鴎外の自伝的な要素もある、この小説、時代は幕末から明治前半なのだが、派手な事件などまったく無縁で、仕えている殿様が殿様でなくなってはいるのだが、やはり江戸時代とあまり変わらないように仕えている家族やその子供たちの学生としての生活があるのだなと、それまで意識しなかった社会の空白のようなものに触れた感覚があった。

買ってきて読み始めたが、冒頭、夏目漱石が『我輩は猫である』を書き始めたことに触れていて、さっそく「我輩も猫である」とか「我輩は犬である」というのがいろいろと出てきて、いやになったと書いてあるのに笑った。

今、鴎外がオナニーしたところまで読んだ。「オナニー」とは言ってないがね。「自慰」とも「自涜」とも、つまり具体的な名称は上げてないのだが、西欧でその頃、すでに最近の性教育の原型みたいな主張があって、それを取り上げて、自分が書くとしたら、どのようなものになるか、息子が読んでもいいような内容のものということで書き始めた、この文章、書かずばなるまいと書いているのだが、結果は、そういう行為があると聞いてやってみたが、頭痛がして気分が悪くなるだけだった、こういうことは自発的にやるのでなくてはだめなのだろうと書いてある。それだけかよ! ……まあ、あるんだろうね。誰もがサルのようにオナってるってわけでもないのだ。オナニーしても夢精は経験ないという人もいるし、その逆に近いような人もいるのだろう。性的な事柄については個人差も大きいということですな。そういう淡泊な少年もラブコメマンガなんか読んで胸はときめかいしたりもするかも知れぬが、鴎外は貸本で為永春水とかの人情本を読んで、こういうのは醜男の自分には無縁な世界らしいと感じてたらしい。

その前のくだり、今の中学生あたりの歳になって寄宿制の学校に入ると、美少年でもないのに上級生に狙われたらしい。軟派と硬派、硬派というの、はつっぱって喧嘩ばかりするグループのことだろうと思いきや、ここで言う硬派は美少年を狙う連中のことだった。九州出身者は硬派が多かったという。乱歩の少年愛というのは、プラトニックなものを志向したようだが、ここでの硬派は露骨である。

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ミステリーの古典を揃えた優れた企画「日本探偵小説全集」は今、入手出来るのだろうか? on JBOOK

乱歩の短編と「日本探偵小説全集」」、で、その「日本探偵小説全集」、私は全巻買ってるんだが、今、店頭ではどうなのか。

『日本探偵小説全集 11 名作集 1』

JBOOKで検索してみると、この最終配本を含めて、三冊だけ出てくる。この 11巻は 1巻だけ、えらく遅れて刊行されたのだ。何しろ、最初の乱歩が 1984年、それからしばらくは毎月のように出てたのだが、この 11巻が出たのは 1996年 6月。古典の風格だね。私は最後に、この巻の長編『小笛事件』を読み出して、止まってる。後は読んだ。この長編、実話物みたいで、あんまり面白そうじゃないのだ。でも、まあ読みます。e-honで検索すると、在庫有り 8冊、お取り寄せ 4冊なので、手に入ることは入るのだろう。

その、ほとんど読んだ「日本探偵小説全集」、先に書いたように乱歩の巻のラインナップは素晴らしい。他に夢野久作は『ドグラ・マグラ』は現代教養文庫で読んでいたが、「氷の涯」は初めて読んだ。横溝正史は収録されている戦後の作品は大体読んでいた。後、私が、この全集を読んで出会った、この作家がいればあとは要らないという作家が坂口安吾、久生十蘭、ミステリのマニアでない私は日本人では、これらの作家、外国ではポオ、ドイル、ルブラン、チェスタートン、クリスティー、シムノンで十分満足だ。


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乱歩の短編と「日本探偵小説全集」

乱歩『人間豹』を再読」とか、最近、乱歩の話題を書いて、どんどん再読していこうかと思ってるんだけど、短編の話。最初に乱歩を読んだのは、以前書いたように新潮文庫の『江戸川乱歩傑作選』だった。

江戸川乱歩傑作選』 新潮文庫

江戸川乱歩傑作選


今、こんな表紙なんだね。私が読んだときは、やはり黒地に赤で、鎖の絵みたいなのが地味に描いてあったような……。収録作品は「二銭銅貨」「二廃人」「D坂の殺人事件」「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」「芋虫」、いづれ劣らぬ名作ぞろい。これ以上の乱歩の名作を、ということになると「パノラマ島奇談」「陰獣」というふうに、中編になってしまうか。その後は長編と同じく春陽堂文庫で大半を読んだ。1972年当時の春陽堂文庫、そこだけ時代が 20年くらい前に戻ったんじゃないかというような感じの本だった。表紙は、まあちょっとサイケというか、抽象アート、みたいな感じなんだけど、活字とか、カバーの全体が白い感じ? 本の最後の方にある文庫の目録が乱歩、あと横溝正史、高木彬光などいくつか、源氏鶏太などのあまり有名でないような作品がズラリ、後、聞いたことないような本が並んでる。そんな春陽堂文庫だけど、現在も健在なんだね。一昨年、『盲獣・十字路』を再び買った(講談社の全集の「盲獣」は一部削除された版のように思われたので、確かめるため)。

人間椅子』 春陽堂文庫

人間椅子

それらしい装丁になってるね。以前は単に「短編全集」という題名で出てたものが、こういうように作品名をタイトルにするように変わっている。

創元推理文庫で日本の作家の作品が出るなんて、1970年代の 10代の頃は思いもしなかったが、1984年、「日本探偵小説全集」という、分厚い、素晴らしい企画がスタートした。その第 1回はもちろん乱歩。この乱歩集の収録作品の選定がまた完璧だった。中編『パノラマ島奇談』『陰獣』、長編『化人幻戯』、短編は「二銭銅貨」「心理試験」あたりはもちろん、あとは「堀越捜査一課長殿」など、初期だけでなく、晩年の作品までから、幅広く収録。「目羅博士の不思議な犯罪」、戦後、乱歩自身がタイトルが長いと「目羅博士」にした、幻想的でもある奇妙な味の秀作も収録。私が読んだ春陽堂文庫は元の「目羅博士の不思議な犯罪」だった。この乱歩らしくないような題名でこそ、この乱歩の作品の中で不思議な位置を占める作品は生きる。「日本探偵小説全集」解説で中井英夫が、この作品の題名は「目羅博士の不思議な犯罪」でなくてはだめだという、まったく同感なのだ。(2007.11.15 文章修正と追記 「日本探偵小説全集」の中井英夫の解説 p.765 題を短くしたことに、〈いまでも私は「いけません。いけません。それはさかさまですよ」と“悲鳴に近い叫び声”をあげたいほどに、この旧い題に愛着を抱いている。〉というくだりが、あまりに我が意を得たりだったせいか、「日本探偵小説全集」には旧い題で収録されているように思い違いをしていたが、確かめたら、「目羅博士」だったので、文章中、そのくだりを修正した。)

分厚いとはいえ、一冊の本に収録するのは限りがある。創元推理文庫では、その後も乱歩の作品を出し続け、主要な作品は創元推理文庫で読めるらしいのが嬉しい。私も短編集を買っていて、ちょっと前に「二廃人」「夢遊病者の死」を読んだ。「人間豹」を読み終えた今、「D坂の殺人事件」を読んでいる。通俗長編の面白おかしさもいいが、やはり短編秀作は味わい深い。

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乱歩『人間豹』を再読

『人間豹』 創元推理文庫

『人間豹』 春陽堂文庫

『黒蜥蜴 江戸川乱歩全集』 9 光文社文庫(『人間豹』収録)

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この記事には、いわゆるネタばらし、ネタばれがある。


『幽霊塔』を再読したわけだけど、講談社の 1978年版全集の 10巻だったかな? 『幽霊塔』収録の巻には『人間豹』が並んで収録されているので、こちらも読んだ。これを機会に乱歩を、どんどん読み直そうかなと思ってる。『幽霊塔』再読の記事で書いたように、『人間豹』は乱歩を読み始めた最初の頃に、春陽堂文庫で読んだ一冊。13歳、中一の冬。望月三起也の『ワイルド7』を、ちょうどこの頃、テレビドラマでやってて、アクション物を午後 7時からの子供番組の枠でやるってどうよ、どうせちゃちいものだろうと思って一度も観なかったが、これをきっかけに近所の散髪屋に行くと置いてある“少年キング”、それまでは赤塚不二夫しか見なかったが、「ワイルド7」も見るようになった。「首にロープ」。で、だんだんはまっていったのだが、単行本で最初から読み始めたのは高二、16の初夏から。2話目が「バイク騎士事件」なのだが、『人間豹』読んでて良かったと思ったね。ネタが分かったから。乱歩の世界と望月アクションの世界というのも、ちょっと感触が違うけど、ああ、ああいう作品もちゃんと読んでるんだなあと思った。

その『人間豹』。乱歩は、日本で最初に本格的なミステリ作品を書いた一人で、特に初期の短編は名作なのだが、その後、大衆向け雑誌に請われて通俗的な長編を次々発表、人気を博し、太平洋戦争前夜の「エロ・グロ・ナンセンス」の時代を代表する一人となった。通俗的な長編からさらに、少年向けの怪人二十面相シリーズに移るわけだが、『人間豹』は少年物を書き始める直前の頃だったと思う。通俗的な長編で人気を博するのはいいが、本人はそんな自分に自己嫌悪を覚えて、休筆を繰り返す。『人間豹』は、二度目の休筆前の作品。その前の「蜘蛛男」とか「吸血鬼」というのは普通の人間の犯罪者だが、「人間豹」は人間と豹の、あいの子ではないかと思わせる描き方をしている。真相は不明で、そのラストが印象深い。また、クライマックスのサーカスの場面ね。最初に読んだとき印象深かった場面は他には中途、明智が人間豹に変装して敵を捕らえようとするのだが、芝浦だったかどこだったか、水道の土管がズラッと並んでるところにルンペンたちが住んでて、そこに紛れ込んでしまって、敵の策略で、人間豹が紛れ込んだと騒がれてしまう。急に変装を解くことも出来ず、ルンペンたちに追われて、あわや、明智探偵の運命やいかにというくだり。

物語の中盤は、敵は単なる獣人かと思ったら、知恵もあって、そういう敵と人間豹たち親子の敵の裏をかくトリック合戦の様相を呈するのがやはり再読しても面白い。前の長編『吸血鬼』の後で明智と結婚した文代さんが敵に狙われ(ちょうど敵のお好みの顔だったという(笑))、窮地になる。小林少年が初めて登場する。

今回再読して、面白いなというか、こういう場面があったかと思ったのは最初のカフェの場面の後、前半の主人公の神谷青年が不気味な人間豹を車で追って郊外の森の中に入っていくんだけど、茂みの中が、さわさわと揺れて、豹の目がこちらを見てるというシーンね。これはスリリング。

明智たちが浅草に敵を追って行くんだけど、結局逃げられて、浅草公園のどこかに人間豹がいるぞというので東京中大騒ぎになって、ある奥さんが公衆便所の戸を開けたら中に人間豹がいて、こっち向いたとかいう噂が流れたり、なんつうか小説中で乱歩の脳内妄想が東京中を覆ってしまった状態になるのが、なんとも快感であるなあと、あらためて感じた。

そこから結末へ向けては、ちょっと急展開というか、なぜか明智と文代さんが、まあ敵を探すという目的はあったんだが、労務者に化けて浅草をうろうろして、結局文代さんはさらわれてしまう。で、明智も捕まって、
そしたら、途中から全然登場しなくなった青年も捕まっていてという……。

神谷青年の最初の恋人であるカフェの女給は捕まって、探しに行った神谷青年も捕まる。神谷青年が壁のすきまからのぞいている前で、人間豹に殺されてしまうのだが、この殺されてしまう場面の描写というのも、今読むと不思議だね。もちろん、そんな殺害の描写を当時の小説でリアルに描くわけにもいかないわけだが、30分も、ほとんど何やってるのか分からないというね。2人目の恋人のレビューの女王は、これは敵の裏をかいて、女中になりすましてお屋敷へ奉公に出ることで行方をくらまそうとしたが……この、実は……って、くだりは恐い。スリル。で、結局殺される。そして文代さんのピンチとなる。一応、人間豹は文代さんを手ごめにしようみたいな行動を取るのだが、もちろんそんな場面を描くわけにはいかないので、文代さんは強い女なので必死に抵抗したら、人間豹はそんなに嫌うのなら殺してやると言って、熊のぬいぐるみの中に入れてしまう。ここも、何やってるのかよく分からないシーン。作中で描かれる人間豹に、とても抵抗は出来そうもないのだが、要するに、人間豹って普通に人間の女とセックスするってことは出来ないんじゃないか。どうしても噛み殺してしまう、でなくても人間に対しては殺すということしか出来ないという。書いてる乱歩としては、あまり女をどうこうするというのに興味ないんじゃないか。なんかエッチなことやりそうなんだが、でもたいしたことないという、今なら少年漫画の世界だね。しかし、そういう面白おかしく読めればいい世界の中で描かれた、荒唐無稽な獣人みたいな犯罪者……というのが、案外、変質的な犯罪者像というのをリアルに描いているのかも知れない。

1978年版全集の『人間豹』のイラストは横尾忠則。私は横尾忠則の乱歩イラストの印象が強かったので、乱歩全集は全部、横尾忠則が描いてるのかと思ったら、そうではなく、古沢岩美、永田力の三人だった。

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星新一の作品の時期

星新一のショートショートを時期別に、第一期、第二期というふうに分けて解説してあるものが、web上にないかなと思って、Google、Yahooで検索してみたが、少なくとも上位の方にはないみたいだね。星新一なら熱心なファン、マニアはいそうなものだが、目立ったページもあまりない。タイトルを五十音別に並べてあるページはあった。

いや、というのは、私は『ボッコちゃん』、『ようこそ地球さん』という初期の代表作は 14歳の頃に読んでるのだが(その頃、まだ星新一の作品は、新潮文庫には、この 2冊しか入ってなかった、この二冊を読んだ頃に『気まぐれ指数』が文庫化された)、大半のショートショートの本は 20歳くらいから今までかけて、年代順に読んできてるんだよね。今『どこかの事件』を読んでいるところなのだ。で、読んで行くうちに、自分で勝手に第一期、第二期……というように分けているのだが、それがどの程度、言えてるものなのかどうか確かめたいと思ったのだが。分けた根拠? 読んだ感じで(笑、まあそれに作者の活動状況とかも考慮して)。

こういう風に。
第一期 デビュー時期から 1967『妄想銀行』、1968『盗賊会社』あたりまで。
第二期 1968『『マイ国家』から 1974『夜のかくれんぼ』、1975『ごたごた気流』あたりまで。
第三期 『おのぞみの結末』から

後は現在読書中。

新潮文庫版『ボッコちゃん』、『ようこそ地球さん』は早川書房から出た『人造美人』『ようこそ地球さん』に『悪魔のいる天国』から選んだものを収録、後の文庫版『悪魔のいる天国』を加えて、早川書房の『人造美人』『ようこそ地球さん』『悪魔のいる天国』三冊分になる、みたいなものらしい。この『ボッコちゃん』、『ようこそ地球さん』は初期の名作である。普通だと 20くらい作品がある中で、これとこれはいい、みたいに選ぶことが出来るのだが、この二冊は、軽い作品も含めてどれも捨て難い。もちろん、作品自体が名作であるということに加えて、本を読んだときの 14歳の私の精神状態とかも作品の印象を強めているだろう。1973年の 12月頃、この作品の書かれた時代は 1950年代後半、私が生まれる直前の頃で、真鍋博のイラストのイメージも含めて、未来を描いた作品が多いのに、近過去、幼時へのノスタルジーを感じさせた。テレビが家庭に入ってきたりして、だんだん宇宙時代になってゆくような幼時だったのである。

この二冊しか新潮文庫に入っていなかったのは幸運だった。何しろ、1000編を越える作品、30年に及ぶ創作活動なのだから、この本はちょっと物足りないというような時期や、あまり初心者向けでないような本もあると思う。わりと気軽に手に取ってみたはいいが、それだけ、という人もいるのだろうね。


『ボッコちゃん』 星新一、新潮文庫

ボッコちゃん


思い出した、筒井康隆のエッセーの中で、星新一の作品の時期を三つくらいに分けたものがあったと思う。第三期にあたるものが『どんぐり民話館』の不思議な世界、というようなことを書いていたようだ。


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陽水のインタヴィユーがあったので“論座”を手に取った

図書館に行って、雑誌のコーナーを見たら、朝日新聞社の“論座”という、ふだん手に取ったりしないというか、“朝日新聞”を購読してなかった家で育った私にとっては、“世界”や“諸君”は若い頃から知ってるけど、そんな雑誌あったの?って感が強い雑誌の表紙を見たら、井上陽水のインタヴィユーが載ってたので読んだ。表紙だけパッと見ると鈴木謙介と、もう一人名前を知らない演劇関係か何かの人が陽水のインタヴィユーやってるように見えたが、別の記事だった。

そういや、「“Rolling Stone”日本版「日本のロック名盤100」は、どんなもんだろうね」のあれを見たときも、『氷の世界』あたりあってもいいのにと思ったが、まあエンケンとユーミンが載ってるのでいいか、みたいな。

“論座”のインタヴィユーの人が、過去のインタヴィユーで陽水があー言ってるこー言ってると言うのんで、陽水が、芸能人である自分に、そんな首尾一貫した発言を求められても困る、みたいなことを言ってるのが可笑しかった。陽水が芸能人であるってのはしごく当然なんだけど、1970年代中頃の、陽水ブームの頃は、既成の芸能界の歌謡曲対フォーク、ロックって図式があったから、その頃を知ってる人の中には、フォーク、ロックの歌手とか深夜放送ラジオの DJとかって、僕等の兄貴(笑)、代弁者、仲間ってイメージがまずあって、芸能人っていう認識があまりなかった人も結構いるのではないか。

私自身はというと、その陽水ブームのときに、富澤一誠が、あまり有名でない、なんとかブックスから『俺の井上陽水』という、東大中退して音楽評論家やってるナウな俺自慢のかたわら陽水について、あれこれ書いた本を読んだ。その中にファースト・アルバムの『断絶』の中の「白い船」という曲を、スポーツ新聞で自作を語る、みたいな趣旨で陽水が書いた文章があって、それが、歌謡曲の伝統的な、お涙頂戴の受ける曲に、いかにして仕上げたかみたいなことを諧謔的に書いていたのを取り上げて、、陽水の芸能人志向というか、歌謡曲の歌手みたいな存在でありたいみたいなことを指摘していた。それを読んで、その部分だけは、なんというか、ちょっと教えられた、みたいなところはある。その本は手元にないので漠然とした話、細部は事実誤認があるかもしれないが。
(2007.11.5 文章修正 「スポーツ新聞の自作を語るみたいなコーナーで陽水が語った文章があって、」 → 「 スポーツ新聞で自作を語る、みたいな趣旨で陽水が書いた文章があって、」、「諧謔的に書いていて、」 → 「諧謔的に書いていたのを取り上げて、」 )
(2007.11.5 文章追加 どの程度、指摘していたのか相当記憶があいまいだが、少なくとも「芸能人としての陽水」というと、私は真っ先にその本のその部分を思い出す。若い人なんかは、芸能人でないというより、一種の文化人みたいな認識もあるのか?)

(2007.11.5 「エンケンなんかも〜分かるね。」以下削除、文章追加 そう見当外れのことは書いてないつもりだが、文章の勢いで適当なことを書くのは自重する。この文章だけ残す(笑)。「ただ、みんな仲間だ、手をつなごうみたいなことばっか言ってるうちに情けないニューミュージックばかりになって、しっかり金だけはファンからしぼりとってるってありかたとは違うなあ、みたいなことは分かるね。」)


『氷の世界』 井上陽水

『氷の世界』

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あと、“論座”の記事では小熊英二という人が新左翼の歴史の一面を語っていた記事は、ちょっとなるほどと思った。1960年代後半の学園紛争の時代、男性連中が大局的なことをめぐって討論会とかやってるときに女子が当然のようにお茶くみ係だったり、デモのときは、おにぎり部隊だったりという、これは何かで読んだことあるが、そういう既存の保守的な集団とあまり変わりがなかったというね。んで、1970年安保が通って、大局的な連中やっぱりダメじゃんっていう挫折感の中で、ウーマンリブが出てきたり、水俣病の支援とかいろいろな団体を支援したりするっていう運動になってきて、1980年代に西欧の「緑の党」的なありかた、大局的なことをあれこれ言うんじゃなくて、まず身の回りの問題を解決しようっていう行動、でも、それだと大きく政治を動かすというところまでは行かない、って感じの解説だ。

1970年代の暴力的な作品主体のエロ劇画、当時の雰囲気を知ってる私らからすると当然みたいなのだが、美少女マンガしか知らない若い人から見ると、絵柄を別にしても疑問に思えるらしい。上記の解説を参考にすると、なるほど、当時のノリはつまりその1960年代後半の学園紛争の時代のノリで(劇画全共闘などと呼ばれた)、既成の体制にべったりの正義の味方への反発、(革命的な?)暴力肯定みたいなものがあって性の開放とかも叫ばれたが、男女関係に対する意識は、お茶くみ、おにぎり部隊のエロ・ヴァージョンってわけだな。

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甲子園の高校野球チアが定番になった頃

甲子園の高校野球チアが注目され出した頃+『おれはキャプテン』 on JBOOKが、確か 1976年の夏の“平凡パンチ”。これは 1979年の夏の週刊“プレイボーイ”。撮影者の名前を見ると、“平凡パンチ”が羽岡昭、餅原毅。この“プレイボーイ”が羽岡昭、なんのことはない、同じ人が撮影してるんだね。

20071029


なんといっても、オオッ、と見てしまうスパンコールつき、レオタード。レオタードという単語が一般に広まるのは、翌年以降の新体操、エアロビブームになってから、この記事に「レオタードの少女が」なんて文句はない。この写真の横の文章は「『ワタシィは愛の水中花』。 スタイルと鮮度は松坂慶子を楽に上回っている。」とある。これは、その頃、松坂慶子が五木寛之原作の『水中花』というドラマに出演していて、その中でキャバレーのバニーガール姿になってたんだね。松坂慶子が歌う主題歌「愛の水中花」もヒットしていた。それを踏まえてのこと。松坂慶子は、そりゃ美人なのは分かるけど、当時二十歳前の私なんかからすると大人過ぎ、って感じだった。今改めて当時の彼女の歳を考えると、ヘタすると、ほしのあきより若い? ってくらいなのだが。

それはともかく、このレオタード姿ってのは、応援に地元でバトントワリングやってるグループとかに頼んだりして、こうなったんだろうかね? バトントワリングなんかだと、パレードなんかでレオタード姿で演じるってのも普通にあるからね。そんな感じじゃないかと思うんだけど。で、応援だから目立てばいい、華やかなのがいいって、こういう風になったんじゃない? でもまあ、こういうのも、この時限りだったんじゃないの? 目立ちすぎだもん(笑)。どうだろう?

20071030


こちらは、その裏ページ。当時としては、こんなもんだ程度に、応援のスタイルというのも確立された感がある。これが 1985年頃になると、同じ週刊“プレイボーイ”でも、足振り上げる女の子の下に寝転がって撮影するカメラマンたちを写して、こいつらはひどい、みたいな正義のマスコミぶった記事になってた。

応援の女の子たちを取り上げた記事として記憶にあるのは、翌年の秋、月二回発行、「実験人形ダミー・オスカー」でおなじみの(笑)小学館“GORO”で東京六大学野球の神宮チアを取り上げたのを、モノクロページで見たことがある。慶応の女の子が、これはスカートと同じ色のアンダートランクスというかパンツをはいて、ウエストコーストのチアリーダー風でしたけど、ハイキックの瞬間を大きく、1ページ大か見開き 2ページかで掲載してましたな。早稲田は白のテニスのアンダースコートだったと思う。こういうのも、どの大学はどういうユニフォームでとか詳しい人はいるんだよね。この記事は保存してない。

“セクシーアクション”なんかでも最初期の頃は、この神宮チアを取り上げたりしてたけど、すぐ撮影出来なくなってますな。恐い応援団もいるみたいで(笑)。そして、1985年頃になると、高校野球の方も上記の週刊“プレイボーイ”の記事状態で。その後、現在に至るまで、どうなってるのかは知らない。

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ニッポン放送でやった小沢昭一、佐藤オリエらによる乱歩ドラマのこと

乱歩『幽霊塔』を再読」で触れた、「ニッポン放送で小沢昭一、佐藤オリエらによる連続ドラマ」について、もうちょっと書くと、ニッポン放送で 1972年の秋から週日の午後 9時45分、10時からの「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」の前の時間に放送された連続ドラマで、大体、一つの作品が 2週間から 3週間続くというのが多かったが、その回だけで終わる短編シリーズがあった。キャストは、小沢昭一、佐藤オリエ、他には小山田宗徳や納谷五郎など、その作品によって、キャストは違っていた。最初の『パノラマ島奇談』は小沢昭一、佐藤オリエで、小沢昭一の語りが面白かったような記憶がある。TBS系で「小沢昭一の小沢昭一的こころ」が始まったのは翌年。スポンサーはオリベッティ・タイプライター。翌年春は松本清張の『ゼロの焦点』を、夏は角川書店から出てた日本の民話シリーズの怪談話の回をやった。秋からは再び乱歩物になったが、今度は小山田宗徳が怪人二十面相として全ての作品で登場するという設定の、かなり、はっちゃけたものとなった。『陰獣』とかでも明智と二十面相が対決した。音楽は夏の怪談と二十面相は寺内タケシとブルージーンズがやってて、怪談のテーマの方に使われてたのは「楢山節考」という曲だった。

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続・乱歩『幽霊塔』を再読

乱歩『幽霊塔』を再読」のつけたし。大正時代初期が舞台だが、あまり時代を感じさせる描写はなかったね。人力車が出てきたか。それと、電話じゃなく電報。その頃はよく列車の事故があったと書かれてた。

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乱歩『幽霊塔』を再読

『緑衣の鬼 江戸川乱歩全集』 11 光文社文庫(『幽霊塔』収録)

『幽霊塔』 創元推理文庫

『幽霊塔』 春陽堂文庫


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この記事には、いわゆるネタばらし、ネタばれがある。

梅雨の終わり頃から秋にかけて、江戸川乱歩の『幽霊塔』を再読した。再読というのは、私は乱歩の作品は、13、14歳頃に新潮文庫の『江戸川乱歩傑作選』から始まって、春陽堂の文庫で 1/3くらい読んだ。『黄金仮面』、『化人幻戯』、『影男』、『十字路』、『盲獣』、『人間豹』、『一寸法師』、『地獄の道化師』といった長編、『陰獣』、『パノラマ島奇談』、『地獄風景』といった中編は、このとき読んだ。短編は大半読んだ。私は乱歩の少年物はいっさい読まなかったので、『江戸川乱歩傑作選』が初めて読んだ江戸川乱歩の本だった。乱歩の作品は絶えず、いろんなメディアに取り上げられているが、このときは、春から夏には NHKのドラマで夏木陽介主演の一風変わった明智シリーズがあり、秋からはニッポン放送で小沢昭一、佐藤オリエらによる連続ドラマがあった。そのドラマが続いている正月明けに読んだのだ。残りは 1978年から刊行された江戸川乱歩全集で読んだ。全巻揃えると、屋根裏の絵になるという、あまり私の趣味に合わない趣向の本の装丁だった。デザインは、その前の講談社の全集が、店頭で見ただけだが、あっさりして良かったように思う。

『幽霊塔』は、乱歩の長編としては変わった部類に入る。乱歩のオリジナルではなく、黒岩涙香の翻案だからだ。乱歩が少年時代、影響を受けたという黒岩涙香の翻案は先に『白髪鬼』がある。黒岩涙香は明治時代に西洋の大衆向け小説の翻訳をやった人だが、その翻訳は現在の翻訳と違い、西洋の人名、地名を漢字にあてて、日本化したという独特のもの。外国名に慣れない当時の読者向けの工夫だったらしい。

中島河太郎の解説によると、『幽霊塔』の原作者は不明なんだそうだ。いつもの乱歩らしくない小説ではあるが、最初の方で、これがあの恐ろしい事件の前触れだったとは……みたいな、思わせぶりな語りを繰り返したりするところ、また、不気味な事件が起こる前触れのような、春の生暖かくて、どんよりと曇った日の描写などは、まさに乱歩である。涙香の方の『幽霊塔』は 1974年頃に NHK FMの「朗読の時間」で聞いたような覚えがある。聞いてても、文語調で、外国人の名前の登場する物語は、大半どうなっているのか分からなかったが、でも無事物語はハッピーエンドで終わったらしいのは分かった。もしかしたら NHK総合の「日曜名作座」でもやったような気もするのだが、記憶があいまいだ。

豪商の宝が隠されているという長崎の田舎の、時計塔のある屋敷と、塔の秘密を解こうとする謎の美女をめぐる物語。まだ本格的探偵小説が生まれてない時代の波瀾万丈のストーリーは、部分部分のスリルとサスペンスを生み出す出来事に力が入れられている。途中で警察の名探偵っぽい人が登場はするが、あまり活躍しない。しかし、解決しそうにない事件は、解決するべくして解決する。見事にハッピーエンドになってしまう。謎の美女が、本当にクールな謎の美女で、一方、主人公が嫌っている、幼い頃からいいなずけにされている親戚の女が、嫌な女で、主人公が本当に心底嫌っているという描写(この小説は一人称の語りだ)が笑ってしまう。怪しいヤツは、いかにも怪しい。

最初に読んだとき、印象に残ってるのは、屋敷の中にいきなり虎が出てくる場面だが、やっぱり、この場面は面白い。首のない死体もだが、列車事故が起こるところなんかも驚くね。蜘蛛屋敷は、半分がた日本家屋だというのが面白い。涙香では神秘な術のようにされていたらしい変身術は、整形手術とは違うとマッドサイエンティスト風な登場人物が語っているが、やっぱり整形手術だろう。超整形手術とでも言うか。クライマックス、時計塔の中に彼女を追って入るシーンは閉所恐怖的な恐さがある。なにせ、内部の最初の部分に入って、12時間動けないのだ(オシッコは?)。思い出したが、ここで激しい雷雨があるなんてのも迫力だった。大正初期が舞台の長編だ。

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甲子園の高校野球チアが注目され出した頃+『おれはキャプテン』 on JBOOK

1980年代初め、新体操ブーム、エアロビクスブーム、かたや『アクション写真術』ベストセラーとかあって、“セクシーアクション”発刊、はては“投稿写真”へとつながる流れ。新体操、エアロビクスだけじゃないでしょ。こういうラインもあるねというのが、高校野球チアリーダーだ。その頃日本ではチアガールと呼ばれることの方が多かったが(「GOGO! チアガール」というドラマもあった)、「チアガール」にはスラングで良くない意味があるらしい(Wikipediaにも、ちゃんと書いてるね)。

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“平凡パンチ”……と言っても分からなかったりして。1960年代から 1970年代の若者文化を象徴するような雑誌。この雑誌が受けて、続いて集英社から週刊“プレイボーイ”が出た。1976年の八月終わり頃の号、後ろの方のグラビア(ひょっとすると 1977年という可能性もある)。甲子園のチアリーダーなんだが、上はテンガロンハットにTシャツ、ブルマーに、簡易なビニール製スカートくっつけてるだけという素朴さ。テンガロンハットもビニール製みたいだ。

20071020


これは同じ記事の 3ページ目。トレーナーにテニスのスカート、アンスコ。こちらも素朴。左下に申し訳に応援団の男子が。甲子園チアって、いつ頃からいた? 研究してる人はいるのだろうか? 『巨人の星』の頃にはいなかったんじゃないかと思うのだが。テレビアニメの方、オープニングで出てくるの応援団だけだもんね。この記事の取り上げ方なんか見ても、この頃が注目され始めた最初の頃じゃないかと思うのだが、どうだろうか? 演じる方も、撮る方も初々しいような頃?

テニスのスカートにアンダースコートをチアリーディングに使ったってのは日本独自じゃない? UCLAのチアなんかの正式な?チアリーディングはスカートと同色のアンダースコートを着用するらしい。その頃、講談社から出ていたスポーツのコーチ本シリーズでチアリーディングがあって、それに書いてた。あれは一見ブルマーと同じじゃないかと思うが、その本では「アンダートランクス」と書いてあった(チアガールに良くない意味があるというのも、この本に書いていたような……)。

テニスのスカートにアンダースコートチラチラもいいが、それより私はブルマーがいいね。高校野球はブルマーで応援、いや、出場校の生徒は応援時に制服着用ってことになってれば良かったのに。当然、女子はブルマーで、それに、上の写真に近いような、自分たちで工夫した衣装をつけることのみ許可ってことにすれば良かったのに。教育の一貫として、学園祭、体育祭と同じノリね。金もかからんでよろしい。

甲子園といえば、現在、(前代未聞の)夏の大会真最中なのが、『おれはキャプテン』、くたばれ体育会、だ。

『おれはキャプテン』 13

コージィ城倉、チアリーダーには興味があっても野球に興味のない私が毎月“マガジンSPECIAL”で面白く読んでるマンガだ。


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古典の研究

美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな」。めったにつかないというか、このときで、まだ 2回目か。コメントがついてますけどね。「通りすがり」という方は、私がニフティに加入してパソコン通信を始めた頃にも名前をお見かけしたから、よっぽどネット生活の長い方なのだ。

少なくとも、古典の研究を全世界で続けてる方々がいる、日本にもいるから、私なんかでも、例えば注や現代語訳を便りに、小学館の古典文学全集とか岩波文庫とかで、活字になった日本の古典をなんとか読むことが出来るんです。古典絵画や彫刻は見ただけで分かる? 研究者の言うことを一から十まで頭に入れて、それで観賞してますって言うのは論外だが、まずは自分で味わい、感じてみるにしても、研究者の解説が観賞と理解を深めてくれることは言うまでもない。もちろん、そういう翻訳作業みたいなことや解説というのは、古典研究の学問の成果が素人に分かる形で表れるというごく限られた場面である。自分にとって何をやってるのか分からないから、どうでもいいような仕事だろうというのは、文化というものを軽んじているのではないかなあと思える。

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“GANG”と“セクシーアクション”

そんなわけでミス日本の「桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた」新体操ブームとかエアロビクス・ブームみたいな時代になって、一方で馬場憲治『アクション・カメラ術 』がベストセラー、そんで、こりゃ売れるってんで、エロ雑誌のヴァリエーションとして、“セクシーアクション”が登場した、という流れだと思う。

それ以前からサン出版には“GANG”ってエロ雑誌があって、“セクシーアクション”は最初この雑誌の増刊で出たってことでいいようだ。1981年夏。

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これがその“GANG”、うちに一冊だけ、ちゃんとした形で現存するもの。1982年の 4月号だから、ちょっと時期は遅い。ヌード、セーラー服、レオタードとか。まあそこそこの水準。絡みものはない。アクション写真ぽいのもある。25歳の男の1年間の芸能人オナニーネタ日記とか。蛭子先生の不条理エロ?マンガとか、劇画時代だけど、かなり絵が洗練されてきた中島史雄の短編「アコのあこがれ」とか、杉森昌武の毒のあるパロディ記事とか、南伸坊は、もうこの頃はかなりマイナー有名人になってたと思う。カラー1ページで、中学生女子のオナニーの悩みに答える絵と文章の遊び記事を南伸坊が作ってる。エロ雑誌関係でいうと、当時は白夜書房が、エロ・サブカルチャーぽいノリで、マイナーな中のメジャーみたいな存在だったが、サン出版はまた、白夜書房とは一味違った風だったような。中島史雄といえば、今は私はページを作っているほどの読者だが、当時はエロ劇画はほとんど読まず、まったく知らなかったのだ。この作品も、当時は関心がなく、久保書店から 2000年に出た再録作品集『少女狩り』に収録されてるのを読んで、その後で、この雑誌に載ってたのに気づいたんだと思う。


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こちらは、1981年夏の“GANG”裏表紙の“セクシーアクション”の広告。宣伝文句「ギャングの次にヤラシイ!」ってのが笑える。いかにもの写真でありますが、当時は、こういう写真でオオッ、よく見つけて撮影したなあと感心したものでした。二十歳過ぎてたけど、“漫画アクション”連載「昭和の中坊」の連中と大差ないという……。この号の“GANG”も、確かブルマー特集だったんだよね。で、読者の手記で年配の人の投稿があって、若い頃は周囲がちょうちんブルマーだったので、最近の露出度の高いブルマーより、ちょうちんブルマーの方が昂奮すると書いてあって(確か嫁さんに着せてるとかじゃなかった?)、そういうもんかと、性の深遠さに思いを至らされたものだった(笑)。

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新体操ブームと馬場憲治『アクション・カメラ術 PART 2』の頃

桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた」、1980年頃から新体操がブームになって、レオタードという呼称が一般的に認知され、エアロビクス・ブームでもあって……と、あの頃のことに思いを馳せると、同時にその時代は、エロいこと大好きな野郎たちにとっては、アクション写真ブームの台頭という時代であったなあと、しみじみと思うわけです。

そもそもが「アクション写真」とかいう呼称が、まあ、そういうパンチラとか着替え覗きとかテニスのアンダースコートが見えてるところとかブルマーとか、そういうものを目当てとした写真である、というニュアンスを持つようになったのは、この本からでしょうね。ワニブックス『アクション・カメラ術』馬場憲治。これはベストセラーになった。こんなページがあったよ。「ゲンダイネット」「【あの人は今こうしている】アクション・カメラ術がバカ売れした馬場憲治」この記事読んで思い出したけど、この人、石川さゆりと結婚してたんだね。

んで、日頃、ブルマーだ、レオタードだ、女子体操の誰々がどうとか、このブログで言ってる私にとって重要なのは 1981年 5月 5日刊行『アクション・カメラ術 PART 2』の方ね。

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この本でも、表紙を見て分かるように、半分以上は、海辺の水着や街中のスカートからパンチラがターゲットなんだけど、同時に 2章、3章でセーラー服、ブルマー、女子体操、テニスといった被写体が取り上げられた。

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これは、2章にあたる部分の扉的 2ページ。そりゃ、中学高校時代と、身近にブルマー着用女子がいた私ですが、こんなに鮮明に、まじまじと、誰にもとがめられずにブルマー姿の女子を、思うまま眺められるなんて、初めてでしたからね。そりゃインパクトあった。でも、後になって考えてみると、こういうのって、あれですな、そりゃまあ、「こういう本用の写真なんだな」というのが、だんだんと分かってきましたが。それでも構わないようなきれいな写真ではある。ブルマーが数ページ分、あとレオタードとか、ジョギングパンツ、テニスのスコート姿などいくつか。写真のページが左右 2ページに、次に文章ページが 2ページ。だから、案外に文章の多い本でもある。文章では、こういう写真をどういう風に撮影するかとか、まあいろいろと書いてある。今、見返して笑えるのは、後半の方で、ギターのケースに仕掛けるとかのスカート覗き用カメラの仕掛けを、図解してあるページがあること。当時でも、もし実際にそういうこと実行して現場抑えられたら、もちろん犯罪。今なら、もっと大騒ぎである。でもまあ、こういう本のネタとしてあった時代。最近でも、携帯電話のカメラのシャッター音を消す方法とかあるね。

今思うのは、こういう本が企画で出て来るってことは、ポッと出で来たというのじゃなくて、アンダーグラウンドでは、これより先に、そういう写真を撮って、密かに楽しんだり、写真を見せあったりしてる好事家はいたんだろうし、エロ雑誌などでは、これに先んじたものがあったかも知れないなあ。

永井豪の『ハレンチ学園』やガソリンの「オーモーレツ」の ミニスカートがめくれる CMが話題になったのが、1960年代末。その時代がどういう時代かというと、下着がズロースと呼ばれる、でかいものから短いものになって、それをミニスカートでぎりぎりに隠すという、そういうファッションが確立された時代だと思う。同時に、ショーツ型のブルマーも普及した。「アタック No.1」や「サインはV」に見られるように。

これは大学の卒論らしいが、「パンツの歴史」。「これまでの大きなパンツでは、パンツの下端が日常的に露出してしまうという理由から、股ぐりを深くした小さなパンティの需要が増大したのである。」なるほどね。

で、そういうパンティを見て、子供たちはすぐに、スカートめくりを実行したけど、これは『ハレンチ学園』の影響……でいいのか? 一方で、野郎たちの、そういうものに対してアンダーグラウンドでのアプローチが、1970年頃から 1980年頃までにあって、それが 1980年になって『アクション・カメラ術』で表に出てしまったということだろう。私のページにも書いてるけどさ、こういう本が出て、「なんだ、ブルマーやレオタードをエッチな目で見ている男って、けっこういるんだなあということが初めて分かった」、おお、同志よ、感激だ、We are not alone フェチとの遭遇、なんていう当時の私のような男も多かったと思うし、そっからワニの本の会社は、そのものの「アクションカメラ」って雑誌を出したりしたし、サン出版の“セクシーアクション”、そして“投稿写真”という流れが起こってくる。同時に、そういう本や雑誌がいったん出た以上、そりゃ、あなた、中学生高校生の手に入ったら、学校で回し読み、女子の知るところとなると、今まで漠然と恥ずかしかったブルマー姿が、具体的に男のスケベ目線というのが、雑誌で解説されてるようなわけだから、当然、ブルマーへの拒否的傾向ってのは高まっていったんだろうなあと推測される。

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桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた

“スポーツアイ”が創刊される前にあった、似たような雑誌のこととか」で書いた、なんだか新体操が注目されるようになったなあと私が感じた最初の頃が、その名前不明の雑誌の太田倫代、山崎浩子のグラビアに続いて、その秋、郵便局で見つけた、これ。

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これは、クリアファイルに入れて保存してある。このシンプルな無地のレオタード、なんか、NHK朝のテレビ小説とか、ああいう感じの真面目で明るい表情、それほど新体操選手としてシェイプアップしてなさげなボディーが。それはいいんだけど、なんでいきなり新体操なんだって感じはしたな。そもそも、この右下にある名前の「桑原順子」って誰? って、ずっと思ってたんだよね。27年間。アイドル歌手か女優として売り出そうとして、何かの事情でそのままになっちゃった、みたいな人かな? とか。

20071008


んで、今この記事書くついでに、Googleで検索してみたら、なんと 第12回目、 1980年度のミス日本だというじゃありませんかい。参考「スポニチのミス日本のページ」。27年ぶりに疑問が氷解したという、インターネットの知の営為(笑)。ミス日本、山本冨士子がそうだってのは聞いたことあるように思うが、それが 1950年で、1968年に復活して今まで続いてるんだってのも、このページで初めて知った。それはいいけど、良く見たら、12回目も 翌年13回目も桑原順子なんだね?

こういうので、なんでいきなり新体操なんだってのは、まあ、あれですな、いきなり水着ってのはどうかっていうような媒体でも、同じ水着に近いような格好でも新体操なら、スポーツの演技中ってカッコウがつくからねえ。それが歓迎されたってのはあると思う。


こっちはおなじみ、1982年の東映戦隊物「ゴーグルファイブ」、おなじみの大川めぐみ=桃園ミキ、ゴーグルピンク、オープニングテーマのところだね。『スーパーギャルズメイト37』宇宙船文庫、朝日ソノラマ 1985年頃に出た本の p.51 いかにも新体操ブームって感じでしょ。

20071009


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“スポーツアイ”が創刊される前にあった、似たような雑誌のこととか

“スポーツアイ”は 1980年代の中頃創刊で、2003年頃まで出てた。思えば雑誌が出てた時期は“投稿写真”と、その後継雑誌“Top Speed”と重なってるのだよね。


“スポーツアイ”よりは“ナンバー”の創刊は早かったよね? “ナンバー”が出たときは、こういうスポーツ・ジャーナリズム? そんなの売れるのかと思ったが、今まで続いている。 “ナンバー”がスポーツ・ジャーナリズム、写真にしろ、文章にしろ、一流出版社でインテリが作ってます、というような誌面なのに対して、“スポーツアイ”はレディコミ出すような、聞いたことない会社が作ってて、ミーハー向けというか、読者目線というか、雑誌が取材してるような、高校、大学のスポーツ部員向けというか、そういう内容だった。“セクシーアクション”の情報ページに“スポーツアイ”を紹介する記事が載ったことがあって、“セクシーアクション”を限りなく上品にして行けば“スポーツアイ”になるというようなことが書いてて、笑ったことがある。

“スポーツアイ”が創刊される前に似たような雑誌があったのを覚えている。雑誌名も思い出せないんだけど、日本がモスクワオリンピック不参加を決めたっつう、今から思うと信じられないような 1980年の夏、買って読んだのは覚えている。出版社もメジャーな、一目見て覚えられるような会社じゃなかったと思うが、“スポーツアイ”と違って、読み物ページのようなものがあったと思う。記憶違いでなければ、赤塚不二夫がエッセーみたいなものを書いていた。

その雑誌で一番印象に残ったのは、山崎浩子とその先輩の太田倫代の演技が真ん中の方に、見開きで載っていたこと。新体操という競技があるのは知ってたけど、一流の選手が演技している写真てのは初めてだった。もちろん、山崎浩子の名前を見たのも。その頃から新体操がやたらとマスコミにクローズアップされるようになって、広告宣伝などでも新体操を演じるのが流行った。今から思うと、1984年のロス五輪で新体操が正式競技に採用されたこともあり、山崎浩子などのスター性のある選手もいて、新体操をもりあげようってことで広告代理店とかが動いてたんじゃないかなーとか思うのだが、どうだろうか? とにかく、例えばテレビ情報誌などでも新体操の中継が記事になって、山崎浩子に続く選手は誰だ、みたいな感じで東京女子体育大学の選手たちなどが紹介されたりしていた。一方ではエアロビクス・ブームというのも同時にあって、それまで大半の人は名前を知らなかったと思う、あの水着みたいなのは「レオタード」と呼ぶんだということも知れ渡った。

その名前不明の雑誌の山崎浩子と太田倫代の、でかいグラビアを見て、おおっと思って、このブログに女子体操選手の模写の絵を描いたりしている私だから、そのページを保存してあるのかと思えば、そうではないんだよね。最初は「おおっ」と思ったのだが、どうも見ていると、あの新体操とか、シンクロナイズド・スイミングとか、スポーツに舞踊的な要素が高くなるに連れて、髪の毛ひっつめてだんごにして、体の露出度は高いのに、なんか男目線を拒絶してるようなところがないですかね。応援席の、お姉様がんばれ的な応援とか、少女漫画っぽい似顔絵イラスト描いたりするような女性ファンのノリとかね。あと、演技中の笑顔がなんか好きでない。あれは、本来笑顔を作るような状況でない、筋肉に力が入って、神経集中してるときに無理して作ってるのではないか。そういう不自然さが感じられて、どうしてもなじめない。女子体操のフィニッシュが決まって、ポーズして笑顔がこぼれるのなんかは、実に自然なんだがね。加えて、その不自然笑顔で、団体の競技者が一糸乱れず、同じ動作で並んで入退場してるのなんかがねえ、どうもなあ……ああいうの受け入れられないのだ、私は(それに加えて、スター選手もいなくなった近年の異様な濃い化粧とか、スカート付きレオタードとか……ブツブツ)。

有名人になって「クイズダービー」なんかにも出てた山崎浩子、あれはまだ 1980年代だったか、「元気が出るテレビ」で山崎浩子が演技してるそばで、リカちゃんのフィギュア持ってる宅八郎が、なんかうろうろしてるって企画があったよね、あれは、たまたま見たけど、笑った。

日曜の夜の、たけしのトーク番組だったと思うが、山崎浩子が出て選手時代のことを語っていて、とにかくコーチにボロクソに言われるという。そして、練習で心身ともにヘトヘトになったときに、コーチが、私はお前のことを本当に思っていて、だからあんなに言うんだよと、優しく語るんだそうだ。SMぽい支配の仕方というか、なんかの洗脳みたいというか、そんな風だよね。そのうち、山崎浩子は、高い壷を売りつけたりする宗教の方に行ったりしたようなので、さもありなんと思ったものだった。

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美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな

かねがね疑問、古典名画と古典文学の著作権」というのを書いたですけどな、いつ頃? 4月か。そのときは、とりあえず、本来著作権的には制限のないもののはずなんだけど、そのままの形では接することが出来ないで、間で人の手がかかってて、私なんかが接することが出来るようになるものってんで、古典名画と古典文学を取り上げたんだけど、人の手といっても、美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな。名画を複写するってのは、そりゃ誰でも出来るものじゃなくて、カメラマンのプロの技術が必要だけど、だとしても、習得してしまえば機械的に処理出来る技術のレヴェルだよな。それに対して古典の注釈ってのは学問であって。

そう考えると、名画集の編集作業というのは置いといて、単に一枚一枚の絵が複写されてるってことは、そうたいしたことではないか……。

で、これだけでは何なので、あれから探してみた名画の複製が見られたりする webのページをいくつか。

名画ドットネット
ショアウッドジャパン,ギャラリー・ショアウッド
世界の名画(“北陸新聞”のページ)
サルヴァスタイル美術館〜西洋絵画と主題解説〜

浮世絵サロン
浮世絵ギャラリー
WEB浮世絵

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“Rolling Stone”日本版「日本のロック名盤100」は、どんなもんだろうね

変態ぴったりフェチ(または、ぴっちりフェチ)娘(ただし美少女)が表紙の、“Rolling Stone”日本版、9月号が、ずっと前紹介した、その頃は「東京(仮)」という名前だったのが「ユニバーサル」という名前になってて、現在は「幻のサーカス」という名前になっているブログ http://www.jarchive.org/blog/ の「ローリングストーン日本版 2007年9月号」で紹介されている。「日本のロック名盤100」という記事とかあって、つっこみどころ満載と書かれているので、どんな記事だろうと立ち読みしてきた。

その前に、“Rolling Stone”という雑誌が存在してるのは知ってますが、その日本版って、どうだったかね。ずっと前にあったように思うのだが……今回見たら、聞いたことないような会社が出してるけど、ずっと出てたものなのか、途切れて、また新たに出たものなのか……調べれば分かるんだろうけど、最近、音楽雑誌などは本屋で手に取ることもないので(以前は“ミュージックマガジン”くらいは手に取ってた)、まあどっちでもいい。にしても、雑誌の雰囲気、今「やっぱりロックだぜえ」みたいなノリが、若者に対して有効なんだろうかね。後、インクは何を使ってどうとかいうエコロジーは、今どきだなあって感じか。


「日本のロック名盤100」というのは、日本のシーンは“Rolling Stone”以前だということで、それではいけないと、編集部が内容に責任を持つ「名盤」記事なんだそうだ、結構なことです。私に分かるのは、1970年代から 80年代初頭までで、その期間に選ばれてるものについては大体文句ない。きちんと選んでるなと思うし、時が経てば、時代を代表するものというのも、これだけ純化してくるんだなという感慨もある。後で落ち着いて考えると、70年代後半では日本のロックでダウン・タウン・ブギウギ・バンド一切なしか、アルバムでこれはという代表作がないからかなあとか、私としては 1980年代初頭ならヒカシューは入れたいとかあるが、大体はいい。ユーミンの『ひこうき雲』をいれているところとかいいと思う。

1970年代当時10代の若者だった私から見ると、あまりに選ばれてるものが純化されすぎてて、70年代って、これだけで済むものか?という印象はある。同じ名盤として認識するんでもさ、当時音楽といえばラジオを通して聞く、歌謡曲からジャズ、クラシックまで、雑多な諸々の中から、これがロックだというものを選んで聞いて、自分の中で名盤となって行くのと、最初から、お客様、こちらに用意してございますってあるのとでは、かなり違う。76年頃っていうと、ニューミュージック全盛で、それは聞いてて情けないものが多かった。“週刊明星”か何かで、ユーミンに続くニューミュージックのスターを探せとかなんとか、まあそんな風な、監修・富澤一誠みたいな(笑)記事があって、その中で、わずかに紫とか四人囃子とか紹介されてるという、そんな感じか……。ラジオで言うと、TBS深夜「パック・イン・ミュージック」水曜、林美雄が頼り、みたいな。泉谷しげるだって、最初から『'80のバラッド』があったわけじゃない。そこに至る道が、72年頃のフォークの人気者として登場したときから、あるわけで。そういう諸々というのは、まあ当然だが、伝わらない。

私が、そこそこロックを聴き出して、自分のこづかいで LPが買えるようになった頃、ロックの名盤廉価盤シリーズみたいなのが初めて登場した。ほどなく、講談社から『ロック&ロック200』とかいうペーパーバックのカタログ本が出たりして(ジャズ版もあった)、そういうのを見るのも面白いんだけど、やっぱり、そういう名盤シリーズとか、カタログ本みたいなの頼りに聴いていくってのは違うと思うな。なんつうか、全然ロックじゃねえ(笑)。
これだよって出会いがないとね……って、今そういう出会いがあるのかどうか分からない。そもそも、この時代に、どんどん売るための CD作って雑誌とかで宣伝して若者に金使わせるっていう、そういうビジネスモデルって、まだ有効なのかねえ?

まあ、私が直接、そういう若者に何か言うなんて機会はないのだけど、ロックといや、ジジイに対して反抗してりゃいいと思ってたものが、いつのまにか若者の皆さんが後にズラッといて、その若者の皆さんに対して言う言葉は……「おめえらにこれが分かるわけねえ、聴くな」か?(笑) ……まあ、ロックンロールというか、アニマルズやヤードバーズなんかのイギリスの 1960年代前半のバンドが 1950年代のロックンロールをカヴァーする、みたいなノリね、本当にこれがロックの基本だな、みたいな、ああいうんだと年齢にこだわらず、一緒にやれそうな気はする、聴くんじゃなくてプレイだが。


ちなみに、この記事の 1970年代のアルバムだって、半分ほどしか聞いてないよ、私は。フラワートラベリンバンドなんて、リアルタイムで活動している小学校 5、6年の時から名前は知ってるけど、ちゃんと聴いたことないよ。後、20パーセントくらい財布と時間に余裕があれば聴くけど、みたいなのがいくつもある。そういうもんだろ。


80年代ではサザンの『人気者で行こう』を選んでるところなんかも分かってるって気はする。この後、2枚組の渾身の大作『KAMAKURA』が登場するのだ。原由子が歌う「鎌倉物語」という曲もある。

なわけで、引き続き『鎌倉ものがたり』

鎌倉ものがたり 20


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