感想集 活字本 2016.11

『江戸しぐさの終焉』 原田実(星海社、星海社新書 2016.2.25)

前著『江戸しぐさの正体』で広く明らかにされた、奇態なニセ伝統「江戸しぐさ」、教育の現場へと広まってゆこうとする、ゆゆしき事態であるため、読後もさらに「江戸しぐさ」の動向についての関心を維持してゆくことが必要と思われた。そしてここに著者自身によって、新たに「江戸しぐさ」をめぐる報告がなされた。その内容は前著で言及された江戸しぐさの提唱者、拡散者らについてのさらなる詳細であり、江戸しぐさが学校教育の教材へ採り上げられて行こうとしている経緯についての報告である。また私のような一般読者にも知られるようになったニセ伝統「江戸しぐさ」の存在を知らしめた前著に対するマスコミ、ジャーナリズムの反応、専門の歴史学者や教育関係者は何をしていたのかということになるが、その専門家たちのコメントなど、『江戸しぐさの終焉』のその後について関心を持った読者が知りたいことがあれこれと書かれている。


『ベスト珍書』ハマザキカク(中央公論新社、中公新書ラクレ 2014..9.11)

書名は当然「ベスト新書」のもじりなのだろう。本屋でちょっと手に取ってみて、暇つぶしにちょうどいい本だなと思ったが、後半を見ると『納棺・遺体処置実務』(総合ユニコム)の項目だったと思うが、結構グロい話が書かれているので、それには注意する必要があるとツイートした。買ってちゃんと読んでみて分かったのだが、グロい本は最初の方から載っているのだ。もちろん、ことさらにそういう本を取り上げているのではない。そのあたり、「珍書」とは何かという話につながってゆくと思う。「珍書」といって連想するのは昨今では「トンデモ本」という呼称だろう。著者自身、「まえがき」でト学会が扱うような本とは「珍書」は〈若干ニュアンスが異なると感じている。〉と述べている。私自身、「トンデモ本」の数々についてはよく知らないが、対して「珍書」とか「珍本」という言い方は別に新たな呼称ではなく、普通に昔から言われていたはずだ。この本に取り上げられている「珍書」は前述のようなグロテスクな内容のものにしろ、または動物のウンコの図鑑といったものにしろ、またはダムカードなどという知る人ぞ知るようなものだったアイテムについてであれ、あくまでその本の製作者は真面目な目的で、あくまに真面目に本を作っているのだ。しかし、その内容からどうしようもなく珍なものになってしまったのであり、それを取りあげる著者、読む私はどうしようもなく面白がらされながらも愛情をもって取り上げ、解説を読むのである。

この本を面白く読むような人は、ある程度本好きであり、同時に面白いものを見つけるが好きだと思うので、この本に挙げられてるような珍本を自分でも見つけてみたいと思うかもしれない。コラムでは新刊情報の探し方が書かれている。私など、ある程度本好きではあるが、今まで雑誌新聞広告、本屋の店頭以外に特に新刊情報を求めてゆくということは意識してなかったのだが、この本を読んだら、こういう珍本も含めてもっと新刊情報をチェックしてみたい気になっている。そのために役に立つコラムである。


『マンボウ家の思い出旅行』北杜夫(実業之日本社 2010.1.25)

新刊で買って一読して、その頃あった自分のページに感想を書こうと思って、再読していて途中でずっと読むのが止まっていたら、その間に高齢であった著者本人が亡くなってしまった。2011年。実業之日本社からは 1980年代の中頃からだったと思うが、最初はその頃出ていた雑誌 “週刊小説”に、そして途中から雑誌が “ジェイ・ノベル”と代わったが、連載されていたエッセーがずっと本になって出ている。そのシリーズで本書が生前に刊行された最後のエッセー集となった。

老境となって腰痛などもあった著者のエッセーはそれまでのエッセーで何度も書かれた思い出話に、娘たちに無理やりっぽく連れ出された旅の記録がはさまるというスタイルで、この本でも基本的には同じである。しかし、その何度も書かれている過去の思い出話であるが、ひさしぶりに読んでみたら、この本の前半部分の文章が、一つ一つのエッセーがとても良く感じられた。文章とか全体のまとまりとかそういうことであるが、愛読者でない初めて北杜夫の文章を読む読者に勧められるものであると感じた。

娘たちにあちこち連れ出されるのは毎度のことなのだが、この腰痛があって車椅子を使っている著者が無理やりに連れ出されるありさまについて著者は常にその苦痛をドクトル的に淡々と述べている。この本でもある旅行から帰ってきたと思ったら、すぐつぎの旅行に出かけたりすることもあり、私はいささか旅行に対しての強迫的な思いがあるのではないかと感じる。エッセー中に書かれているが、子供の頃、一緒に旅行に連れてゆくことがなかったのが旅行に行きたがる要因となっているらしく、当時のエッセーを読んでいれば子供の頃、一緒に旅行に連れて行かれてないことは分かるので、それについてはなるほどと思った。

旅行といえば、ハワイへの旅行に江戸川乱歩の『吸血鬼』を持っていったが、文章も乱れていてあまり面白くなかったという旨のことを書いている。北杜夫といえば、怪人二十面相など乱歩経験の思い出を何度もエッセーに書いており、それどころか乱歩のパロディも含めて稚気に満ちたミステリー的小説も書いているので、当然ひさしぶりに読む『吸血鬼』を面白く読むと思ったら意外な感想なので、著者の老齢がそう感じさせたのかとも思えた。

ふだん書くことのない、女性たちとの交渉についてまとめて書いている回がある。マンボウ航海で、その後は記憶にないというように韜晦されて書いてあるくだりが、実際は性交渉を行っていたというようなことも書かれている。こういうことはあとで研究者があれこれ書くより、作家自身が書いておくほうが良いかもしれない。

最後の方での3回に渡って書かれている入院は大腿骨骨折によるものであり、命にかかわるものではなかったが、著者の老齢の境遇を感じさせるものである。その最後に著者は娘がきびしく骨折のリハビリをするのは、父親が優しい人間だと分かっているからである。自分は周囲の人たちに優しい人として記憶されているので死ぬのは怖くないと書いてあって、今読むとしみじみとする。


『図説 異星人』野田昌宏(河出書房新社 2002.5.20)

アメリカのSF雑誌、ペーパーバックのイラストを集めた本だが、意外にも聖徳太子の話から始まる。聖徳太子は火星人と会っていたのだ。そして火星人というと H. G. ウェルズということになるが、『宇宙戦争』はアメリカのSF雑誌にも新たなイラストとともに繰り返し再録されている(ラジオドラマが話題になった時代にも)のだなあということが、この本で分かる。

SF小説の始祖的ヴェルヌ、ウェルズの 19世紀後半から 20世紀にかけての時代の後、SF小説の古典黄金時代といわれるのはアメリカの 1940年代から 50年代にハインライン、アシモフ、ブラッドベリといった作家の名作が登場した時代だ。それまでの時代アメリカでは通俗的なSF小説が大衆向けSF雑誌で多数描かれてきていた。本書ではその歴史をたどり、通俗的大衆的な小説のイラスト、表紙として掲載された目をみはるような作品を多数載せている。

私はそもそもSF小説自体あまり読んでなかったので、この黄金期以前の通俗SFについては、そういう時代があったということ、そしてフレデリック・ブラウンの古典黄金期名作SFの一つ『発狂した宇宙』は若い頃読んだので、その中に描かれたような宇宙の怪物と半裸美女の世界というものがあったのだなという認識はあった。その『発狂した宇宙』は 40年代の作品であり、時代は太平洋戦争が終わった頃である。古い時代はいろいろとつつましく、性的なものに関して隠される部分が多かったというイメージがあるので、その時代にアメリカでは、すでに小説にしろイラストにしろ、半裸美女がどうしたこうしたというような内容があったのかというのが認識をあらたにさせられたことであり、自分の目で当時の雑誌を見て確認したかった。この本でそれがかなった。

半裸美女といえば、私が接してきた 1960年代以降のマス・メディアの中で、洋画などで描かれる未来、宇宙のコスチュームはレオタードが普通のイメージ(実際にはあまり具体例は思いつかない、一方国内物では「ウルトラマン」シリーズや「キャプテンウルトラ」など女性隊員はタイトではあるが、ズボンなのだ)である。そういった未来、宇宙ファッションの起源はどこなのか。また 1980年代以降発展した国内のアニメ・メディアやゲームでビキニ鎧とか水着鎧と呼ばれるコスチュームをはじめとして肌も露わな女性たちの、これを待ち望んでいたんだという気もする一方身も蓋もないという感じもあるファッションの起源は一体何なのだろうという興味があり、その起源の一つとしての大衆SF雑誌に描かれた美女のファッション・スタイルを見ることが出来る。

美女とそのファッションについてを除いても、この本に収録されたイラストの当時の宇宙その他の異界、怪物についてのイメージは強烈であり(印刷技術の関係で使う色の制限その他が逆に効果を上げたということはあるのだろうか?)、見ていて飽きない。


『半七捕物帳(三)』岡本綺堂(光文社、光文社文庫 2001.11.20 )

昨年から夢中で読んでいる捕物帳の元祖である。東京創元社、創元推理文庫版「日本探偵小説全集 名作集2」に収録された中島河太郎の「日本探偵小説小史」の岡本綺堂についての記述によると、このあたりで初期の雑誌連載が一区切りついて、掲載雑誌をいろいろと変えての掲載があったりしたようで、そのせいか一話のページ数が短いものがある。老人となった半七が若き新聞記者に語るという形式を内容的にも堅持しているため、話によっては半七自身の手がけた話でなく、他の岡っ引きが活躍する話があったが、3巻ではさらに岡っ引きが活躍する捕物帳でもないない話がある。「旅絵師」は幕府の命を受けた絵師が隠密として東北の藩に乗り込む話なんだが、これなんかもはや立派なスパイ小説ではないか。怪談じみた物語が、このシリーズの基調だが、この巻では「海坊主」など読ませる。「人形使い」は最初の方は夜中にモロに怪談の趣向である。人形怪談である。「異人の首」は怪談ではないが、異人の生首が出てくるショッキングな話で、舞台が幕末になって異人を受け入れ始めた横浜であるのも興味深く読ませる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

感想集:活字本 2016.2

自分のページで感想文を発表してきていましたが、自分のページもやめたので感想文も今までよりコンパクトにしたいと思います。一つの記事に何冊かの本の感想をまとめます。

2016.2

『吉永小百合 街ものがたり』吉永小百合(講談社、講談社+α文庫 2003.12.20 原著書 1999.4 刊行)

2004年の秋に読んで感想を書こうと思って、今までずっと積んでおいた本、ラジオ番組をもとにした本らしい。文庫版の方は巻頭 8ページにわたってカラー写真有り。今まで世界各地へ旅したときの思い出を綴った内容である。アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、オセアニアと旅行は全世界に及ぶ。と全体において吉永小百合調の思慮の感じられる、おだやかさのある本。

印象に残っているのは、海外旅行ではないけど「はじめに」で書かれている体験、15歳のときロケ地に向かうために一人で夜汽車に乗ったら、お金をすられて宿舎でジュースも飲めなかったとか、大女優にもそういうときがあったのだなあ。それから中国旅行で井上靖や大江健三郎と一緒に行ったという話を読んで、派手な芸能界だが、芸能の仕事でがんばっていい仕事を続けたら、こういう他の分野での一流の人たちと交流する機会があるから、どんどん知見も広がり深まってゆく、自ら人間的に向上しようと思ったらそのチャンスがある世界だし、逆に堕落しようと思ったらいくらでも堕落出来る世界であるなあと改めて感じた。今確認したら、その旅は中国というより井上靖の小説の舞台にもなった西域への旅で、日中文化交流協会の旅、1984年というから映画『玄海つれづれ節』の頃だから、結構後のこと(人気スター時代の後、押しも押されもしない女優時代になってから)なんだね。中国へはそれより前に 1977年に中国人民対外友好協会の招きで木下恵介、仲代達矢らと映画人の代表として訪れている。

はじめての海外旅行は17歳になってすぐ、映画人代表の団体でミラノの国際映画見本市へ行ったときだそうで、その頃はまだやっと日本人が自由に海外渡航できるようになった頃だ。これからもそばに置いて、折にふれて手に取って、世界のいろいろな話を楽しみたい本だ。


『ムッシュ!』かまやつひろし(文藝春秋、文春文庫 2009.11.10 原著書 2002 刊行)

舞台に出る前に内田裕也がムッシュ、あなたロックですか、フォークですか、どっちかはっきりしてくださいと問いただしたので、舞台に出て「フォークのかまやつです」と言ったら、裕也がソデで笑い崩れていたというエピソードが書かれている。私が、かまやつひろしを知ったのはこの頃、フォークとの接近時代だ。スパイダースというGSのグループは知っていたけど、マチャアキがいたグループという認識しかなかった。解散後、井上順と、かまやつひろしが所属しているレコード会社の 15分くらいの歌番組がちょうど日曜の午後にオンエアされていて、井上順が軽快な「昨日・今日・明日」を歌い、かまやつひろしが「独り者」というカントリー調でフォーク調の曲を歌った。1971年初夏の頃だ。それからしばらくしてラジオ番組の公開ライヴで軽妙なしゃべりで歌うのをときどき聞いているうちに「我が良き友よ」という曲が出て、ドラマは見てなかったが、鈴木ヒロミツが登場するラジオのスポットCMで、いい曲だなあと思ったら大ヒットした。1975年の春だ。「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」はムッシュがやっていた TBSの土曜の深夜の公開番組で聞いた。LPも買った。

ムッシュがロカビリー時代からの人だというのも、いつか知っていたが、赤木圭一郎が事故死したとき現場に一緒にいたというのは、この本で初めて知った。そういう時代から最近まで、日本のポップス・ロック史の一面を現場から語り、現場にいる一人として論評する、生きた日本のポップス・ロック史的な内容を持つ本である。

『アラビアンナイトの殺人』ディクスン・カー、宇野利泰訳(東京創元社、創元推理文庫 1961.6.16 原著 1936刊行)

1973年の秋の始め頃、13歳中二の私はこの分厚い文庫を買ってきて読み始めた。カーについてはその前に現代教養文庫から出ていた江戸川乱歩の随筆集『「探偵小説」の謎』の中での紹介の文章を読んでいて、密室とオカルト趣味の作風ということを知っていたが、冒頭の紹介文にクリスティー夫人も脱帽と書かれていた『皇帝のかぎ煙草入れ』を読んだら、全然普通のメロドラマだった。今度はどうかと思って読み始めたが……ほどなく中断、最初の方、なんだかまだるっこしくて面白くないのだ。それでずっと中断していて本も売っていたものを、30年ほど経った 2000年頃、新たに買ってきて一読したが、どうにも話が飲み込めず、もう一度読んだ。何人かの若者グループの誰が誰か分からなくなるような感じがあって読みにくい。普通こういう密室殺人に近いような内容ならば現場の見取り図みたいなのが載ってたりするが、そういうものもない。警部、副警視総監、警視の 3人が一夜に起きた東洋博物館での殺人事件の経緯と調査結果を語る。犯人まで推理されるが、それは間違っていて、犯人は逮捕されずに終わる。フェル博士が一晩 3人の話を聞いて真犯人を指摘するという構成だ。カーのオカルト趣味を期待したが、この本にはない。もう一つの作風のドタバタ喜劇は、副警視総監の語る大真面目な老いた宗教家の話の中に多少は意図されているようだった。3人の(アイルランド人、イングランド人、スコットランド人とそれぞれに異なる)語りによって事件を立体的、多面的に見せることが意図されていたと思うが、成功はしていない。解説の中島河太郎が、ヘイクラフトが本作を一時、カーの代表作の一つとしていたことに触れて、いろんな見方があるものだと思う他ないと書いているので、やはり目立った作品とは言えないのだろう。


『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』磯山雅(講談社、講談社学芸文庫 2010.4.12 原著書 1985.4 東京書籍)

バッハのオルガン曲は、最初は「小フーガ」の入った 1枚物の LPを買ったのだが、そのうちヘルムート・ヴァルヒャのオルガン全集を買って聴くようになった。そしてかなりの間、そのオルガン全集ばかり聴いていたのだが、バッハの生涯については LP、CDの解説に簡単に触れられているものを読むだけでろくに知らなかった。一冊ちゃんとしたバッハの伝記的な本を読みたくて探したところ、この本を見つけた。この本はバッハの生涯を語る伝記として必要十分な内容であり、なおかつバッハの代表的な曲の数々を解説している。オルガン全集の後に、バッハのどの曲を聞けばいいか、良いガイドブックとなる本だった。


『半七捕物帳(二)』岡本綺堂(光文社、光文社文庫 2001.11.20)

1巻に引き続き、どんどんと読めてしまう面白さで、本格物としては不十分だが、ハードボイルドの味まで含んだミステリの様々な楽しみをたたえた作品集である。「津の国屋」の前半の怪談噺的展開とか「槍突き」の江戸時代の通り魔犯罪とか興味津々の事件がある。面白いのは、あくまでリアルに半七老人から捕り物のエピソードの話を聞くという形式なので、半七以外の岡っ引きの手柄話、時代をかなりさかのぼった話なども語られるところだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

感想文:『子ども文化の現代史』野上暁

2015/08/22 『子ども文化の現代史』野上暁(大月書店 2015.3.20)

この本によると、第二次大戦太平洋戦争終戦後、民主的良心的で親や教師に歓迎されるような内容の児童文学雑誌(童話など)が(GHQから用紙を優遇されて)相次いで発刊された。私は読んだことはないが名作とされ、繰り返し映画化もされた『ビルマの竪琴』も、それらの雑誌の一つに連載されたというのを、この本で初めて知った。しかし、子どもたちは当然ながら、そういう親や教師の喜ぶような雑誌より俗悪と言われる粗末な漫画月刊誌の方を夢中になって読んだ。親や教師たちは悪書追放を唱え、手塚治虫の漫画さえ校庭で焚書されたという。しかし、漫画雑誌は発展し続け現在があるのは言うまでもない。

この本ではそういう大人が与える上からの良い子の「児童文化」でなく、大人が与えるものの中から子どもが選び、遊び、変容し、新しく価値を作り出し、子ども同士や大人たちに対してコミュニケイトするという行為であるところの「子ども文化」を、戦後すぐの何もなかったような時代から、電子ガジェットとインターネットの現代まで追いかけた本である。ただ漫然と時代を順に追うだけでなく、その時代時代でのテーマというか、人気の的となった現象、アイテム、メディアをまとまり良く語っている。簡にして要を得た子供文化史ハンドブックと言える。そして、著者の意図として、単に「子ども文化」そのものを語って終るのでなく、子ども文化に大きな影響を受けて形成されて行ったサブカルチャーの流れまでを把握しようとする。

面白いのは、1943年戦局が悪化して行っている時期に生まれた著者は前半、そのまま自らの生い立ち、思い出話を語るような調子で当時の子どもの遊びを語ってゆくが、それがしっかりと当時の子どもの遊びレポートになっている。もちろん戦前にも子どもの文化、遊び、オモチャというものはそれなりに発展していたが、戦争になり敗戦となって無と化し、オモチャに関して言うと、再び明治の頃のような原始的なオモチャから発展して行く流れを繰り返したのだ。長じて高度成長下で成人した著者は小学館に入社、“小学1年生” の編集部で働くようになり、今度は作り手の側から子ども文化を見て行くこととなり、全体としてまとまってこの 70年の子ども文化が語られているのである。

“小学1年生” の編集部ではまず締め切りを守る藤子不二雄の担当となるが、結局、手塚治虫を担当することになる。一方で講談社から代わって小学館が雑誌メディアを独占することになった第二次ウルトラシリーズ放映時に、ウルトラ兄弟という設定作りに関わった一人でもあるという(番組の人気挽回のために「帰ってきたウルトラマン」にウルトラマンとウルトラセブンが登場するとき、編集長が兄弟にしてはどうかと提案、これを聞いた大伴昌司が不満を漏らしたので、著者が “小学3年生” 71年11月号で―東映やくざ映画のような―義兄弟であることを発表したが、73年の「ウルトラマンタロウ」では―すでに当時中学生となった私などはあきれていたような―父や母まで登場しファミリー路線となったのだ)。

「オタク」というと、中森明夫による、その呼称の由来からコミケ、したがって漫画アニメ同人誌、同好者のムーヴメントという流れで私など考えがちだが、上記のように雑誌でウルトラ関係記事を担当したため円谷プロ関係の人脈のあった著者は“少年マガジン”などの図解記事で一時代を作った大伴昌司やその弟子的な位置にあった若者たち(竹内博たち)と交流があり、彼らの作る特撮SF同人誌を見ていて、特撮オタクという観点からオタクの発生を語っている。

1959年生まれで地方都市に育った私には、著者が語る終戦後の少年時代の思い出は部分的には、なんとか片鱗をイメージできるところもある。そして 1960年代から 70年代にかけての子ども文化は身近に接してその後、大人になってからも興味を持って知識を得て、一番良く分かる時代だ。80年代以降となると、その時々のブームとなったことは知ってはいても、内容は具体的に知らない事柄が多く(たとえば「ビックリマン」とはどういうものかとかこの本で初めて知った)、いろいろな知識を得られた。そしてまあ最後に現在の時点でいろいろと思うこと、希望と危惧が語られている。大塚英志の『メディアミックス化する日本』という 2014年に書かれた新書が取り上げられているが、システム化された根本的なところからのメディアミックス……どうなんだろうねえ。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

感想文:『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ

2015/06/18 『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ(文芸春秋、文春文庫 2009.8.10 オリジナル単行本 2006年刊行)

岡山市にジュンク堂は無くなってしまったけど、ジュンク堂があったときに、そのズラーッと並んでる文庫棚の文春文庫のところにタイトルが目について、たまには新しい作家の本を読んでみるかと買ってみた。ページ数が薄かったのも気が楽だった。タイトルの魅いたところは、なんとなくハードボイルドっぽい、そして作者名が女性らしいので、なんかカッコいいなと感じたのだったが、読んでみると、表題作は単に若気の至りの痛い男女の離婚話、しかも作者は男性だった(角田光代、といっても名前しか知らないが、その人の夫なのだそう)。

冒頭、自動販売機のルートサービスにまわる男女の話というので、良さそうなシチュエーションだと思ったんだけど……。トラックでまわる女性の方の、離婚の先輩である水城さんは魅力的なキャラクターで、最後にまわった歌舞伎町の連れ込み旅館でシャワー浴びさせてくれるというので彼女が使うところが良かった。二人の働いている事業所がセクハラとかあってバイトが大変だというのがわざとらしい。いろいろある世の中で今まで以上にいろいろある21世紀の世界で、取るに足らない男女の離婚話、知るかよ、どーでもいい…って思わせちゃったらいかんわな。

ネット書店アマゾンのレビューを見たら、結構な数あって、評価は毀誉褒貶半々で結局真ん中くらいという。こういう話が身近というか、身につまされるというかで良かったって人もいるのだ。

で、これが文庫本 88ページで後2編短編がある。「貝から見る風景」と「安定期つれづれ」だが、なんと「安定期つれづれ」は文庫化で収録されたというから、薄い本だなと思ったが(ページ数約 180)、もとはもっと薄かったのだ。「貝から見る風景」は、オフィスで働いている女房をスーパーマーケットで待つライターの夫の話で、店への投書掲示板が話のネタになる。多少興味を引くが、まあそれほどでもなく、落ち着くところへ落ち着く。「安定期つれづれ」は、夫の家庭とうまく行ってなくて実家に帰ってきて出産する予定の不動産屋勤めの女とその父親で禁煙を始めた老人の話、「八月の路上に捨てる」同様、この二編にも、この世界の片隅の登場人物のささやかな心の成長というのか生きている心の変化というのか、そういうのがあるけど、まああんましどうでもいいです、という読後感だった。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

(再掲)感想文:『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/05/05『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実(星海社、星海社新書 2014.8.25)

2年前に同じ著者の同じ星海社新書の『オカルト「超」入門』を非常に面白く読んだのであるが、この『江戸しぐさの正体』も内容の一部はオカルトとしての「江戸しぐさ」を語る本であった。そもそも「江戸しぐさ」とは何か。著者が最初に「江戸しぐさ」という単語を知ったのは、冒頭に書かれているのだが、地下鉄の駅の公共広告機構のマナー啓発ポスターであったという。〈調べたところ CMのために創作されたコピーではないこと〉が分ったとあるので、最初はCMのためのコピーだろう、くらいに思ったのだろう。多くの人がそう思うはずだ。だって、私にしろ人生50年以上生きてきて、「江戸しぐさ」なんて最近まで聞いたことなかった。この本を手に取るまで、せいぜい二、三度どっかで見たか聞いたかしたかなあ程度だ。2000年前後だったか、「和のなんとか」というようなのが、ちょっと流行った。雑誌とか本とかで和の小物を紹介するようなの。そう、今ネット検索してみたが、「しばわんこの和のこころ」とか。私は、この本を昨年秋に書店の店頭で立ち読みするまで、「江戸しぐさ」も似たようなものだろう、そういうのって広告代理店とかそういうのが考えついて流行らせてるんだろう、くらいに思っていたのだが、この本をざっと読んで、それが違うのが分った。

「江戸しぐさ」は単に、マナーとか道徳を押し付けがましく説いていて説教臭いだけというものではなく、あきらかに、いわゆる「トンデモ」説であった。失笑するくらいでは済まない奇っ怪さがある。ある程度の知性をともなって主張されているだけに、愚かな迷信よりさらにおぞましい偽歴史創作のありさまが本書で指摘されている。「江戸しぐさ」というものがあると主張して、それに基づいて現代人のマナーを叱ることを始めたのは、1980年代当時すでに 60歳代であった芝三光(あきら)であり、同年代で市場調査会社の社長などを経た後、アメリカ公民権運動を取材したルポで賞を得ている越川礼子が彼に弟子入りして発展させ、日本経済新聞社の桐山勝が広める手助けをした。「江戸しぐさ」を正当化するために「江戸っ子狩り」などという妄想ストーリーを考え出したのは越川礼子だという。

「江戸しぐさ」に関わるトンデモの最たるものが、その「江戸っ子狩り」であろうが、その他こまごまとした、各しぐさにまつわるおかしさ(変な話であること)、史実と乖離している様は本書の第二章「検証江戸しぐさ パラレルワールドの中の「江戸」」で子細に述べられている。江戸にスープがあったとか、チョコレートが入ったパンがあったとかいう話は一体何であろうか。「江戸しぐさ」は企業のマナー研修とかに使われ、一方では教育材料として用いられ、ついには安倍政権下で道徳教育に取り入れている。そこまで行くまでに止められなかったのだろうか。この本では第五章「オカルトとしての「江戸しぐさ」」で、専門家の責任などに触れつつ、江戸しぐさがいかに浸透したかを語っている。私が思うに、ある程度の教育を受け、あるいは物が考えられれば、著者が第二章であげているような話を読めば、ちょっと待て、ということになるだろう。第二章で取り上げている江戸しぐさの各実例は『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』という越川礼子が 2001年に講談社から出した本から主に採り上げられている。企業の偉いさんたちとか教育関係者の偉いさんたちは、江戸しぐさというマナー教育の教材があります、ああそう、いいじゃないかとろくにそういう江戸しぐさ入門書などに目も通してないのかも知れない。一方で、あの「水からの伝言」同様、おかしい話と思いつつも、教育やマナー啓発の材料となれば構わないという誤った実利主義の考え方をしている向きもいるのだろう。

その「水からの伝言」といえば、この本によると TOSSという教員の教育指導研究の団体が「水からの伝言」やら、この「江戸しぐさ」やらその他怪しげな「お話」を教育材料として採用することを推進しているのだという。今さらと言われるかも知れないが、「水からの伝言」が話題になったときは、私はそこまで関心が無かったのだ。だが、今回この本を通して、あらためて、ゆゆしき問題であることを感じ入った次第である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

(再掲)感想文:『カッパ・ブックスの時代』新海均

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/04/12『カッパ・ブックスの時代』新海均(河出書房新社、河出ブックス 2013.7.30)

図書館で借りて読んでいる。書店で見かけて前から読みたかったのだ。1970年代に 10代だった私にとって、まず出会った大人の本の一つがカッパ・ブックスのシリーズだった。カッパ・ブックスをはじめとする、×××ブックスは当時の本屋の主役の一人といっていいだろう。しかし、今や、なんということか、ある年齢層より下の人たちに向けては、カッパ・ブックスとはどういうものかをまず説明しないとならないのだ。そしてこの本を読んでいて、はたと気づいたのは、この『カッパ・ブックスの時代』そのものが「河出ブックス」というシリーズの一冊として出てるわけだけど、この「河出ブックス」という新書よりもっと大きなサイズ、B6だっけ、このサイズのシリーズは他社からは××双書とかそういうタイトルのシリーズで出ているものであって、たまたま河出書房新社は「ブックス」という名前にしているが、「カッパ・ブックス」をはじめとする「××ブックス」について語るときの「ブックス」というのは、この「河出ブックス」とは直接関係無くて、×××ブックスは、まずサイズが新書なのである。大きく分類すると、今やもうやたらめったらと各出版社から出ている「新書」のジャンルに入るわけなのだが、それでいて、今ある新書、そして最初はカッパ・ブックス以前に戦前に岩波書店から刊行が始まった「岩波新書」などとは一線を画する存在なのだ。カッパ・ブックスは明確に岩波書店のインテリ向け教養主義に対抗するものとして、より現代的でより大衆的なものを目指して創刊されている。高度成長時代に入り、新たな読者層、ホワイトカラーである新中間層が生れた時代、その試みは見事に成功した。カッパ・ブックスを成功に導いた一番の主役が著名な編集者、神吉晴夫である。

この本は、兵庫県の、中学に進学するものなど珍しいという山村で生れた神吉晴夫の生い立ちから始まって、講談社でキャリアを積んで、すでに中年になった彼が戦後に光文社の重役となってベストセラーを生み、そしてついにカッパ・ブックスを刊行、有能な編集者たちと多くのベストセラーを打ち出して快進撃( 1961年と 1967年にはベストセラー10位内 5冊をカッパの本が占めたという)、日本の教養の質を変えた(と言ったのは会田雄次だっけ?)、そのありさまが前半で描かれている。その舞台、光文社であるが、この本によると講談社が戦争中、若者を戦場に駆り立てるような戦意高揚雑誌を刊行していたりしたため、GHQ支配下で出版活動が制限されることが見込まれ、対策として別の出版社、光文社を作ったという。そして皮肉なことに戦争協力によって陸軍より優先的に配給されていた豊富な用紙によって、光文社が戦後の物資不足の中、民主主義を賛美する雑誌で活動を開始することが出来たという。入社時から切れ者であり、戦前は広報、新聞拡販などに携わった神吉晴夫は光文社で次々とヒットを生み出すわけだが、今ちょうど江戸川乱歩全集の少年物を読んでいたら、戦前講談社から出ていた乱歩の少年物を光文社から出版したいと求めてきたのは神吉晴夫だった。「神吉君が」と乱歩が書いている。ついで光文社の雑誌“少年”の編集者に乱歩の少年物連載を勧めて、ここに戦前に続いて戦後も数々の少年物が書かれることとなったのだという。

私の小学校時代、1960年代後半はまさにカッパ・ブックス快進撃の時代で、高学年になって本屋で手に取るようになる前に、新聞の大きな広告でその存在を印象づけられていた。カッパ・ノベルスの松本清張も広告のリアルな肖像イラストでおなじみになっていた。反面、当時ジュニア向けホームズ物など読んで推理小説好きを自認していたが、ミステリとして宣伝されるカッパ・ノベルスの清張作品は一見興味を引きそうな、でも子供の読むものではない、子供が読んでも面白くもなさそうなものという印象が強かった。しかし、カッパ・ノベルスの松本清張は読まなかったが(祖母が分厚い『黒い画集』を買ってきたのを、ちょっと見てみたりしていたが)、大人向けの本はまず創元推理文庫のクリスティ、ドイルから読み始め、次に手に取った大人向けの本がカッパ・ブックス……ではなかった。近所の本屋に、やはり×××ブックスが並んでいた。サイズは新書と同じだが、×××ブックスが新書と違うところにデザインがカラフルで表紙もそれぞれ工夫をこらしたものであり、そのカラフルで興味を引くような本が新書と同じ棚でなく、もっと前の方の雑誌が平積みで置かれている台の上の棚にズラリと並んでいた。新書、文庫と同じではなく、雑誌と近い目立つ場所に置かれている、というのはもっと大きな本屋でもそうだったから、全国的にそうだったのではないか。内容だけでなく、こうした外見や扱いも新書とは違うという印象を与えていた。そういう×××ブックスで私が最初に買ったのはワニのベストセラーズの浅野八郎『人間テスト』という本だった。カッパ・ブックスからは手相の本を出している浅野八郎がアメリカの雑誌に載っている娯楽としての心理テストを紹介した、少々エロチックな部分もある本だった。次に買ったのがカッパ・ブックス『頭の体操』第2集で、次が『西洋占星術』だった。以後、中学を卒業するくらいまでの 4年近くカッパ・ブックスはよく買った(書名を挙げると加藤周一の『読書術』―『頭の体操』以前の初期のカッパ・ブックスでは、内容は易しいのだけど、ちゃんと文章を読まなければならない本が普通だった、これもタイトルはハウツー物ぽいが、普通のエッセー。多湖輝の『頭の体操』以前の『読心術』、4巻まで出ていた『頭の体操』、『英語に強くなる本』―100万部売れたこの本も、しっかり読むところのある本で真鍋博の挿絵が印象的、同じ著者の『英単語記憶術』、『英熟語記憶術』、『もうちょっとで英語は話せる』、南博の『初歩・心理学』、南博訳編の『記憶術』、波多野完治の『心理学入門』(これはなかなか読み応えのある本)、木々高太郎こと林髞の『頭のよくなる本』―これなんかもハウツー物ながらちゃんと読まなければならない本、こういったところ)。

カッパの本のベストセラー本やその他のカッパの本はその後も折りに触れ買うことがあり、親しみ深いものがあった。だからカッパ・ブックスの中でも快進撃を続けた 1960年代の数々のベストセラーがこうして生れたという過程がヴィヴィッドに書かれた個所は読んでてエキサイティングである。ところがその後、1969年だったかな、大いにはめをはずした忘年会の話があったと思ったら次に話は光文社争議に突入、イッキに盛り下がるというか、いっきに暗い影が覆う。今までにないアイディアと精神で快進撃を続ける編集部のありさまを読んで―しかも彼らが作った本は私も何冊も実際に自分で読んで、その出来栄えは分っている―ハイになっていたら冷や水をかけられる。光文社社員の組合が会社上層部の意のままに動く御用組合と闘争を続ける第二組合とに分裂、会社側は第二組合を押さえ込むために、暴力に慣れたような連中を管理職として雇う。窓ガラスが割れ、破片が床に飛び散っている。数年に及ぶ闘争の中、暴力沙汰が頻繁に起こり、本書の記述によると組合員の中には膵臓破裂の重傷を負った人もいるという。その後、どうなったのだろう。

高度経済成長下の日本、労使のぶつかりあいはいずこでもあり、こうした暴力的な事態に陥った会社というのも珍しくはないだろう。当時は 60年安保、70年安保の反対運動が盛んに行われた時代であり、労働者たちも元気があったのだ。しかし、その舞台が大ベストセラーを生み出し続けている出版社というのでは注目されるのも当然だろう。この本によると組合支援には有名な作家や芸能人たちが名乗り出ている。光文社争議というのがある、というのは当時十代の私のもとまで伝わっていた。神吉晴夫が有能な編集者だが、それで光文社を辞めたということまで知っていたのだ。どのようにして知ったか分らない。まだ“噂の真相”などない時代である(あっても十代の私は読んでないだろう)、私が読んでる作家か誰かが私の読んだ何かで書いたりしていたのだろう(ちなみに私は北杜夫の本を当時から愛読しているが、ベストセラーとなった出世作『どくとるマンボウ航海記』は航海の後、最初、神吉晴夫が訪ねて来て本を書くことの打診があったとエッセーに書いている)。注意してみると、確かに最初はカッパの本の最後にある創刊のことば(例の、へのかっぱというあれ)のところとか、奥付に神吉晴夫の名前があったのが、いつの間にか無くなっていたような……。ただし私はそれはもう過去のことだろうと思っていた。神吉晴夫は争議の初期に退陣しているのだが、この本を読んで、その争議がまさに私がカッパの本を次々と読んでいた 1970年代前半に継続していたことを知った。そして争議の最中にも『日本沈没』など新たなベストセラーが何冊も生れている。ちなみに著者は争議終了直前の 1975年入社で入社してすぐカッパ・ブックスを担当して、2000年過ぎてカッパ・ブックスが終焉するときにまた担当したという。

次々とベストセラーを生み続ける有能な編集者たちのドラマ、重苦しい労働争議のドラマ、それらがちょうど入れ替わるように続くから不思議な違和感があるが、どちらも同じ出版社を舞台とした物語であり、当事者たちの真実である。ちょっと語る対象の捉え方を変えてみると、どちらかの物語になる。有能な編集者たちがいないと次々とヒットは生み出せないが、しかし彼らだけで動いている会社ではないのだ。

ところで、そのカッパ・ブックス以外の×××ブックス、光文社の編集者たちが争議の時期に移籍してカッパのノウハウを広め、編集の才を発揮したものもある(青春出版社、祥伝社、ごま書房)ということをこの本で初めて知った。××ブックス以外の分野でも活躍したという。また、かんき出版という出版社の名前は聞いたことがあるけど、これは晩年の神吉晴夫が設立を準備していた出版社だと初めて知った。

闘争の終了後、平穏に戻った光文社での1980年代のあらたな展開、カッパの本に関して言えば新シリーズ、カッパ・サイエンスの登場があった。女性向けファッション雑誌“JJ”が売れ、最初の部分はカッパ・ノベルスから出ていた(私もリストに載っていたのを覚えている)『神聖喜劇』が全6巻で刊行、光文社文庫創刊、“週刊宝石”創刊と出版社の活動が続き、時代が変ってゆく。いつしかカッパの本が時代遅れになったのだろうか。正規のシリーズとしては 23集まで出ていた『頭の体操』だが、私は新しい集が出るたびに買っていて、23集まで持っている。ひさびさに 2000年頃に出た 23集を取り出して(最後の集ということで大事に読んでいて、じっくり問題を解こうと思ってまだ最後まで読んでないのだ)巻末の刊行リストや、はさまれている広告など見ても、カッパの本は変らず健在であるようなのだが……。本屋ですぐ見つかるはずのカッパ・ブックスがなかなか見当たらなくなってきていたことには気づいていた。光文社新書が出ていたし、カッパ・ブックスの受け皿のような知恵の森文庫も登場していた。この本によると社長になった“JJ”をヒットさせた編集者がカッパのマークがきらいだったという。そのことが象徴的なように、時代と社の空気がカッパ・ブックスを存在させなくした。会社内だけの問題でもないと思うが、こういう場合、出版社が大きくなるというもの考えものだなあと感じる。

ともあれカッパ・ブックスが本屋で見られなくなった時代というのはカッパ・ブックスだけでなく、その他××ブックスというスタイルの本がこぞって消えてしまった。そしてもうとにかくやたらいろんな出版社から新書のシリーズが出ている。それらの新書を本屋で見てみると、これは世が世なら到底新書では出なくて、×××ブックスから出ているだろうと思われるようなものが見られる。より大衆向け、より柔らかい内容、よりイージーな、そんな風なもの。新書の一部は完全にかつての××ブックスを代用していると思う。しかし、カッパ・ブックスを代表とする×××ブックスに較べて、経費節約になるのだろうが、ほとんどすべて同じ装丁の、表紙絵、挿絵もほとんどない新書がズラッと並んでいるのは味気ない。1970年代当時、カッパの本を初めとした×××ブックスを本屋で見たり、買って帰ったときの面白がらされるワクワク感、ヴィジュアル的な魅力が懐かしい。私が当時大人の本を読み始めた、好奇心にあふれた思春期だったことと、カッパの本をはじめとした×××ブックスのいい時代が幸福に重なっていたのであった。さて、現在のズラーッとある新書の中に星海社新書という聞いたことない出版社の新書があって、その中の『オカルト「超」入門』という本を買って読んだのだけど、この本によると 1978年生まれで(私より約 20歳下)光文社をリストラされた後、星海社に移って活動を続けている編集者は最も尊敬する編集者が神吉晴夫なのだそうだ。こういう人も現在いるのである。どの出版社でもいい、電子書籍でも紙の本でもいいけど、カッパ・ブックスのワクワク感を21世紀の現在に感じさせてくれたらなあ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

甲子園の高校野球チアが定番になった頃

(2009.12.1 追記 以下の記事、掲載の 1979年の画像が週刊“プレイボーイ”のものと思い込んで記事を書きましたが、どうやら、これも“平凡パンチ”だったようです。私は該当ページしか保存してないので判断がつきません。記憶だけで書いてましたが、違ってたようです。)

甲子園の高校野球チアが注目され出した頃+『おれはキャプテン』 on JBOOKが、確か 1976年の夏の“平凡パンチ”。これは 1979年の夏の週刊“プレイボーイ”。撮影者の名前を見ると、“平凡パンチ”が羽岡昭、餅原毅。この“プレイボーイ”が羽岡昭、なんのことはない、同じ人が撮影してるんだね。

20071029


なんといっても、オオッ、と見てしまうスパンコールつき、レオタード。レオタードという単語が一般に広まるのは、翌年以降の新体操、エアロビブームになってから、この記事に「レオタードの少女が」なんて文句はない。この写真の横の文章は「『ワタシィは愛の水中花』。 スタイルと鮮度は松坂慶子を楽に上回っている。」とある。これは、その頃、松坂慶子が五木寛之原作の『水中花』というドラマに出演していて、その中でキャバレーのバニーガール姿になってたんだね。松坂慶子が歌う主題歌「愛の水中花」もヒットしていた。それを踏まえてのこと。松坂慶子は、そりゃ美人なのは分かるけど、当時二十歳前の私なんかからすると大人過ぎ、って感じだった。今改めて当時の彼女の歳を考えると、ヘタすると、ほしのあきより若い? ってくらいなのだが。

それはともかく、このレオタード姿ってのは、応援に地元でバトントワリングやってるグループとかに頼んだりして、こうなったんだろうかね? バトントワリングなんかだと、パレードなんかでレオタード姿で演じるってのも普通にあるからね。そんな感じじゃないかと思うんだけど。で、応援だから目立てばいい、華やかなのがいいって、こういう風になったんじゃない? でもまあ、こういうのも、この時限りだったんじゃないの? 目立ちすぎだもん(笑)。どうだろう?

20071030


こちらは、その裏ページ。当時としては、こんなもんだ程度に、応援のスタイルというのも確立された感がある。これが 1985年頃になると、同じ週刊“プレイボーイ”でも、足振り上げる女の子の下に寝転がって撮影するカメラマンたちを写して、こいつらはひどい、みたいな正義のマスコミぶった記事になってた。

応援の女の子たちを取り上げた記事として記憶にあるのは、翌年の秋、月二回発行、「実験人形ダミー・オスカー」でおなじみの(笑)小学館“GORO”で東京六大学野球の神宮チアを取り上げたのを、モノクロページで見たことがある。慶応の女の子が、これはスカートと同じ色のアンダートランクスというかパンツをはいて、ウエストコーストのチアリーダー風でしたけど、ハイキックの瞬間を大きく、1ページ大か見開き 2ページかで掲載してましたな。早稲田は白のテニスのアンダースコートだったと思う。こういうのも、どの大学はどういうユニフォームでとか詳しい人はいるんだよね。この記事は保存してない。

“セクシーアクション”なんかでも最初期の頃は、この神宮チアを取り上げたりしてたけど、すぐ撮影出来なくなってますな。恐い応援団もいるみたいで(笑)。そして、1985年頃になると、高校野球の方も上記の週刊“プレイボーイ”の記事状態で。その後、現在に至るまで、どうなってるのかは知らない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

古典の研究

美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな」。めったにつかないというか、このときで、まだ 2回目か。コメントがついてますけどね。「通りすがり」という方は、私がニフティに加入してパソコン通信を始めた頃にも名前をお見かけしたから、よっぽどネット生活の長い方なのだ。

少なくとも、古典の研究を全世界で続けてる方々がいる、日本にもいるから、私なんかでも、例えば注や現代語訳を便りに、小学館の古典文学全集とか岩波文庫とかで、活字になった日本の古典をなんとか読むことが出来るんです。古典絵画や彫刻は見ただけで分かる? 研究者の言うことを一から十まで頭に入れて、それで観賞してますって言うのは論外だが、まずは自分で味わい、感じてみるにしても、研究者の解説が観賞と理解を深めてくれることは言うまでもない。もちろん、そういう翻訳作業みたいなことや解説というのは、古典研究の学問の成果が素人に分かる形で表れるというごく限られた場面である。自分にとって何をやってるのか分からないから、どうでもいいような仕事だろうというのは、文化というものを軽んじているのではないかなあと思える。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

“GANG”と“セクシーアクション”

そんなわけでミス日本の「桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた」新体操ブームとかエアロビクス・ブームみたいな時代になって、一方で馬場憲治『アクション・カメラ術 』がベストセラー、そんで、こりゃ売れるってんで、エロ雑誌のヴァリエーションとして、“セクシーアクション”が登場した、という流れだと思う。

それ以前からサン出版には“GANG”ってエロ雑誌があって、“セクシーアクション”は最初この雑誌の増刊で出たってことでいいようだ。1981年夏。

20071017


これがその“GANG”、うちに一冊だけ、ちゃんとした形で現存するもの。1982年の 4月号だから、ちょっと時期は遅い。ヌード、セーラー服、レオタードとか。まあそこそこの水準。絡みものはない。アクション写真ぽいのもある。25歳の男の1年間の芸能人オナニーネタ日記とか。蛭子先生の不条理エロ?マンガとか、劇画時代だけど、かなり絵が洗練されてきた中島史雄の短編「アコのあこがれ」とか、杉森昌武の毒のあるパロディ記事とか、南伸坊は、もうこの頃はかなりマイナー有名人になってたと思う。カラー1ページで、中学生女子のオナニーの悩みに答える絵と文章の遊び記事を南伸坊が作ってる。エロ雑誌関係でいうと、当時は白夜書房が、エロ・サブカルチャーぽいノリで、マイナーな中のメジャーみたいな存在だったが、サン出版はまた、白夜書房とは一味違った風だったような。中島史雄といえば、今は私はページを作っているほどの読者だが、当時はエロ劇画はほとんど読まず、まったく知らなかったのだ。この作品も、当時は関心がなく、久保書店から 2000年に出た再録作品集『少女狩り』に収録されてるのを読んで、その後で、この雑誌に載ってたのに気づいたんだと思う。


20071018

こちらは、1981年夏の“GANG”裏表紙の“セクシーアクション”の広告。宣伝文句「ギャングの次にヤラシイ!」ってのが笑える。いかにもの写真でありますが、当時は、こういう写真でオオッ、よく見つけて撮影したなあと感心したものでした。二十歳過ぎてたけど、“漫画アクション”連載「昭和の中坊」の連中と大差ないという……。この号の“GANG”も、確かブルマー特集だったんだよね。で、読者の手記で年配の人の投稿があって、若い頃は周囲がちょうちんブルマーだったので、最近の露出度の高いブルマーより、ちょうちんブルマーの方が昂奮すると書いてあって(確か嫁さんに着せてるとかじゃなかった?)、そういうもんかと、性の深遠さに思いを至らされたものだった(笑)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

新体操ブームと馬場憲治『アクション・カメラ術 PART 2』の頃

桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた」、1980年頃から新体操がブームになって、レオタードという呼称が一般的に認知され、エアロビクス・ブームでもあって……と、あの頃のことに思いを馳せると、同時にその時代は、エロいこと大好きな野郎たちにとっては、アクション写真ブームの台頭という時代であったなあと、しみじみと思うわけです。

そもそもが「アクション写真」とかいう呼称が、まあ、そういうパンチラとか着替え覗きとかテニスのアンダースコートが見えてるところとかブルマーとか、そういうものを目当てとした写真である、というニュアンスを持つようになったのは、この本からでしょうね。ワニブックス『アクション・カメラ術』馬場憲治。これはベストセラーになった。こんなページがあったよ。「ゲンダイネット」「【あの人は今こうしている】アクション・カメラ術がバカ売れした馬場憲治」この記事読んで思い出したけど、この人、石川さゆりと結婚してたんだね。

んで、日頃、ブルマーだ、レオタードだ、女子体操の誰々がどうとか、このブログで言ってる私にとって重要なのは 1981年 5月 5日刊行『アクション・カメラ術 PART 2』の方ね。

20071014

この本でも、表紙を見て分かるように、半分以上は、海辺の水着や街中のスカートからパンチラがターゲットなんだけど、同時に 2章、3章でセーラー服、ブルマー、女子体操、テニスといった被写体が取り上げられた。

20071015


これは、2章にあたる部分の扉的 2ページ。そりゃ、中学高校時代と、身近にブルマー着用女子がいた私ですが、こんなに鮮明に、まじまじと、誰にもとがめられずにブルマー姿の女子を、思うまま眺められるなんて、初めてでしたからね。そりゃインパクトあった。でも、後になって考えてみると、こういうのって、あれですな、そりゃまあ、「こういう本用の写真なんだな」というのが、だんだんと分かってきましたが。それでも構わないようなきれいな写真ではある。ブルマーが数ページ分、あとレオタードとか、ジョギングパンツ、テニスのスコート姿などいくつか。写真のページが左右 2ページに、次に文章ページが 2ページ。だから、案外に文章の多い本でもある。文章では、こういう写真をどういう風に撮影するかとか、まあいろいろと書いてある。今、見返して笑えるのは、後半の方で、ギターのケースに仕掛けるとかのスカート覗き用カメラの仕掛けを、図解してあるページがあること。当時でも、もし実際にそういうこと実行して現場抑えられたら、もちろん犯罪。今なら、もっと大騒ぎである。でもまあ、こういう本のネタとしてあった時代。最近でも、携帯電話のカメラのシャッター音を消す方法とかあるね。

今思うのは、こういう本が企画で出て来るってことは、ポッと出で来たというのじゃなくて、アンダーグラウンドでは、これより先に、そういう写真を撮って、密かに楽しんだり、写真を見せあったりしてる好事家はいたんだろうし、エロ雑誌などでは、これに先んじたものがあったかも知れないなあ。

永井豪の『ハレンチ学園』やガソリンの「オーモーレツ」の ミニスカートがめくれる CMが話題になったのが、1960年代末。その時代がどういう時代かというと、下着がズロースと呼ばれる、でかいものから短いものになって、それをミニスカートでぎりぎりに隠すという、そういうファッションが確立された時代だと思う。同時に、ショーツ型のブルマーも普及した。「アタック No.1」や「サインはV」に見られるように。

これは大学の卒論らしいが、「パンツの歴史」。「これまでの大きなパンツでは、パンツの下端が日常的に露出してしまうという理由から、股ぐりを深くした小さなパンティの需要が増大したのである。」なるほどね。

で、そういうパンティを見て、子供たちはすぐに、スカートめくりを実行したけど、これは『ハレンチ学園』の影響……でいいのか? 一方で、野郎たちの、そういうものに対してアンダーグラウンドでのアプローチが、1970年頃から 1980年頃までにあって、それが 1980年になって『アクション・カメラ術』で表に出てしまったということだろう。私のページにも書いてるけどさ、こういう本が出て、「なんだ、ブルマーやレオタードをエッチな目で見ている男って、けっこういるんだなあということが初めて分かった」、おお、同志よ、感激だ、We are not alone フェチとの遭遇、なんていう当時の私のような男も多かったと思うし、そっからワニの本の会社は、そのものの「アクションカメラ」って雑誌を出したりしたし、サン出版の“セクシーアクション”、そして“投稿写真”という流れが起こってくる。同時に、そういう本や雑誌がいったん出た以上、そりゃ、あなた、中学生高校生の手に入ったら、学校で回し読み、女子の知るところとなると、今まで漠然と恥ずかしかったブルマー姿が、具体的に男のスケベ目線というのが、雑誌で解説されてるようなわけだから、当然、ブルマーへの拒否的傾向ってのは高まっていったんだろうなあと推測される。

| | Comments (0) | TrackBack (0)