ICレコーダー on 激安!家電のタンタンショップ

以前はテープレコーダーとかラジカセとかいうものは身近にあって、私が 10代の 1970年代にまず欲しいものというと、ラジオ、ラジカセ、それからちゃんとしたオーディオって順番だったけど、最近テープレコーダーというものはどうなっているのかというと、こうなってんですなあ。

家電のタンタンさん、今週の目玉商品ということで出てたのが、
ローランド 【送料無料】 高音質ポータブル・レコーダ-24bit 96kHz WAVE/MP3 RECORDER R-09HR

R-09HR

ローランドだからして、録音っても、もちろん会議とかにも使えるけど、音楽系の録音を目的として作られてるんだろうね。ジャンルは OA家電になるのね。同じ場所にあったのが、同じく音楽関係、マルチトラック・テレコなどのブランド、タスカムの製品。

TASCAM 【送料無料】 SD・SDHCメディア採用ポータブル・デジタル・レコーダー DR−1

DR−1

ローランドのものより、やや安価。

でも、私なんか、カセットテレコが動いてないと、なんか不安ですな。こういうものもあった。

ソニー ICレコーダー付きテレコ TCM−IC100

 TCM−IC100

ICレコーダーとカセットテープと同時に使えて、1万ちょっと、とにかく録音出来りゃいいという用途や予備用というかバックアップ用にいいんじゃないかな。

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ゼンハイザーのヘッドフォン on 激安!家電のタンタンショップ

名門 ゼンハイザー オーディオファイルヘッドホン HD595

ゼンハイザー  オーディオファイルヘッドホン  HD595

かつて、1980年代、ゼンハイザーのヘッドフォン使ってたことがある。こういう、1万円以上するようなのじゃなくて、もっと安いので、頭にかける部分がプラスチックなんだけど、オモチャみたいな感じのヤツでね、でもとても良かった。耳に当てる部分のスポンジ、黄色な派手な色だったが、ダメになって電器屋に尋ねたら、ちゃんとスポンジだけ交換品があった。たぶん、最後はどっかの線が切れて、片方鳴らなくなって使わなくなったんだと思う。それ以後は、ビクターとか、最近はもっぱらオーディオテクニカの安売りしてるヤツ。私は寝床に入って、寝転がってヘッドフォンを使う。そのまま寝てしまって、プラスチックのヘッドフォンを体の下敷にしたり踏んだりして、よく壊すのだ。ちゃんと起きて音楽聴くときは、こういうヘッドフォンを試してみたいもんだ。

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マイク・オールドフィールドのアルバムを入手するなら今 on JBOOK

1970年代初頭、マイク・オールドフィールド Mike Oldfield = 超ロック・ミュージックの登場、そして今……。

この 3月に新譜『天空の音楽』がユニバーサルミュージック株式会社から発売されたマイク・オールドフィールドであるが、彼のそれまでの作品としては、代表作である『チューブラー・ベルズ』は日本盤で何度も再発されているのだが、それ以外の作品の日本盤での入手は困難だった。私自身はというと、新譜は出ると買っているからいいのだが、このブログとか私のページで紹介しようにも、作品自体が入手しにくいとなると(Amazon とかで輸入盤を買えばいいとはいえ)、紹介するのに抵抗があった。ところが、今見てみると、ヴァージン・レコード時代の一連の作品が昨年秋から冬にかけて株式会社EMIミュージック・ジャパンから再発されているではないか。これは、マイク・オールドフィールド作品を入手するとなると、今が絶好のチャンス、日本の CD事情ではすぐ店頭から無くなると思うからね。

いくつかを紹介。

オマドーン』 衝撃の 1000回ダビングでデビュー、ヴァージン・レコード第1弾『チューブラー・ベルズ』、『ハージェスト・リッジ』と続くシリーズの末尾を飾る 1975年頃の作品、『ハージェスト・リッジ』のトラディショナルなノスタルジーはさらにアフリカへの回帰につながるが、ラストの美しい歌の後、マイク・オールドフィールドは一体どこに行くのだろう、果して次のアルバムは出るのか、と思わせた。

インカンテイションズ』 復活、マイク・オールドフィールド、長髪を切ったマイク(同時期にエンケンも)だが、ジャケットの短い髪のマイクは、これはこれで宗教外人みたいで心配になった(笑)。分厚いサウンドの二枚組だが内容的には、それまでの作品とつながった感じ。

プラチナム』 YMOがおそらく世界ツアーの準備をしていた頃、マイク・オールドフィールドの新生面として話題になったディスコ調シングル「ギルティ」、そしてアルバムでの新生面を伝えるのが、この『プラチナム』だ。『チューブラー・ベルズ』以外で私のイチオシである。A面「プラチナム」組曲でのプレゼンスなギター! 美しい。

クライシス』 1980年代のマイクの代表曲といえる「ムーンライト・シャドウ」を含む、このアルバムの日本盤タイトルは『ムーンライト・シャドウ』だった。

アース・ムーヴィング』 1982年に一度、来日してコンサートを開いたマイクだが、この時期には日本に就航するヴァージン航空の PRに リチャード・ブランソンとともに来日、報道陣を前に飛行機の屋根に登るパフォーマンスを見せ、週刊誌(“週刊宝石”だったように思うが、確証はない)のグラビアの雑多なニュース記事に、社長よりはしゃいじゃってると書かれた。短い曲ばかりのアルバムで、タイトル曲「アース・ムーヴィング」やラスト・ナンバーなど私は気に入っている。この時期のマイクはコルグの M1を使っていたはず。

アマロック』 LP時代は『チューブラー・ベルズ』などの長い曲も A面 B面に分かれていたけど、1990年代を迎えようとする頃、CD 1枚 60分丸ごと 1曲の圧巻のマイク・オールドフィールド世界が登場。ギターのアイデンティティを求めての彷徨を描く。


CDは e-hon、amazon.co.jp、楽天ブックスでも販売中。

“amarok”とは、 Mike Oldfield マイク・オールドフィールド on リッスンジャパン、JBOOK

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ヒカシューの新CD『生きること』

ここで紹介した一昨年秋の 13年ぶりのスタジオ録音アルバム『転々』昨年春のシングル「入念」に続く新アルバム『生きること』が 4月25日発売……なのだが、先行予約でお金払ってたら、昨日郵便でアルバムが届いた。シングル「入念」と「デジタルなフランケン」の新ヴァージョンを含む本作は、一聴したところの印象では、アヴァンギャルドな『転々』と違って基本的には普通の歌物、でもそりゃもちろん 2008年春に先鋭なヒカシューである。

巻上公一のページの『生きること』注文ページ

livedoorデパートのショップ

内容に乏しい私のヒカシューについてのページ

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ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドの覚え書き

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド on JBOOK」で、この間紹介した、再発CDは東芝時代のもので、「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などのヒットとライヴで日本のロックシーンに確固たる地位を築いた時期のもの。1980年に入るとともに東芝を離れ、今までの曲を封印、バンド名に「ファイティング」を加え、よりロックに根ざしたアグレッシヴな活動を求める。大手レコード会社の制約から逃れて作られた自主制作のライヴ盤『海賊盤』は、ライヴ会場で発売された。

その『海賊盤』、レコード店は銀座の山野楽器のみで発売されているというので、あまり用のない銀座まで行って買ってきた。のちには EPICソニーから発売されたが、自主制作版の方はジャケットが茶色のボール紙、EPICソニー版の方は銀箔。

簡単な印象、堕胎のことを歌った、阿木燿子作詞の「いい子でいなさい」が渋いブルース・ロック・歌謡。同じく阿木燿子作詞の「シャブ・シャブ・パーティ」、小市民のわだかまった心情を歌った挑発的な曲。島武実作詞「TOKYO豚 -Y-」、歌詞からすると「トコトン」と読ませるのか? セックスのことを歌ってるらしい。宇崎作詞作曲「Ashi-ga-tsuru」セックスのことを歌ってるらしい。沖縄民謡っぽいメロディのある曲。阿木燿子作詞「MY BODY」セックスのことを歌ってる、つうか、気取ってないで叫んでみろよって歌詞。「春のからっ風」泉谷しげるの代表曲の一つで、アナーキーものちにカヴァー。「堕天使ロック」ジャックスの曲で岡林信康も歌ったはず。これで内容の半分くらいか。

「堕天使ロック」は 13分に及ぶヘヴィなナンバー。ジョン・レノンが殺害された日に渋谷ジャンジャンでのライヴに行った。待ってる間に流れたのは『ジョンの魂』で、前座に確か、アンタッチャブルというギターの二人組が出て、それから登場した宇崎が、山口百恵も王、長島監督も引退するし、世紀末という感じだ……今日はジョン・レノンの曲は出来ないが、追悼の意を込めてせいいっぱいやるというような意味のことを言ってライヴが始まった。ライヴのハイライト的な、延々と続く「堕天使ロック」は圧巻だった。カヴァーでは「春のからっ風」もやったが、山崎ハコの「ララバイ横須賀」もやって、いかにもの、いい選曲だと思った。これはレコードで聴きたかった。

1981年、半年の休業(その間に各自がソロ・アルバム発表)後、1981年秋にEPICソニーから出た唯一の(というのは、81年の暮れで解散したから)スタジオ録音アルバムが『We Are DOWN TOWN Street FIGHTING BOOGIE WOOGIE BAND』。メンバーがそれぞれ楽器を構えたジャケットの写真は篠山紀信。デザインは島武実。アルバム名からうかがえるように、ストリートでゲリラ・ライヴをやるようなバンドの私語りに終始したようなアルバムで、力の入り方が空回りな印象だった。それでも、もともと好きだったダウン・タウン・ブギウギ・バンドが 1980年とともに「ファイティング」をつけてやるというのを聞いて、ロックはやっぱ、こうこなくちゃなあと思った私は当時繰り返し聴いた。結局は B面ラストの唯一のバラード曲、阿木燿子作詞の「波止場」時代という波止場に夜中、謎の荷物が積み降ろされているという曲が、聴かせた。

現在、CDは出てないみたい。ライヴのDVDはあるようだ。

期待したダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドがさっさと解散して、私は、しょぼんとしてしまったが、しばらくして宇崎竜童が(ソロ・アルバム 2枚の後)、竜童組を始めたのを知って、ロックとファンクと和太鼓でとにかく盛り上がる、その方向性に納得したのであった。

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ジアーズ「長崎ごころ」

webをいろいろ見てたら「ジアーズ」というのが目に入った。なんだったのか、今改めて調べると、一つは新しい映画の題名らしい。もう一つはフィギュアが売られている「ぼくらの」というアニメの巨大ロボットだという。

私が言うジアーズというのは、1970年、大阪万博の年の秋頃に「長崎ごころ」という曲が、ちょっとだけ売れた歌謡男性コーラスグループ。「ジアーズ 「長崎ごころ」」で検索してみると、中古レコード屋さんの商品リストらしいページがあった。http://www2.neweb.ne.jp/wd/samidareya/EPenkotoko-sa.htm コメントには「名曲」とある。ビクターだったんだね。

「長崎ごころ」という題名で、男性グループということは、おそらく、前年のクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」を意識してるのだろうね。今、大体の曲のメロディは思い出せるが、「長崎は今日も雨だった」的なタイプの曲で、もうちょっと演歌っぽいか? この曲が記憶にあるのは、その頃トランジスタ・ラジオを買って、昼間の歌謡曲がかかる番組とかよく聞いてた。ビクター・レコードの曲をかける番組もあったし、そこで CMも打たれてたりしたように思う。聞くとわりといい曲だったのだ。さらに日曜の昼頃、番組の間と間の短い空いた時間に、歌謡曲の最近で言うプロモ・ビデオをそのまま流すような番組があって、そこでも、この曲がオンエアされていた。

クール・ファイブとか東京ロマンチカとか、そういうビッグネームなグループじゃないし、曲も、この「長崎ごころ」一曲だけで記憶されるグループのようではあるが、ある程度の年齢(50歳以上くらい)で、歌謡曲がかなり好きな人なら、知ってる人は知っている、くらいの知名度はあると思う。

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NW-E023F と新しいパソコン on 家電のタンタン、クレバリーeショップ

2006年の夏からソニーのネットワーク・ウォークマン NW-E003 を愛用している。ネットワーク・ウォークマンと言っても、私の場合、持っている CDを付属ソフト、“SonicStage”でパソコンに取り入れて、転送して寝床で聞くという使い方である。後継機種を紹介する。

NW−E023F

NW−E023F


曲管理用ソフトの“SonicStage”であるが、最初、相当古い Windows98時代のパソコンで使用していて、めちゃくちゃ動作が重くて閉口していたが、パソコンを CPU 2GHz以上、メモリ 1GB、Windows XPの新しい機種に替えてからは快適に動作している。

新しいパソコンは、余計なものがついてなくて、自分で注文時にカスタマイズ出来るショップ・ブランド(BTO = build to order)がいい。私はクレバリーBTO パソコンを使っている。

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NW-A916 on 家電のタンタン

私の愛用している ソニーのネットワーク・ウォークマン NW-E003の後継機種として「NW−E016 on 家電のタンタン」を紹介しているが、( 2008.2.26 店頭に無くなったので記事削除)今日は上位機種を紹介する。それと同時に私の恥ずかしい話を聞いてください(笑)。

というのは、私は NW-E003で曲ごとの頭出しでなくて、一つの曲の中での早送り、巻戻し(カセットテープレコーダーで、キュルキュルと音立ててやる、アレに相当するもの)が出来ないと思い込んでたんだよね。今、改めて調べてみたら、マニュアルが検索されたので、それを見たら、出来るじゃないか。単に頭出しのボタンを再生中に、ずっと押しておけばいいのだ。いや、そうじゃないかと思って、やってみたこともあるのだが、うまく行かなかったのだ(再生中じゃなかったのか?) 。それで出来ないと思ってたのだね。普通出来るよなあ。もう削除したけど、過去の記事でも、堂々と、出来ないのが残念だ、みたいなこと書いてたのだ。ああ、恥ずかしい。

さて、それはともかくとして

NW−A916

NW−A916<br />
NW−A916


ワンセグチューナー付き。16GBで 4万円近いのもあるけど、私はまあ、これで十分なんじゃないかと思う。

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1980年代後半によく聴いた、日本のロック・アルバム、別枠

別枠っつうか、前回「1980年代後半によく聴いた、日本のロック・アルバム」の話の流れで出てこなかったのは、竜童組。80年代後半というと、2枚組のセカンド・アルバムからサード・アルバム。4th アルバム『from ASIA』は 1990年に入ってからだっけ?

ヒカシューは、インディーズ・レーベルで出した『日本の笑顔』がコロムビアから再発されて、続いて『水に流して』というアルバムが出て、次にはクラウンから『人間の顔』。

そういうものを聴きながら、アイドル物では小泉今日子のアルバムは必ず買うようになったし、山瀬まみの『親指姫』とかね。で、そうして紹介してみても、今、商品としてリンク張れるのはサザンの『kamakura』くらいだという……。

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1980年代後半によく聴いた、日本のロック・アルバム

もうその頃には、巷のロック・シーンにはまったく興味なくなってた。

サザンの『kamakura』

アナーキー改めザ・ロックバンド『アナーキー』、この中の「ボーダー」って曲は、最初は分からなかったけど、“漫画アクション”連載中の『ボーダー』のことを歌ってたんだよね。そして小林武史がアレンジで参加している『四月の海賊たち』はよく聴いた。

鈴木賢司の『PURE ELECTRIC』 など。

そして……アイドル本田美奈子がロックやりたいっつうとるんじゃ、聴いたりいや。ジャーナリスト石丸元章も“投稿写真 1988年10月号でこう言っている。p.66〈ところで最近ラ・ムーとか美奈子のバンドを昔からのロックやインディーズの連中がバカにする風潮はやめてほしい。〉

MINAKO with WILDCATS 全曲松本隆作詞、シングル・ナンバーの清志郎作曲「あなたと熱帯」を含むファースト・アルバムは、これはよく聴いたよ。第1曲目「We are WILDCATS」から血湧き肉踊った。

ちなみに海外の新譜としてはアート・オヴ・ノイズを聴いていた。そうしてるうちに、1990年になろうとする頃、やっとひさびさにエンケン新譜、ソノシートの「壱円玉よ永遠なれ」と、シングル「エンケンのミッチー音頭」、ライヴ二枚組CD『不滅の男』が出たのであった。

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“BURRN!”の レッド・ツェッペリン コンサート・レポートを立ち読み

もう音楽雑誌を手に取ることは、あまりないが、ジミー・ペイジとロバート・プラントの表紙がいくつか並んでる。ドラムス、範馬の血を継ぐジェイソン・ボーナムで再結成のコンサートがあったという。“BURRN!”を、これも 10年ぶりくらい?に手に取って、伊藤政則 のレポートを立ち読み。再結成……どうでもいいとは思っておったが、いいコンサートらしくて安心した。ボブ・ディランが初期に取り上げたブルース「死にかけて」、『フィジカル・グラフィティ』の A面はいいよなあ。……で、今日。

「毎日jp」
http://mainichi.jp/enta/geinou/graph/200801/28_4/
「ジミー・ペイジ:「エリカ知ってる?」に「別に……」 「ツェッペリン」アルバムPRで来日」

……なんや、そりゃ。

〈「再結成ライブに女優の沢尻エリカさん(21)が、交際中のプロデューサー、高城剛さん(43)と訪れたことについて聞かれたペイジさんは、英語で「別に……」と答え、〉

……どういう記者か知らんが、あまりに恥ずかしいだろう。この記事は西村綾乃という者が書いているが、〈「天国への階段」「限りなき戦い」などロック史に残る名曲〉 普通、こういう場合は「胸いっぱいの愛を」「天国への階段」じゃないのか。珍しいヤツ。

「SANSPO.COM」
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200712/gt2007121207.html
「伝説復活!ツェッペリン、再結成ライブで16曲を熱唱」

〈「天国への階段」「胸いっぱいの愛を」など代表曲を連発〉

普通、こうだよ。

今回の来日はベスト盤『マザーシップ~レッド・ツェッペリン・ベスト』と『永遠の詩』のプロモーションだというが、2枚組のベスト盤聴くなら、ファースト・アルバムとセカンド・アルバムを聴いた方がいい。この 2枚聴いてダメだったら、そこで終わり。もっと聴きたかったら全アルバム聴くことになる。全アルバムといっても、『永遠の詩』除いて、7枚+ 2枚組 1組。


レッド・ツェッペリンの一連のアルバムがネット配信開始 on リッスンジャパン


CDは e-hon、amazon.co.jp、楽天ブックスでも販売中。

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タモリの『戦後日本歌謡史』の思い出

日経関係かアスキーか、どっかのIT系ニュースサイトでタモリの幻のアルバム『戦後日本歌謡史』について書いていて、ブックマークをつけてなかったから、どこだっけと探してみたけど、分からなかった。タモリのアルバムが CDで出るのに、これだけは出ないんだなあという、そういう話みたいだね。

私は、タモリのアルバムでは、これだけをちゃんと聴いてるんだよね。というのは、タモリのアルバムは私にとっては、その頃、LPのアルバム、月に 1枚買えるかどうかという中での優先順位は、わざわざお金出して買うほどのものとは感じなかったから。そうするうちに、この『戦後日本歌謡史』が出せないという話になって、1981年の初夏くらいだと思うが、たまたま“本の雑誌”を買ったら(買ったのは、この一度だけだったと思う)平岡正明が「タモリと巻上公一を応援せよ」とか、そういうタイトルの文章を書いていた。タモリは、この『戦後日本歌謡史』、巻上公一はヒカシューのサード・アルバムの『うわさの人類』について、推している内容の文章だった。ちなみに『うわさの人類』はカルト映画の古典『フリークス』にインスパイアされたというアルバムだが、普通に東芝からアルバムが出ていて、そうやばい内容でもない。

『戦後日本歌謡史』は完全に出なかったわけではなくて、新星堂チェーンでだけ売られていたとか、なんとか、そういうようなことだったようで、私はその頃、一時利用していたレンタルレコード屋で見つけて、借りてきて、カセットテープに取り、よく聴いた。一聴、爆笑出来るというようなものでもないが、繰り返して聞く作品としては、その方がいいのかも知れない。ある程度、その頃までの戦後の歌謡曲を知らないと十分楽しめないかも知れない。

こないだの「なぜか主題歌が思い浮かぶロボタン」同様に、このアルバムのいくつかの曲は、今も雑用しながらとか、ふと頭に浮かんできたりする。

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ダウン・タウン・ブギウギ・バンド on JBOOK

日本ロック史の優れた解説ページを見つけた」で書いたように、1月23日に再発されるらしいダウン・タウン・ブギウギ・バンドのアルバムを紹介する。

ベスト・アルバム『傑作大全集』の年譜によると、1973年 2月に宇崎竜童ソロのステージ、4月にダウン・タウン・ブギウギ・バンド結成。

『脱・どん底』

デビューアルバム。1974年 5月発売。当初収録予定の「網走番外地」は「山谷ブルース」に差し替えになったという。この頃、レコード発売時に歌詞が問題になるアーティストの三羽烏が頭脳警察、あのねのね、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドだったと三橋一夫『フォークってなんだ』日本放送出版協会から 1979年に出た本に書いてあった。

『続 脱・どん底』

『続 脱・どん底』

1975年 2月発売。「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が 1975年春に大ヒット、一躍人気グループに踊り出た。リーゼント、サングラス、つなぎでドスの効いた不良のイメージと「スモーキン・ブギ」などでのマンガっぽいユーモアが受けた。「賣物ブギ」で毒のあるところも見せる。「スモーキン・ブギ」のシングルは 1974年12月発売。「カッコマン・ブギ」とのカップリングの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は 1975年 3月発売。7月には浅草国際劇場で「納涼夢のツッパリ大行進」というコンサートが行われているが、出演は菅原文太、野坂昭如、黒田征太郎など。この時代の「ツッパリ」のイメージが後世のそれとは、かなり違うらしいことが伺える(笑)。

『ブギ・ウギ・どん底ハウス』

1975年12月発売。「スモーキン・ブギ」と同スタイルの「商品には手を出すな」、んまー、これは渋いよ。「涙のシークレット・ラヴ」というバラードの名曲もある。年の暮れには NHK紅白歌合戦出場。この時代にロック系のアーティストが紅白に出るというのは画期的なことだった。

『G.S』

1976年、GS再評価以前の、GSのレコードがほとんど手に入らないというときに、GSを再現したアルバム。宇崎竜童は大学出てから、歌手デビューするまで C級GSのガリバーズのマネージャーをやってたりしたという。これは角川文庫から出た『ブギウギ 脱どん底・ストリート』という本に書いてあった。

1977年 1月17日「11PM」で宇崎、「俺たちゃカタカナエンカよ」発言。なんか重要な発言だったらしい。1980年代になって「ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド」になったときには、えー、何の記事か忘れましたけど、今はロックって言い切れるねと言っていた。

こういうカヴァーのシリーズ物で、『あゝブルースVol.1』から『Vol.3』まであって、今これが一番聴いてみたいのだが、発売延期という。バラードだがロックである、代表曲の一つであり、竜童組でも取り上げられたタイトル曲を含む『身も心も』も発売延期。このアルバムが一番最初に私が買ったアルバム。その次がベスト盤の『傑作大全集』だった。

ベスト盤としては『VERY BEST OF ROCK & BALLADS』という二枚組が出るようだ。

『VERY BEST OF ROCK & BALLADS』


CDは e-hon、amazon.co.jp、楽天ブックスでも販売中。

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日本ロック史の優れた解説ページを見つけた

“Rolling Stone”日本版「日本のロック名盤100」は、どんなもんだろうね」で書いたように、あの記事にあがっていた 1960 〜 1980年代初めにかけてのアルバムはよく選ばれてたんじゃないかと思う( それ以降の時期は私はロックより女性アイドル、だった)。でも、ああいう記事を参考に「入門」するのってダサい、〈そういう名盤シリーズとか、カタログ本みたいなの頼りに聴いていくってのは違うと思うな。なんつうか、全然ロックじゃねえ(笑)。〉とも書いた。ミステリ小説はまあ、ちょっと初心者向けの本ってのはあるが、大体、サブカルチャー的なものに「入門」とかお勉強みたいなものが必要なのか? 聴きゃ分かるだろ、読みゃ分かるだろ、と思うだが、ある程度読んだり聴いたりして、何か言いたくなったとき、一応歴史とか知っておくと役立つ。その場合、信頼出来る情報に頼りたい。

何が言いたいかというと、日本のロックの歴史を解説した、とても簡にして要を得たページを発見したから、それを紹介したいってことです。

タイトルは「music1」となってるが、「日本ロック通史(第一部 1956〜1978)」、実は『J−ROCKベスト123』(講談社文庫・1996年6月)という本の中にある文章が公開されているのだね。筆者の篠原章という人は大東文化大学の社会科学の先生だが、音楽関係の本も書いている人のようだ。

優れた内容の文章にあえて不満を言えば、〈七〇年代中盤以降の歌謡曲化したフォークを「ニュー・ミュージック」ということもあるが、彼らはロックの相対化とは無縁で、新しいポップへの意志も備えていなかった。したがって、本書では彼らをニュー・ミュージックに含めなかった。〉とある。“ミュージックマガジン”が 70年代まで“ニューミュージックマガジン”という雑誌名だったように「ニュー・ミュージック」という言葉には、そういうポジティヴで〈ロックの相対化によって生まれた新しいポップへの意志とそれを具体化する試行錯誤のプロセス〉があったんだろうけど、著者より 3歳年下の私が 1970年代後半に普通にマスメディアで使われているのを見たり聞いたりした「ニュー・ミュージック」という言葉は、軟弱化してコマーシャルになったフォーク的な音楽をいかにも若者向けの新しい流行の音楽のように装わせて、売りまくろうという魂胆に満ちた使われ方の方が多かったと思う。情けなーくなってしまったフォークの成れの果て、みたいな……具体的にアーティスト名や曲名をあげるのは控えるが、なんでこんな曲が売れてるの?って思いを、ラジオを聞いて、よくしたものだった。

それから、“Rolling Stone”の記事もそうだったけど、1970年代後半を語るのに、なんでダウン・タウン・ブギウギ・バンドの名前が出てこないんだろうなーと思う。1975, 6年頃の日本ロック・シーンを語るには、その前の時代のキャロルに続いて欠かせない名前だと思うんだけどなー……と思って、CDを検索してみたら、一連のアルバムが下旬に再発されるみたいなんで、あらためて紹介記事を書く(なんて書いてますが、聞いてないアルバムの方が多い)。

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名曲「サテンの夜」、ムーディ・ブルース on リッスンジャパン

音楽配信リッスンジャパン、ザ・ムーディー・ブルース The Moody Bluesはどうか。60年代から 70年代のアルバムはあるのか? あの名曲「サテンの夜」は聴けるのか……もともとブルースロックのバンドだったムーディ・ブルースが、ビートルズが『サージェント・ペパーズ』を作った頃に、意欲的、先進的な作品を作るべく、オーケストラと競演したアルバムが、人生の一日を描いた『ザ・デイズ・オブ・フューチャー・パスト』で、その B面ラストに収録されてシングルヒットした、ロマンチックな哀愁の名曲が「サテンの夜」である。

『ザ・デイズ・オブ・フューチャー・パスト』は現在リッスンジャパンのラインナップにないが、“Classic Moody Blues”というベスト盤に「サテンの夜」は収録されている。その他のアルバムはというと、“Rolling Stone”誌の評価が高かったという『セヴンス・ソジャーン』はあるのだが、その前の『童夢』がなぜかない。『ザ・デイズ・オブ・フューチャー・パスト』と『童夢』の間の『失われたコードを求めて』や『子どもたちの子どもたちの子どもたちへ』はあるのにね。

私はというと、まだ LPを買い始めて間もない頃、「サテンの夜」のために『ザ・デイズ・オブ・フューチャー・パスト』を買って、これはカセットテープに録音して、これはもう、よく聴いた。その他のアルバムはお金があったら買おうみたいな気でいたら、いつまでも買えない。『童夢』を買ったときは CDを買ったのであった。それからしばらくして、新譜の“Sur La Mer”を買った。これはリッスンジャパンにある。ムーディ・ブルースはメロトロンを使うバンドとして有名だったが、この頃にはサンプラーに変わっていた。メロトロン担当のマイク・ピンダーは脱退して、リック・ウェイクマンの後にイエスに入ったパトリック・モラーツがキーボードを担当していた。ポップなアルバムだった。それからまた数年経って、やっと『セヴンス・ソジャーン』を買う。これが現在までの私の聴いた ムーディ・ブルースである。

どのアルバムだったかの帯で、ジミー・ペイジがプログレッシヴ・ロックで認めるのはピンク・フロイドとムーディ・ブルースだけだと語っていたというのが宣伝文句になっていたように思うのだが……と、念のために検索してみたら、ちゃんと Wikipediaのムーディ・ブルースの項に、ちゃんと書かれてんの。

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歌謡曲ブーム と「情報通信法」、宮台ブログからメモ

宮台真司先生のブログ、「M2Jpop批評(TBSラジオ)のオンエアは1月4日。予告編的な文章を書きました」によると〈昨今の三十年ぶりの歌謡曲ブーム〉、そ、そうなのか……“HOT WAX”だっけ、ああいう雑誌が出てることは知ってるけど……。30年ぶりって、30年前てえと、1977年頃。その頃、歌謡曲ブームだった? つうか、その頃って歌謡曲とニューミュージックしかなかったじゃん(笑)。当時にしろ今にしろブームって、どういうのを言うんだろうねえ……って、別にそれを深く突っ込むために引用したんじゃなくて、素直に、へえ、そうなんだと思ったからなんだが。それはそれとして……

マル激トーク・オン・ディマンド更新しました」ってのはネットラジオ?の内容告知だが、「タイトル:なぜネット上の言論を規制するのか ゲスト:堀部政男氏(一橋大学名誉教授・通信・放送の総合的な法体系に関する研究会座長) 」、気になる〈インターネット上のコンテンツでも放送並の規制を受ける可能性があることを意味していると受けとめることが可能〉な「放送と通信に関する法律を「情報通信法」(仮)に一本化」案だが、インターネットのコンテンツを規制する意図はない、しかし 〈あたかも報告書が「ネットの言論にも規制が必要」と提言したかのように一部で報じられ、それが一人歩きし始めている兆しも散見される。また、影響力を誰がどのような基準で測るかなど、一歩間違えば言論への政治介入となり得るような懸念も少なからず残る。〉つうことでね。

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ディープ・パープルと『ワイルド7』の時期

ディープ・パープルの活動時期(一般に言われているもの)
『ワイルド7』の作品時期(私が勝手に言ってるものだが、同じようなことを考えてる人がいるかも知れない)

第1期ディープ・パープル
1968年ファースト・アルバムから 1969年サード・アルバムまで。アート・ロックの世界

第1期『ワイルド7』
1969年“少年キング”連載開始「野性の七人」〜「ゆうかいのおきて」。古き良き少年漫画から脱皮

第2期ディープ・パープル
1970年『ロイヤル・フィルハーモニック』から 1973年『紫の肖像』まで。ヘヴィメタル様式美を完成

第2期『ワイルド7』
「コンクリート・ゲリラ」〜「死神を処刑」ワイルドっぽさが定着

第3期ディープ・パープル
1974年『紫の炎』『嵐の使者』新展開を模索

第3期『ワイルド7』
「地獄の神話」〜「熱砂の帝王」『「超高層の対決」

第4期ディープ・パープル
1975年『カム・テイスト・ザ・バンド』リッチー・ブラックモア脱退、トミー・ボーリン加入

第4期『ワイルド7』
「朝食に死を」〜「ガラスの城」


第5期『ワイルド7』
最終章「魔像の十字路」

……ぶんか社の文庫は「千金のロード」まで行ってるらしい。

『ワイルド7』5 千金のロード編


『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』 〔紙ジャケットCD〕


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レッド・ツェッペリンの一連のアルバムがネット配信開始 on リッスンジャパン

これはニュースだ(俺にとってはな)。

レッド・ツェッペリン、デジタル初配信!

記事引用---
「ジミー・ペイジはデジタル・リリースに対して、「我々は、レッド・ツェッペリンの全旧譜のデジタル配信開始を大変嬉しく思います。デジタル配信により、我々の音楽を聴くファンの購入の選択肢が増えることになります」との公式コメントを寄せている。
---引用終わり


まあ、すでに私の SONY NW-E003 には CDから取り込んだ、ファースト・アルバムから『コーダ』までのスタジオ録音盤は、全部入っているわけだが……いいことです。ある程度、ロック聴いてきてる、って人向けになるけどね。

リッスンジャパン レッド・ツェッペリン LED ZEPPELIN アーティスト・ページ

リッスンジャパンで試聴&ダウンロード


引用部分が大きい、もうちょっと、なんか書く? 長年の聴取に、おのずから愛聴曲と言える曲。『聖なる館』の「 ディジャ・メイク・ハー」、『 フィジカル・グラフィティ』の「流浪の民(“The Rover”)」あたり。『聖なる館』といえば、おがわ甘藍先生が『聖なる館』のジャケットを描いたのを見たいなーという夢がある。

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ブルー・オイスター・カルト『オカルト宣言』 を確かめた

ブルー・オイスター・カルト『オカルト宣言』 on JBOOK」で書いた CD 6曲目「ハーベスター・オブ・アイズ」と 7曲目「地獄の炎」(「フレーミング・テレパス」)の曲の切れ目ね、CBSソニーの紙ジャケ版、買ってみましたがね、結局、以前買った輸入盤と同じ。つまり、私は LPで聞いて 6曲目が終わり、7曲目のイントロで、赤ん坊をあやすようなオルゴールの子守歌みたいなメロディ(有名な曲だが名前を知らない)が流れ、一転ヘヴィな曲に入る。つまり、この子守歌から 7曲目だと思っていた。根拠はかつてラジオで何度も、この 7曲目をシングルカットしたものを聞いたから。曲の構成としても、イントロで雰囲気違う曲とか音を入れて、一転して曲に入るというパターンはよくある。ところが CDは この子守歌が終わる寸前、ドラムが入るところから 7曲目ということにしている。こっちが正しいんだろうか? どうも不自然だと思うのだが。まあ、いずれにしろ、このアルバムは通して聴くことが多いから、気にならないと言えば気にならない。ベスト盤も持ってて、それにも当然収録されてるんだけど(曲名が原題そのままの「フレーミング・テレパス」に変えられている)、アルバムでは子守歌部分のラストがフェードアウトするところとバンドの音が入るところが重なってるのに対し、ベスト盤は子守歌部分は、完全に消していて、いきなり曲に入る。どちらにしろ、ネットでこの問題を話題にしてるのは、私くらいしかいないようだ。今度の紙ジャケ版は、ラストに何曲か入っているボーナストラックが、ヒット曲「ワイルドで行こう」をヘヴィメタってやってるのも含めて、いい感じだ。

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陽水のインタヴィユーがあったので“論座”を手に取った

図書館に行って、雑誌のコーナーを見たら、朝日新聞社の“論座”という、ふだん手に取ったりしないというか、“朝日新聞”を購読してなかった家で育った私にとっては、“世界”や“諸君”は若い頃から知ってるけど、そんな雑誌あったの?って感が強い雑誌の表紙を見たら、井上陽水のインタヴィユーが載ってたので読んだ。表紙だけパッと見ると鈴木謙介と、もう一人名前を知らない演劇関係か何かの人が陽水のインタヴィユーやってるように見えたが、別の記事だった。

そういや、「“Rolling Stone”日本版「日本のロック名盤100」は、どんなもんだろうね」のあれを見たときも、『氷の世界』あたりあってもいいのにと思ったが、まあエンケンとユーミンが載ってるのでいいか、みたいな。

“論座”のインタヴィユーの人が、過去のインタヴィユーで陽水があー言ってるこー言ってると言うのんで、陽水が、芸能人である自分に、そんな首尾一貫した発言を求められても困る、みたいなことを言ってるのが可笑しかった。陽水が芸能人であるってのはしごく当然なんだけど、1970年代中頃の、陽水ブームの頃は、既成の芸能界の歌謡曲対フォーク、ロックって図式があったから、その頃を知ってる人の中には、フォーク、ロックの歌手とか深夜放送ラジオの DJとかって、僕等の兄貴(笑)、代弁者、仲間ってイメージがまずあって、芸能人っていう認識があまりなかった人も結構いるのではないか。

私自身はというと、その陽水ブームのときに、富澤一誠が、あまり有名でない、なんとかブックスから『俺の井上陽水』という、東大中退して音楽評論家やってるナウな俺自慢のかたわら陽水について、あれこれ書いた本を読んだ。その中にファースト・アルバムの『断絶』の中の「白い船」という曲を、スポーツ新聞で自作を語る、みたいな趣旨で陽水が書いた文章があって、それが、歌謡曲の伝統的な、お涙頂戴の受ける曲に、いかにして仕上げたかみたいなことを諧謔的に書いていたのを取り上げて、、陽水の芸能人志向というか、歌謡曲の歌手みたいな存在でありたいみたいなことを指摘していた。それを読んで、その部分だけは、なんというか、ちょっと教えられた、みたいなところはある。その本は手元にないので漠然とした話、細部は事実誤認があるかもしれないが。
(2007.11.5 文章修正 「スポーツ新聞の自作を語るみたいなコーナーで陽水が語った文章があって、」 → 「 スポーツ新聞で自作を語る、みたいな趣旨で陽水が書いた文章があって、」、「諧謔的に書いていて、」 → 「諧謔的に書いていたのを取り上げて、」 )
(2007.11.5 文章追加 どの程度、指摘していたのか相当記憶があいまいだが、少なくとも「芸能人としての陽水」というと、私は真っ先にその本のその部分を思い出す。若い人なんかは、芸能人でないというより、一種の文化人みたいな認識もあるのか?)

(2007.11.5 「エンケンなんかも〜分かるね。」以下削除、文章追加 そう見当外れのことは書いてないつもりだが、文章の勢いで適当なことを書くのは自重する。この文章だけ残す(笑)。「ただ、みんな仲間だ、手をつなごうみたいなことばっか言ってるうちに情けないニューミュージックばかりになって、しっかり金だけはファンからしぼりとってるってありかたとは違うなあ、みたいなことは分かるね。」)


『氷の世界』 井上陽水

『氷の世界』

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あと、“論座”の記事では小熊英二という人が新左翼の歴史の一面を語っていた記事は、ちょっとなるほどと思った。1960年代後半の学園紛争の時代、男性連中が大局的なことをめぐって討論会とかやってるときに女子が当然のようにお茶くみ係だったり、デモのときは、おにぎり部隊だったりという、これは何かで読んだことあるが、そういう既存の保守的な集団とあまり変わりがなかったというね。んで、1970年安保が通って、大局的な連中やっぱりダメじゃんっていう挫折感の中で、ウーマンリブが出てきたり、水俣病の支援とかいろいろな団体を支援したりするっていう運動になってきて、1980年代に西欧の「緑の党」的なありかた、大局的なことをあれこれ言うんじゃなくて、まず身の回りの問題を解決しようっていう行動、でも、それだと大きく政治を動かすというところまでは行かない、って感じの解説だ。

1970年代の暴力的な作品主体のエロ劇画、当時の雰囲気を知ってる私らからすると当然みたいなのだが、美少女マンガしか知らない若い人から見ると、絵柄を別にしても疑問に思えるらしい。上記の解説を参考にすると、なるほど、当時のノリはつまりその1960年代後半の学園紛争の時代のノリで(劇画全共闘などと呼ばれた)、既成の体制にべったりの正義の味方への反発、(革命的な?)暴力肯定みたいなものがあって性の開放とかも叫ばれたが、男女関係に対する意識は、お茶くみ、おにぎり部隊のエロ・ヴァージョンってわけだな。

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ブルー・オイスター・カルト『オカルト宣言』 on JBOOK

完全限定紙ジャケットで出たブルー・オイスター・カルトのヘヴィメタル名盤『オカルト宣言』

オカルト宣言

原題は“SECRET TREATIES” 。これは、この 6月に CBSソニーから完全限定版紙ジャケで出てる。これが国内盤の CDがずっと出てなかったのよね。で、タワーレコードだったと思うが輸入盤を買ったら、肝心の 7曲目、LPでは B面の 3曲目かね、「フレーミング・テレパス」となってるが、当時の邦題「地獄の炎」、これがですな、1974年夏の真っ盛り頃、シングルカットされて、ラジオは「大橋巨泉のポップス・ナウ」で繰り返しかかっていた。曲目紹介はパートナーの一谷伸江だったと思うが。冒頭が有名な子守歌みたいな曲が挿入されているのだが、これが 輸入盤 CDでは 6曲目のエンディングにされていたので、がっかりした。アルバム通して聞くときには問題ないんだが、1曲聞くときは、あのイントロじゃなきゃダメなのだ。それがどうなってるか。ちなみに CDのベスト盤も、あのイントロ無しのままだった。

ニューヨークの地下の帝王と言われた(笑)、ヘヴィメタルの有名バンド、デビュー当時のキッスが前座だったらしいが、そのうち、立場が入れ替わってしまったという……(笑)。パティ・スミスが歌詞を書いてたりするサブカルチャー志向インテリ受けのするバンドだったのだね、当時のニューヨークでは。日本ではオカルトブームで映画『エクソシスト』が大ヒットしたりしていた世相を狙ってか、タイトルもストレートに『オカルト宣言』。縮小されてて分からないが、ジャケットの飛行機の操縦席には、ドクロがいる。


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『イン・ロック』 と「志ん朝の深夜営業」で流れた「紫の炎」

ヘヴィメタルというジャンルを切り開いたディープ・パープル第二期、最初のスタジオ録音新作アルバム、1970年発表『イン・ロック』 "DEEP PURPLE IN ROCK" 、A面第 1曲「スピード・キング」、これにはイントロでジョン・ロードがクラシカルなオルガンを弾いているヴァージョン、さらに加えてリッチー・ブラックモアがギターを弾いているヴァージョンもあるらしい。1980年頃発表された、第二期から第三期までの代表曲を収めた『ディーペスト・パープル』 "DEEPEST PURPLE" にはオルガン・ヴァージョンが収められている。ジョン・ロードのオルガンは好きだけど、この『イン・ロック』「スピード・キング」に関しては、イントロに余計なものがなく、いきなり始まるのがいい。アルバムの最初から最後までヘヴィでラウドな音が高濃度に圧縮されて詰まっている感じがたまらない。

初めてディープ・パープルを聞いたのは、発売された「紫の炎」がラジオで流れたのを聞いた。それ以前に「ウーマン・フロム・トーキョー」も、なんだか曲名は聞いたような気がしたが、実際にラジオで聞いて、これはいい、と思ったのは「紫の炎」だ。1974年の 3月。その頃、TBSラジオの深夜は、平日は「パック・イン・ミュージック」をやっていたが、土曜深夜(日曜早朝)だけ、古今亭志ん朝が「志ん朝の深夜営業」という番組を、名前は忘れたが女性アナウンサーと一緒にやっていた。古今亭志ん朝がやっているだけに三田村鳶魚の『江戸っ子百話』という本を毎回読んだり、三波春夫の歌謡浪曲が流れたりしたが(これも良かったのを覚えている)、それ以外は普通にポップスをかけたりする番組で、「紫の炎」を聞いた。その頃、もうロック的なものが聞いて気持ちいいという傾向はあったが、初めてヘヴィメタル、当時日本で言われたところのハードロックを聞いて、これだ!と思ったのは、「志ん朝の深夜営業」で志ん朝さんが曲目紹介した「紫の炎」だった。ヴォーカルがデヴィッド・カヴァーデイルに代わった第三期の始まりとなる名曲である。もちろん、上記『ディーペスト・パープル』にも収録されている。


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“Rolling Stone”日本版「日本のロック名盤100」は、どんなもんだろうね

変態ぴったりフェチ(または、ぴっちりフェチ)娘(ただし美少女)が表紙の、“Rolling Stone”日本版、9月号が、ずっと前紹介した、その頃は「東京(仮)」という名前だったのが「ユニバーサル」という名前になってて、現在は「幻のサーカス」という名前になっているブログ http://www.jarchive.org/blog/ の「ローリングストーン日本版 2007年9月号」で紹介されている。「日本のロック名盤100」という記事とかあって、つっこみどころ満載と書かれているので、どんな記事だろうと立ち読みしてきた。

その前に、“Rolling Stone”という雑誌が存在してるのは知ってますが、その日本版って、どうだったかね。ずっと前にあったように思うのだが……今回見たら、聞いたことないような会社が出してるけど、ずっと出てたものなのか、途切れて、また新たに出たものなのか……調べれば分かるんだろうけど、最近、音楽雑誌などは本屋で手に取ることもないので(以前は“ミュージックマガジン”くらいは手に取ってた)、まあどっちでもいい。にしても、雑誌の雰囲気、今「やっぱりロックだぜえ」みたいなノリが、若者に対して有効なんだろうかね。後、インクは何を使ってどうとかいうエコロジーは、今どきだなあって感じか。


「日本のロック名盤100」というのは、日本のシーンは“Rolling Stone”以前だということで、それではいけないと、編集部が内容に責任を持つ「名盤」記事なんだそうだ、結構なことです。私に分かるのは、1970年代から 80年代初頭までで、その期間に選ばれてるものについては大体文句ない。きちんと選んでるなと思うし、時が経てば、時代を代表するものというのも、これだけ純化してくるんだなという感慨もある。後で落ち着いて考えると、70年代後半では日本のロックでダウン・タウン・ブギウギ・バンド一切なしか、アルバムでこれはという代表作がないからかなあとか、私としては 1980年代初頭ならヒカシューは入れたいとかあるが、大体はいい。ユーミンの『ひこうき雲』をいれているところとかいいと思う。

1970年代当時10代の若者だった私から見ると、あまりに選ばれてるものが純化されすぎてて、70年代って、これだけで済むものか?という印象はある。同じ名盤として認識するんでもさ、当時音楽といえばラジオを通して聞く、歌謡曲からジャズ、クラシックまで、雑多な諸々の中から、これがロックだというものを選んで聞いて、自分の中で名盤となって行くのと、最初から、お客様、こちらに用意してございますってあるのとでは、かなり違う。76年頃っていうと、ニューミュージック全盛で、それは聞いてて情けないものが多かった。“週刊明星”か何かで、ユーミンに続くニューミュージックのスターを探せとかなんとか、まあそんな風な、監修・富澤一誠みたいな(笑)記事があって、その中で、わずかに紫とか四人囃子とか紹介されてるという、そんな感じか……。ラジオで言うと、TBS深夜「パック・イン・ミュージック」水曜、林美雄が頼り、みたいな。泉谷しげるだって、最初から『'80のバラッド』があったわけじゃない。そこに至る道が、72年頃のフォークの人気者として登場したときから、あるわけで。そういう諸々というのは、まあ当然だが、伝わらない。

私が、そこそこロックを聴き出して、自分のこづかいで LPが買えるようになった頃、ロックの名盤廉価盤シリーズみたいなのが初めて登場した。ほどなく、講談社から『ロック&ロック200』とかいうペーパーバックのカタログ本が出たりして(ジャズ版もあった)、そういうのを見るのも面白いんだけど、やっぱり、そういう名盤シリーズとか、カタログ本みたいなの頼りに聴いていくってのは違うと思うな。なんつうか、全然ロックじゃねえ(笑)。
これだよって出会いがないとね……って、今そういう出会いがあるのかどうか分からない。そもそも、この時代に、どんどん売るための CD作って雑誌とかで宣伝して若者に金使わせるっていう、そういうビジネスモデルって、まだ有効なのかねえ?

まあ、私が直接、そういう若者に何か言うなんて機会はないのだけど、ロックといや、ジジイに対して反抗してりゃいいと思ってたものが、いつのまにか若者の皆さんが後にズラッといて、その若者の皆さんに対して言う言葉は……「おめえらにこれが分かるわけねえ、聴くな」か?(笑) ……まあ、ロックンロールというか、アニマルズやヤードバーズなんかのイギリスの 1960年代前半のバンドが 1950年代のロックンロールをカヴァーする、みたいなノリね、本当にこれがロックの基本だな、みたいな、ああいうんだと年齢にこだわらず、一緒にやれそうな気はする、聴くんじゃなくてプレイだが。


ちなみに、この記事の 1970年代のアルバムだって、半分ほどしか聞いてないよ、私は。フラワートラベリンバンドなんて、リアルタイムで活動している小学校 5、6年の時から名前は知ってるけど、ちゃんと聴いたことないよ。後、20パーセントくらい財布と時間に余裕があれば聴くけど、みたいなのがいくつもある。そういうもんだろ。


80年代ではサザンの『人気者で行こう』を選んでるところなんかも分かってるって気はする。この後、2枚組の渾身の大作『KAMAKURA』が登場するのだ。原由子が歌う「鎌倉物語」という曲もある。

なわけで、引き続き『鎌倉ものがたり』

鎌倉ものがたり 20


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『タルカス』 エマーソン、レイク&パーマー on リッスンジャパン

エマーソン、レイク&パーマーは、最初は友だちに『展覧会の絵』を貸してもらって聴いた。そのテープは今もある。次に『タルカス』を私にしては珍しく輸入盤を、その頃はまだ、そうあちこちになかったタワーレコードで買った。それから今まで聴いているアルバムは、この 2枚だけだ。他は、興味がないことはないけど、財布の中身と相談して無理に聴かなくてもいいような感じがするから……しかし、『タルカス』は今は CDで持っている。特に A面の「タルカス」組曲は聴くとクセになる。

『タルカス』 エマーソン、レイク&パーマー

「タルカス」ってのは、どういう意味だろうと図書館で、でかい英和辞典でまで調べたけど載ってなかった。当然で 、彼らの造語なんですな。ジャケットにある、あるまじろと戦車が合体したような怪獣で、アルバムを開いてみると、タルカスが他の同じような怪獣と戦うストーリーが一応あるみたいなのが分かる。なんともスリリングな組曲。

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“投稿写真”、中森明夫……そして 小泉今日子 on JBOOK

結局、90年代前半から前のものは、一冊一冊読み直してデータを入れて行っているので、まだ 86年中頃から 87年、88年の最初、89年中頃から 92年までのものがまだなのだが、ゆっくりゆっくりやってるよ。仕事じゃねえんだし。たまに×月号にこれこれという記事がありませんでしたかってメールが来たことあって、親切に調べてあげたけど、手元にいつも出してるわけじゃなし、そんなこと金でももらわなきゃ出来ないっつうの。「「すわてのメモ」ページ 女性美-芸能 雑誌“投稿写真”に関するデータ」目次の丸写しとかじゃやないよ。「編集部メッセージ」なんて、タイトルじゃなく、文章の要約や面白いくだりの引用だけだしね。

なぜ、こんなことやってるかというと、創刊号から買っていて、素直に面白いと思って、毎号こういう内容だったということ、面白かった個所をノートに書いて行ってたのだ。それが 90年代中頃からワープロ、そしてパソコンに書いてゆくようになって、最後の方は、そのままページに出来た、それでなくても電子データになってる分は、いじるのも比較的簡単だが、紙に書いてた方は、そういうわけにも行かず、結局また読み直してるというわけです。

“投稿写真”の前には、“セクシーアクション”を、ときどき買ってたけど、別に“セクシーアクション”に広告が出てたから“投稿写真”の創刊号を見たのではなく、たまたま本屋にあったのを手に取ったわけ。1984年の 8月末ですな。私は今では“姫盗人”愛読10年だが、その頃のエロ劇画雑誌とか出始めた美少女マンガ雑誌とかは全然読んでなくて、“セクシーアクション”系がお好みだったんですな。ちなみに“セクシーアクション”はサン出版からで、“投稿写真”は、最初のうちは別会社の孝友社から出てた。“投稿写真”の最初の頃は「アイドル アクション 悪漢」“投稿写真”の三つの柱とか言われてて、読者の投稿した写真を掲載するわけなんだけど、「悪漢」というのは、つまり、女の子の更衣中とかスカートの下からとか撮影したヤツなんですな。今の感覚からすればヤバいよ、これってもんですけど、当時でもそりゃアレだから「悪漢」と称されてたわけで、“セクシーアクション”なんか、まあそれが笑いを取ってんだけど、君たち、頼むからこんなことはやめてくれ、と言いながら載せてたわけで、そういうことがエロ出版社では出来た時代だったんですな。

なんで“投稿写真”のことを書き出したかというと、中森明夫の新刊『アイドルにっぽん』という本が「たけくまメモ」で、「中森明夫氏からサイン本が」で紹介されてたり、今日はニフティのパソコン通信時代から存じ上げている新田五郎さんのブログ「ふぬけ共和国blog」を見たら「【書籍】・「アイドルにっぽん」 中森明夫(2007、新潮社)」で感想が書かれていたりしたから。私自身は、5月の連休頃に、本屋で、こういう本が出てたのかと手に取って見た。『ゴクミ語録』の文章が収録されていたと思う。


買いはしないの。私にとっては中森明夫は“投稿写真”の連載「アイドルシミュレーション」に尽きる。この連載は、特に最初の頃、当時とんねるずとかがよく言ってた「あざとい」という言葉が流行ってたけど、その、あざとさを狙ったものだったけど、書いてることの 70パーセントは共感出来るものがあった。毎回とは言えないが、これはというフレーズがあった。雑誌のライターの書いてるもので、たまたまじゃなくコンスタントに「70パーセントは共感出来る」なんて、私からすれば、なかなかないよ。“投稿写真”より先に“噂の真相”も創刊当時から買ってて、こちらには 90年代中頃から黒幕と称して(笑)コラムが連載された。これも、なるほどとは思いながら、さして関心も持てない内容もあるが、それでも何回かに一度はこれという内容があったと思う。でも、それ以外の媒体で書いてるものをたまに見ても、それほどのものは感じないんだよね。“SPA!”でいろいろやりだしたのも見てるけど、“SPA!”は……中森明夫に限らず、先に“投稿写真”とか“噂の真相”とか、たまに“ラジオライフ”とか買って読んでると、“SPA!”は大手出版社の週刊誌の機動力や企画力は認めるけど、“SPA!”に載ったくらいのもので、そう感心してちゃいかんでしょうって気になる。


『ゴクミ語録』は文庫になったのを買った。おニャン子方面にまったく興味を持てなかった私にとって、80年代はキョンキョン=小泉今日子を中心とする個人活動アイドルだったが、88年か、夏の総選挙か何かあった頃、ふとゴクミがいいと思い始めたんだね。80年代の最初の頃は、その頃、レコードを買うというとロックの LPだったんだが、ロックと称するものがなんかほとんどつまらなくなって、ニューウェーヴ系も関心持てないし、これからはシングルレコードを毎月 1枚は買おうって松田聖子から伊代ちゃん、秀美、そしてキョンキョンと、いろいろ買ってて、そのうちキョンキョンは LPも買うようになって、80年代末に上記のようにゴクミ、そして小川範子とともに現在に至り、堀北ちゃんなわけですな、私は。

生まれは早生まれらしいから私より一歳下になるんだけど、同学年らしい中森明夫の名前を初めて見たのは「新人類」がマスコミで話題になる直前、 84年の夏に横浜の大きな書店の店頭で手に取って、面白そうなことやってるなあと思った“東京おとなクラブ”だった。買いはしなかった。「新人類」中森明夫ということで一番に思い浮かぶのは“毎日グラフ”の増刊になるんだっけ、表紙で黒んぼ土人のキョンキョンのアレですな。これは買って、今も持ってる。そう、80年代の「新人類」がどうしたこうしたという、当時のサブカルチャー状況に連なったものをイメージして、まず思い浮かぶのは、アイドル小泉今日子なのだ。

最初に買ったシングルは「半分少女」だったと思う。デビュー当時、林寛子のカヴァーしてたりしたのも知ってたが、髮を切って、なんだか面白くなってきたなあと感じ