Sonicstage から X-アプリへのデータ移行のてんまつ

古いパソコンの Sonicstage のデータを新しいパソコンの X-アプリに移行する。結果としては成功したのだが、いろいろめんどうくさかった。

Sonicstageというのは、ソニーのネットワークウォークマンの PCでの楽曲管理用ソフト。私は 3年前に買ったものを使ってきたけど、今はそれが X-アプリというのに代わっていたのだ。

古いパソコンの方にソニーのサイトから X-アプリをダウンロードでインストールすると、Sonicstageのデータがあります、X-アプリに移行しますかと問われたので、移行。それを外付けハードディスクにバックアップ、その外付けハードディスクを新しいパソコンにつなぎ、新しいパソコンにも X-アプリをダウンロードしてインストール、バックアップツールを使ってデータを復元、これでうまくいった。


上記の手順でうまく行くまでにいろいろありまして、ついには Windows XPの修復インストールという事態に……後から考えるとその必要はなかったみたいだが……ついでに言うと、新しいパソコンも急いで買う必要なかった。ファンのケーブルがはずれていて、それが原因でフリーズが起こるようになってたようだ。


PC関係で、結果としては成功したのだが、いろいろめんどうくさかったというと、eBookJapanのトランクルームを使い始めるときのパソコンの登録、そして今回新しいパソコンを登録してデータを移行するというのも、分かりにくかった。

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児童ポルノ禁止法とその改正案をめぐって思うこと

以下の文章は私の推測、憶測を含む意見感想です。この記事はそのうち削除するかも知れません。


単純所持と表現物規制という方向で改悪されるおそれのある児童ポルノ禁止法であるが、改悪を主張する人たちはどういう人たちなのか。まず、警察関係者や教育関係者の中には、おそろっしくエッチなものに対する許容範囲が狭い人たちがいる。こういう人たちに接したことがなくて、ふだん自由に楽しく生きていて、たとえばコミケとかで自由にマンガを書いたり読んだり、コスプレして、その中にはけっこう肌の露出の多い女の子もいて、というような世界しか知らない人には想像がなかなかつきにくいのだろうけど、今、出ている雑誌の大半はポルノだというような人がいるみたいなんだな。それこそ、現行の児童ポルノ禁止法の児童ポルノの定義を極限まで広く当てはめて、家に帰って茶の間で、ふんぞりかえって「ポルノばっかりだ、けしからん」と言ってるような人が想像される。

それから一部の偏って道徳的で熱心な宗教家。それから偏って極端な、ごく一部のフェミニズム論者。とても視野が狭くて独善的な正義をきどったマスコミ関係者たち。詳しくは書かないが、とにかくふだん自由に楽しく生きていてる人たちから見れば、ちょっとそばによるのは勘弁して欲しいような人たちが確かに存在しているだろう。そういった人たちにさらに政治経済的な利権が絡んでいて動いている人たちもいるだろう。インターネット関係者で、そういう利権絡みの上からの規制に、なんら危機感を持ってなくて、喜んで力を貸そうとしているような人もいるかも知れない。ネットとマスコミが対抗しているように言われるが、一部のポータルサイトとかそういうマスを相手にしているインターネット関係者には、かつてのマスコミの悪い部分をそのまま受け継いでいるような人たちもいるかも知れない。


そういう人たちを支持してしまうのは、どういう人たちかと言うと、事実をよく知らない、きれいごとのイメージで動かされ、簡単な欲で動かされる人。表現の自由とかいろいろな自由権という憲法の根本のようなことについて考えたことがなくて、上からの規制を当然と思うような教育をされてきた人たち。そして宮台真司とかが良く言っているらしい(今、私は『幸福論』という、宮台真司と他二人の若い社会学者が対話している本をずっと読んでいるのです)「不安のポピュリズム」に動かされる人たち。


「不安のポピュリズム」に関連して思うことは、漫画に対する攻撃というのは、それこそ 50年以上前の、まだ漫画週刊誌が生まれる前からあって、手塚治虫の漫画などが槍玉に上がったりしたが、かつてのそれがマスコミの一部の俗悪と言われるものを表現している部分に対しての攻撃であったのに対し、昨今のそれはマスコミと並んで同人誌とかインターネット上の同人的な表現に向かうことが多くなっているようだ。コミケに代表される漫画等同人の巨大な社会が成立するとともに、その近辺における、なんだか良く分からない奴ら、なんだか良く分からない若者たち、に対する不安、コミュニケーション不足、そういうことから生じる心理がうまく規制推進を支持する動きに利用されているのではと思う。ネットの掲示板をいろいろ見ても、児童ポルノ法に反対しているのはキモオタだけ、みたいなことをわざわざ、漫画、同人関係の掲示板等で言ってる人たちって、おそらくはそのキモオタたちを身近に見ている人たちだろうね。

ところで「不安のポピュリズム」については、児童ポルノ法改正反対を唱えている人たちの中にもあると思う。ふだん、そういうことになんら関心を持ってなかったのに、ネットの掲示板で話題になってるのを見て、急に大変なことに気づいて、でもどうすればいいか分からない。内容は改正反対でも、ひたすら同じ文章のコピー&ペーストを繰り返すという人たちはそうなのかも知れない。もちろん見て見苦しいものであるので、自分の言葉で意見を主張して欲しいとは思うけど、こればかりは本人にかかっている。

児童ポルノ法改正には反対だけど、ある程度は規制された方がいいとか、自分の好きな漫画の規制は反対だが、「××」と「○○」(具体的な作品名や作者名が入る)は規制されてもいいとか言うような人もいるが、いったん、法的に規制されると、それこそ漫画について何も分かってないような人たちが取り締まりにかかわるわけで、そういうものの分かった、的を得た規制なんてものがされることは期待出来ない。上からの規制、法的規制と、自主規制とかよく言われるが、ちゃんとその業界の状況が分かっている製作流通読者のサークル内で行われる配慮とはかなり違う。そこらへんで、「規制」ってことに鈍感な言説というのも勘弁して欲しいと私は思う。

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児童を救う本来の意図を離れて問題がある児童ポルノ禁止法とその改正案についての覚え書き

この記事は状況に応じて、新しい記事として書き換えるかも知れません。その場合、この記事は削除します。


児童ポルノ禁止法、「児童売春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」。手元の『デイリー六法 平成21年度版』では、p.1509 から p.1511 にかけて掲載。平成11年(1999年)施行、最終改正平成16年(2004年)。国際的に問題になっている児童ポルノ製作による児童の被害を防ぎ、被害を受けた児童を救済する目的であるが、現在施行されている内容及び、先だっても(6月26日)衆院法務委員会で審議され、与野党修正協議の末、国会解散によって廃案となった改正案は、本来の目的を離れて表現の自由の侵害や不当逮捕等につながる危険が指摘されており、ネット上で広範に反対の声が上がっている。

現行の内容では、第二条、児童の定義が 18歳未満であることの妥当性、第二条三 「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」という定義のあいまいさに疑問がある。第二条三により児童ポルノとされているものは「三号ポルノ」という通称で呼ばれている。

改正案の内容では単純所持の処罰が不当逮捕等の人権侵害につながる、漫画、アニメ、ゲーム等、モデルのいない創作物に対しての適用が表現の自由の侵害につながるおそれがある。

私としては、この法案(現行のもの及び改正案)によって、私が広く愛する漫画やアイドル・グラビアなどの創作表現が規制されること、規制の動きそのものがそれらの創作表現を享受する上で、心理的に不快な圧迫となってくる。加えて、これらの改正方向は、本来の児童ポルノ製作流通を阻止し、児童を救済するという目的からはずれていっている。そういったことから、この改正案に反対を唱えたい

改正を主張する言説の一部のほこさきが本来の児童ポルノ(というものは私は見たこともないし、どういう風に流通してきたのかも知らないが)からそれて向かっている漫画等の表現の中には、子供向け大人向けを問わず、無論エッチなものや、成年向けとして、かつてのエロ劇画からの流れの上にある美少女エロ漫画等もあるが、それらの表現は長く製作者側と流通側、読者等によって配慮をもって扱われてきたもので、その配慮の仕方にまだ不十分なものがあるにしても、上から一律に規制するにはなじまない表現物である。

これらの問題について、よくまとまっているページ「三号ポルノ/ 同人用語の基礎知識

児童ポルノ禁止法改正案緊急声明についての解説

こういった声もある。「「児童ポルノ禁止法」で日本のマンガ・アニメが衰退する」森永卓郎

2008-02-09 児童ポルノ規正法改悪に反対する」 小谷野敦。近著『美人好きは罪悪か?』(ちくま新書)でも、この問題について触れている個所がある。


各政党の見解、改正賛成派議員、反対派議員についてなどの記事はいろいろとネット上にある。

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いわゆるアイドルグラビアとはまた違う「いもうと」「小中学生限定」とかいうものがある

水着少女の有料サイト 大手プロバイダー3社が中止に」(J-CASTニュース 2008/9/30)「「いもうと」「小中学生限定」などとうたった会員制のグラビアサイトを中止する。各プロバイダーでは、中止理由について、公序良俗の視点が欠けていた、などとしている。」

その前に

「水着姿でポーズ、大手プロバイダーが女児画像大量提供(読売新聞)」( Infoseek ニュース 2008年9月29日14時36分 )
 「子供の性を商品化している」との批判から、このうち1社は今月中に中止する方針を決めたが、継続中のプロバイダーは「現行法では児童ポルノには該当しない」などと主張。専門家は「海外では違法とする国もある」として、児童ポルノ問題での日本の取り組みの遅れを嘆いている。」


“読売新聞”が露骨に児童ポルノにしてしまいたがっている。ニフティのトップページはメールのチェックのために、よくアクセスするから、なんかやってるなというのは知ってた。無論、以前からこういうジャンルのグラビアがあって、電子書籍の書店みたいなところでも売ってるってことは知ってる。基本的にこういう成長してない女子には興味ないし、あざとすぎるだろと感じていたが。でもさすがに児童ポルノとまでは言えまい。

しかし……なんでもかんでも規制っつうのは、ホント、うざいけど、客寄せに表玄関でそういう、きわどくて、すぐやいのやいの言われそうなものを見せなくてもいいだろうよ。

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古典の研究

美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな」。めったにつかないというか、このときで、まだ 2回目か。コメントがついてますけどね。「通りすがり」という方は、私がニフティに加入してパソコン通信を始めた頃にも名前をお見かけしたから、よっぽどネット生活の長い方なのだ。

少なくとも、古典の研究を全世界で続けてる方々がいる、日本にもいるから、私なんかでも、例えば注や現代語訳を便りに、小学館の古典文学全集とか岩波文庫とかで、活字になった日本の古典をなんとか読むことが出来るんです。古典絵画や彫刻は見ただけで分かる? 研究者の言うことを一から十まで頭に入れて、それで観賞してますって言うのは論外だが、まずは自分で味わい、感じてみるにしても、研究者の解説が観賞と理解を深めてくれることは言うまでもない。もちろん、そういう翻訳作業みたいなことや解説というのは、古典研究の学問の成果が素人に分かる形で表れるというごく限られた場面である。自分にとって何をやってるのか分からないから、どうでもいいような仕事だろうというのは、文化というものを軽んじているのではないかなあと思える。

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美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな

かねがね疑問、古典名画と古典文学の著作権」というのを書いたですけどな、いつ頃? 4月か。そのときは、とりあえず、本来著作権的には制限のないもののはずなんだけど、そのままの形では接することが出来ないで、間で人の手がかかってて、私なんかが接することが出来るようになるものってんで、古典名画と古典文学を取り上げたんだけど、人の手といっても、美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな。名画を複写するってのは、そりゃ誰でも出来るものじゃなくて、カメラマンのプロの技術が必要だけど、だとしても、習得してしまえば機械的に処理出来る技術のレヴェルだよな。それに対して古典の注釈ってのは学問であって。

そう考えると、名画集の編集作業というのは置いといて、単に一枚一枚の絵が複写されてるってことは、そうたいしたことではないか……。

で、これだけでは何なので、あれから探してみた名画の複製が見られたりする webのページをいくつか。

名画ドットネット
ショアウッドジャパン,ギャラリー・ショアウッド
世界の名画(“北陸新聞”のページ)
サルヴァスタイル美術館〜西洋絵画と主題解説〜

浮世絵サロン
浮世絵ギャラリー
WEB浮世絵

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かねがね疑問、古典名画と古典文学の著作権

まず前置きとして、著作権関連の事柄について、私がどの程度の認識があるのかというと、まず『そこが「知的所有権」違反です 知的商売にかかわっている人へ』「知的所有権」研究弁護士グループ/著、中経出版 1988年1月刊行 という本は、買って一通り、ちゃんと読んだ。1990年頃。その後、ニフティに加入、パソコン通信を始めると、いろんなフォーラムのお知らせドキュメントに、著作権についての簡単な説明、ルールとマナーが記されていることがあり、それらも目を通した。

著作権について入門的なことが知りたい人には「社団法人 著作権情報センター」に解説のページがある。

さて、私がかねがね疑問に思っているのは、(当然、すでに著作権により公開を独占する権利の切れている)古典の名画と古典文学をネットに掲載する場合の著作権及び隣接した権利の扱いについてである。一枚一枚の絵、作品については、とっくに著作権が切れている場合だ。上記、著作権情報センターの「著作権Q&Aインデックス」はじめての著作権講座」「名画の複製写真も写真の著作物として保護されますか?」や「社団法人日本写真家協会WEB SITE」「写真家のための著作権 Q&A」「名画や書を複写したものの著作権は、彫刻は?」の内容が該当する場合である。そして、画集の形にしたものには、その絵の配列などの編集や(当然ながら)新たな解説文についての著作権は生ずる。問題は、名画というものは、そこらへんにあるものではなく、日本中、世界中の美術館とかにあるものである。いくら著作権が切れてたって、そういうところまで、個人がちょっと行って、撮影して使うってわけにはいかない。たとえ行ったって、所有者から、やたらストロボたかれて撮影されたら絵が傷むとか、その他いろいろな理由で、みだりに撮影が許可されてないかも知れない。そういうものを、わざわざ出かけていって、許可を得て、プロの技術でもって撮影して画集を作った。当然コストがかかってる。それを、1枚1枚の絵は著作権がないからといって、自由に複写して使っていいのだろうか。そこがよく分からない。もっとネット上の考え方を検索してみる。

テオポリス——ギリシア神話データベース&西洋絵画紹介」というページの「西洋絵画の著作権について」、特にポイントは「(3)画集や絵葉書などの出版物から絵画の画像をスキャンし、無断でサイトに掲載することは出版者の著作権を侵害する行為ではないか?」のくだりである。「しかし編集著作権は個々の素材そのものについては影響しませんから、画集の中から気に入った絵画を数枚個別にスキャンしてサイトに掲載するというのは問題ありません。」「いかにその出版物に「無断複製・転載を禁ず」などと書いてあっても大丈夫ということになります。」さらに、このサイトの案内所で紹介されている「アート at ドリアン 西洋絵画史」の「画像の使用方法(著作権に関して)」を見る。「著作権が無くなった絵画に関してだけは、たとえ、出版元といえど、なんの権利も発生しないのです。」どちらも著作権情報センターへ電話で問い合わせをされた解答を踏まえて書かれている。

これによると、画集のうちの何枚かの絵をスキャンして、webに掲載しても大丈夫らしいということになる。しかし上記「テオポリス」さんの文章中「(しかし、あまりの無力ぶりに業を煮やした出版者側が文献複写に関する自分たちの確固とした権利を著作権法に追加してもらうべく奮闘中のようです。もしかしたらそのうち法改正があるかもしれません)。」今のところ、この点で裁判とかになった例はないのだろう。裁判で判例が出来れば、このあたり、もっと明確になるのだろう。私の希望としては……いっそ、公的な機関が古典絵画のデータベースを作って、インターネットで公開、自由に使用出来るようにしてくれれば一番いいのに……ごく部分的には今でもあるのかも知れないが。

印象派の水辺
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似たような疑問が古典文学にもある。著作権による制限はとっくに失われている。しかし、こちらも、日本の古典の場合、元の本は、なんとか文庫とかなんとか資料なんとかという、特別な場所に大事にしまわれている、筆で書き写した、私なんかには、たとえ見せられても何が書いてあるのか分からないような文章で書かれた書物を、を学者の先生が考訂して、活字化、一般読者の目には、岩波書店の古典全集やら文庫やら新潮日本古典集成やら角川文庫やら、まあそういう、地元の本屋でも買えるようなものにして出版している。これらは考訂された部分や、場合によっては編集された部分については著作権があるのではないか。この点に関しての疑問は、こちら「やた管ブログ」という、どうやら国語の先生をしているらしい方のブログの「古典文学の著作権(その1)」「古典文学の著作権(その2)」で、私の漠然と抱いたような疑問点を、きちんと整理されて記述し、見解を述べられている。コメント欄も含め、非常に参考になる。

「古典テキストでは原作者の著作権は問題にならないが、校訂者の権利が関係することがある。また、専門家からみれば、校訂本文の選択によって電子テキストの価値は全く違ってくるだろう。」こちらは、私がインターネットに接続し始めて間もない頃に、リンクは自由であるべきだという主張を読んで、大いに納得した後藤斉という大学の先生の「インターネット言語学情報 第11回 — 古典テキスト」中の文章である。

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