« April 2016 | Main

感想集 活字本 2016.11

『江戸しぐさの終焉』 原田実(星海社、星海社新書 2016.2.25)

前著『江戸しぐさの正体』で広く明らかにされた、奇態なニセ伝統「江戸しぐさ」、教育の現場へと広まってゆこうとする、ゆゆしき事態であるため、読後もさらに「江戸しぐさ」の動向についての関心を維持してゆくことが必要と思われた。そしてここに著者自身によって、新たに「江戸しぐさ」をめぐる報告がなされた。その内容は前著で言及された江戸しぐさの提唱者、拡散者らについてのさらなる詳細であり、江戸しぐさが学校教育の教材へ採り上げられて行こうとしている経緯についての報告である。また私のような一般読者にも知られるようになったニセ伝統「江戸しぐさ」の存在を知らしめた前著に対するマスコミ、ジャーナリズムの反応、専門の歴史学者や教育関係者は何をしていたのかということになるが、その専門家たちのコメントなど、『江戸しぐさの終焉』のその後について関心を持った読者が知りたいことがあれこれと書かれている。


『ベスト珍書』ハマザキカク(中央公論新社、中公新書ラクレ 2014..9.11)

書名は当然「ベスト新書」のもじりなのだろう。本屋でちょっと手に取ってみて、暇つぶしにちょうどいい本だなと思ったが、後半を見ると『納棺・遺体処置実務』(総合ユニコム)の項目だったと思うが、結構グロい話が書かれているので、それには注意する必要があるとツイートした。買ってちゃんと読んでみて分かったのだが、グロい本は最初の方から載っているのだ。もちろん、ことさらにそういう本を取り上げているのではない。そのあたり、「珍書」とは何かという話につながってゆくと思う。「珍書」といって連想するのは昨今では「トンデモ本」という呼称だろう。著者自身、「まえがき」でト学会が扱うような本とは「珍書」は〈若干ニュアンスが異なると感じている。〉と述べている。私自身、「トンデモ本」の数々についてはよく知らないが、対して「珍書」とか「珍本」という言い方は別に新たな呼称ではなく、普通に昔から言われていたはずだ。この本に取り上げられている「珍書」は前述のようなグロテスクな内容のものにしろ、または動物のウンコの図鑑といったものにしろ、またはダムカードなどという知る人ぞ知るようなものだったアイテムについてであれ、あくまでその本の製作者は真面目な目的で、あくまに真面目に本を作っているのだ。しかし、その内容からどうしようもなく珍なものになってしまったのであり、それを取りあげる著者、読む私はどうしようもなく面白がらされながらも愛情をもって取り上げ、解説を読むのである。

この本を面白く読むような人は、ある程度本好きであり、同時に面白いものを見つけるが好きだと思うので、この本に挙げられてるような珍本を自分でも見つけてみたいと思うかもしれない。コラムでは新刊情報の探し方が書かれている。私など、ある程度本好きではあるが、今まで雑誌新聞広告、本屋の店頭以外に特に新刊情報を求めてゆくということは意識してなかったのだが、この本を読んだら、こういう珍本も含めてもっと新刊情報をチェックしてみたい気になっている。そのために役に立つコラムである。


『マンボウ家の思い出旅行』北杜夫(実業之日本社 2010.1.25)

新刊で買って一読して、その頃あった自分のページに感想を書こうと思って、再読していて途中でずっと読むのが止まっていたら、その間に高齢であった著者本人が亡くなってしまった。2011年。実業之日本社からは 1980年代の中頃からだったと思うが、最初はその頃出ていた雑誌 “週刊小説”に、そして途中から雑誌が “ジェイ・ノベル”と代わったが、連載されていたエッセーがずっと本になって出ている。そのシリーズで本書が生前に刊行された最後のエッセー集となった。

老境となって腰痛などもあった著者のエッセーはそれまでのエッセーで何度も書かれた思い出話に、娘たちに無理やりっぽく連れ出された旅の記録がはさまるというスタイルで、この本でも基本的には同じである。しかし、その何度も書かれている過去の思い出話であるが、ひさしぶりに読んでみたら、この本の前半部分の文章が、一つ一つのエッセーがとても良く感じられた。文章とか全体のまとまりとかそういうことであるが、愛読者でない初めて北杜夫の文章を読む読者に勧められるものであると感じた。

娘たちにあちこち連れ出されるのは毎度のことなのだが、この腰痛があって車椅子を使っている著者が無理やりに連れ出されるありさまについて著者は常にその苦痛をドクトル的に淡々と述べている。この本でもある旅行から帰ってきたと思ったら、すぐつぎの旅行に出かけたりすることもあり、私はいささか旅行に対しての強迫的な思いがあるのではないかと感じる。エッセー中に書かれているが、子供の頃、一緒に旅行に連れてゆくことがなかったのが旅行に行きたがる要因となっているらしく、当時のエッセーを読んでいれば子供の頃、一緒に旅行に連れて行かれてないことは分かるので、それについてはなるほどと思った。

旅行といえば、ハワイへの旅行に江戸川乱歩の『吸血鬼』を持っていったが、文章も乱れていてあまり面白くなかったという旨のことを書いている。北杜夫といえば、怪人二十面相など乱歩経験の思い出を何度もエッセーに書いており、それどころか乱歩のパロディも含めて稚気に満ちたミステリー的小説も書いているので、当然ひさしぶりに読む『吸血鬼』を面白く読むと思ったら意外な感想なので、著者の老齢がそう感じさせたのかとも思えた。

ふだん書くことのない、女性たちとの交渉についてまとめて書いている回がある。マンボウ航海で、その後は記憶にないというように韜晦されて書いてあるくだりが、実際は性交渉を行っていたというようなことも書かれている。こういうことはあとで研究者があれこれ書くより、作家自身が書いておくほうが良いかもしれない。

最後の方での3回に渡って書かれている入院は大腿骨骨折によるものであり、命にかかわるものではなかったが、著者の老齢の境遇を感じさせるものである。その最後に著者は娘がきびしく骨折のリハビリをするのは、父親が優しい人間だと分かっているからである。自分は周囲の人たちに優しい人として記憶されているので死ぬのは怖くないと書いてあって、今読むとしみじみとする。


『図説 異星人』野田昌宏(河出書房新社 2002.5.20)

アメリカのSF雑誌、ペーパーバックのイラストを集めた本だが、意外にも聖徳太子の話から始まる。聖徳太子は火星人と会っていたのだ。そして火星人というと H. G. ウェルズということになるが、『宇宙戦争』はアメリカのSF雑誌にも新たなイラストとともに繰り返し再録されている(ラジオドラマが話題になった時代にも)のだなあということが、この本で分かる。

SF小説の始祖的ヴェルヌ、ウェルズの 19世紀後半から 20世紀にかけての時代の後、SF小説の古典黄金時代といわれるのはアメリカの 1940年代から 50年代にハインライン、アシモフ、ブラッドベリといった作家の名作が登場した時代だ。それまでの時代アメリカでは通俗的なSF小説が大衆向けSF雑誌で多数描かれてきていた。本書ではその歴史をたどり、通俗的大衆的な小説のイラスト、表紙として掲載された目をみはるような作品を多数載せている。

私はそもそもSF小説自体あまり読んでなかったので、この黄金期以前の通俗SFについては、そういう時代があったということ、そしてフレデリック・ブラウンの古典黄金期名作SFの一つ『発狂した宇宙』は若い頃読んだので、その中に描かれたような宇宙の怪物と半裸美女の世界というものがあったのだなという認識はあった。その『発狂した宇宙』は 40年代の作品であり、時代は太平洋戦争が終わった頃である。古い時代はいろいろとつつましく、性的なものに関して隠される部分が多かったというイメージがあるので、その時代にアメリカでは、すでに小説にしろイラストにしろ、半裸美女がどうしたこうしたというような内容があったのかというのが認識をあらたにさせられたことであり、自分の目で当時の雑誌を見て確認したかった。この本でそれがかなった。

半裸美女といえば、私が接してきた 1960年代以降のマス・メディアの中で、洋画などで描かれる未来、宇宙のコスチュームはレオタードが普通のイメージ(実際にはあまり具体例は思いつかない、一方国内物では「ウルトラマン」シリーズや「キャプテンウルトラ」など女性隊員はタイトではあるが、ズボンなのだ)である。そういった未来、宇宙ファッションの起源はどこなのか。また 1980年代以降発展した国内のアニメ・メディアやゲームでビキニ鎧とか水着鎧と呼ばれるコスチュームをはじめとして肌も露わな女性たちの、これを待ち望んでいたんだという気もする一方身も蓋もないという感じもあるファッションの起源は一体何なのだろうという興味があり、その起源の一つとしての大衆SF雑誌に描かれた美女のファッション・スタイルを見ることが出来る。

美女とそのファッションについてを除いても、この本に収録されたイラストの当時の宇宙その他の異界、怪物についてのイメージは強烈であり(印刷技術の関係で使う色の制限その他が逆に効果を上げたということはあるのだろうか?)、見ていて飽きない。


『半七捕物帳(三)』岡本綺堂(光文社、光文社文庫 2001.11.20 )

昨年から夢中で読んでいる捕物帳の元祖である。東京創元社、創元推理文庫版「日本探偵小説全集 名作集2」に収録された中島河太郎の「日本探偵小説小史」の岡本綺堂についての記述によると、このあたりで初期の雑誌連載が一区切りついて、掲載雑誌をいろいろと変えての掲載があったりしたようで、そのせいか一話のページ数が短いものがある。老人となった半七が若き新聞記者に語るという形式を内容的にも堅持しているため、話によっては半七自身の手がけた話でなく、他の岡っ引きが活躍する話があったが、3巻ではさらに岡っ引きが活躍する捕物帳でもないない話がある。「旅絵師」は幕府の命を受けた絵師が隠密として東北の藩に乗り込む話なんだが、これなんかもはや立派なスパイ小説ではないか。怪談じみた物語が、このシリーズの基調だが、この巻では「海坊主」など読ませる。「人形使い」は最初の方は夜中にモロに怪談の趣向である。人形怪談である。「異人の首」は怪談ではないが、異人の生首が出てくるショッキングな話で、舞台が幕末になって異人を受け入れ始めた横浜であるのも興味深く読ませる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« April 2016 | Main