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感想文:『会話』1,2 ナラボン

2015/05/31 『会話』1,2 ナラボン(講談社、少年マガジンKC 1 2013.11.15, 2 2015.1.16、電子書籍版 eBookJapanよりダウンロード )

“少年マガジン” の兄弟誌である月刊誌 “マガジンSPECIAL” に連載されたギャグマンガ「会話」が単行本 2巻にまとまっている。 2巻というと分量が少ないようだが、毎回多くないページ数の連載で、ちょうど高校 1年から卒業までの 3年間を描き切れているのだ。ヒロインは、ちょっぴりドジな女の子チョコとクールな女の子もなかの二人、最近の流行りのようにギャグマンガといっても美少女を前面に出した、そんなに笑えないマンガ、いやそもそも絵は可愛いのに読む気にもならないマンガだろうか? 「会話」というタイトルもユニークだが、いかにも女の子のたわいない会話のマンガだろうか……まず私にとってはギャグマンガに合った、適度にシンプルならがも可愛い女の子二人に魅かれて読んでみると…1,2話目ではまだわからないけど 3話(覚えてないけど、たぶん連載開始時は 1,2話同時掲載で 2回目が 3話……じゃなかった?)で、さっそくぶっとんだ展開になって、シリーズ全体を一言でいうと、痛快ほら話的展開が随所にある、真正面からギャグやっているマンガであった。もちろん、そういうの私は大好きである。他の雑誌はほとんど知らないけど、“マガジンSPECIAL” ってしっかりギャグマンガを載せてる雑誌だったのだが、このマンガもそうだったのだ。

『会話』 (1)   『会話』 (2)

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感想文:『ないしょのつぼみ』7 やぶうち優

2015/05/30 『ないしょのつぼみ』7 やぶうち優(小学館、ちゃおフラワーコミックス 2011.5.3)

最初に、直接この本には関係ないけど、最近年齢のせいか漫画本がなかなか読めなくなって、愛読している女性作家である赤石路代、やぶうち優の本も何冊も積んである。この『ないしょのつぼみ』7は、2年前に最初の方だけ読んで、止まっていた。

そもそもの作風に加えて、掲載雑誌が学年誌であるということも影響してか、淡々とした、この「ないしょのつぼみ」シリーズであるが、この 7は、今までに較べて一層薄いというかシンプルというか……。1年かけて解決されるお話の流れは、ヒロインつぼみが出会った男の子は幽霊?なのだが、魂が体を抜けたときに記憶が失われている。彼の過去を取り戻そうとする、つぼみ、そして交流してゆくうちに、だんだんと淡い想いを抱くようになっている。果たして記憶は取り戻せるのか、つぼみとの関係はどうなるのか……シリーズの今までだと、そのメインのストーリー展開とともに各回いろいろと事件が起こり、その事件のいくつかは「性教育まんが」としての内容に相応しいものであった。今回、「性教育まんが」的なところは、つぼみがはじめての生理を気にして母から整理用ショーツを与えられるところ、走ると乳首がこすれて気になり、ブラジャーを父母(父は産婦人科医である)から与えられるシーン、後はプールで友だちのスタイルを気にするところくらいか、あるにはあるがとても簡単に済ませている。女の子の友だちはいつも通り二人いるが、友達の出番も少ない(夏に起きるちょっとやばい事件もない)。両親の存在感が薄いこのシリーズであるが、いつにも増して薄い(ところで、最初、父は納骨に行ってなかったらしいのだが、仕事?)。

単行本に関しては「性教育まんが」的側面は巻末に収録されている第1期の番外編二編が肩代わりしてると言える。ところでひさびさにその第1期の絵を見ると、同じようでも約 6年経つと変わるものだねえ。

メインのストーリーに関してはクライマックスで十分盛り上がってスマートにエンディングを迎えるので、それは良い(そこで登場する幽霊?昴の母もやっぱり出番少ないねえ)。アストロツインという言葉を覚えておこう。

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乱歩再読メモ 『影男』

乱歩が戦後に書いた数少ない長編の一作、『影男』は、私は中学一年の冬、新潮文庫の短編集『江戸川乱歩傑作選』に続いて春陽文庫で『黄金仮面』、『化人幻戯』と読み進め、その次に読んだ長編だった。一緒に買ったのは『十字路・盲獣』、つまり戦後の長編を続けて読んだのだ。まだ乱歩の通俗長編の世界に慣れていない私には新鮮な体験であって、そのせいもあってこの長編はずっと気に入っている作品なのだが、このたび再読しても、やっぱり面白かった。

戦中に西洋のミステリーの動向に新たな興味を抱くとともに戦後、エログロな作風を反省した乱歩は自らの創作よりも探偵小説普及の活動に重きを置いていた。しかし、一部で勘違いされているように戦後の乱歩に見るべき創作がなかったのではなく、しばらくは少年物と短編いくつかを求めに応じて書いていただけだが、1954年、還暦を機に創作に力を入れることを宣言、さっそく『化人幻戯』と『影男』の二長編を連載、完成させたのだった。先に再読感想を書いた『化人幻戯』は乱歩待望の本格長編として評価されたが、一方の『影男』は懐かしい乱歩の通俗長編世界を戦後の東京に展開させたものであった。乱歩の長編評、大内茂男「華麗なユートピア」で、堂々とした本格長編と通俗長編を同時に書き進める乱歩という作家の特異性に感じ入っている。乱歩自身、こちらの『影男』が自分の本来の持ち味だが、戦前より一風気の抜けたものであるという評価を下している。しかし、決してそう捨てたものではないと私は思う。

影男という二十面相のアダルト版とでもいうべきキャラクターを創り上げて展開させる物語はいくつかのエピソードの連なりであるという点で、他の通俗長編とは構成を単純に比較できない。またですかというように繰り返される乱歩の嗜好趣味なのだが、新たな海外ミステリーを読んだ影響か、戦後という新たな時代の空気か、戦前のものとはまた微妙に異なった感触がある。そして繰り返される乱歩趣味は一層近代的に突き詰められて興味深い(そのまま次世代のスパイ映画とかアクション物、テレビ特撮物につながる世界か?)。そういえば影男と殺人請負会社のボスが、意外な場所として遊園地の観覧車や東京湾のボートの上で会ったりとか、そういう場面なんかも新鮮だった。

「アル中の人外」、「人外」という言葉を私はこの小説で初めて知ったのだが、戦地から帰って酒びたりの日々を送る、自らを「アル中の人外」と吐き捨てる父親を持ち、継母からこき使われている、かわいそうないたいけな少女が、巻頭、ホテルでの成金紳士のSM趣味光景に続いて登場する。果たしてこの少女はどうなるのか、このエピソードだけで、もうつかみはOK、軍国主義とともにエログロナンセンスの悪夢を捨て去ったはずの?戦後東京に展開する乱歩の怖ろしくも痛快な夢世界に魅せられてゆくのである。


影男 創元推理文庫版 eBookJapan


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(再掲)感想文:『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/05/05『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実(星海社、星海社新書 2014.8.25)

2年前に同じ著者の同じ星海社新書の『オカルト「超」入門』を非常に面白く読んだのであるが、この『江戸しぐさの正体』も内容の一部はオカルトとしての「江戸しぐさ」を語る本であった。そもそも「江戸しぐさ」とは何か。著者が最初に「江戸しぐさ」という単語を知ったのは、冒頭に書かれているのだが、地下鉄の駅の公共広告機構のマナー啓発ポスターであったという。〈調べたところ CMのために創作されたコピーではないこと〉が分ったとあるので、最初はCMのためのコピーだろう、くらいに思ったのだろう。多くの人がそう思うはずだ。だって、私にしろ人生50年以上生きてきて、「江戸しぐさ」なんて最近まで聞いたことなかった。この本を手に取るまで、せいぜい二、三度どっかで見たか聞いたかしたかなあ程度だ。2000年前後だったか、「和のなんとか」というようなのが、ちょっと流行った。雑誌とか本とかで和の小物を紹介するようなの。そう、今ネット検索してみたが、「しばわんこの和のこころ」とか。私は、この本を昨年秋に書店の店頭で立ち読みするまで、「江戸しぐさ」も似たようなものだろう、そういうのって広告代理店とかそういうのが考えついて流行らせてるんだろう、くらいに思っていたのだが、この本をざっと読んで、それが違うのが分った。

「江戸しぐさ」は単に、マナーとか道徳を押し付けがましく説いていて説教臭いだけというものではなく、あきらかに、いわゆる「トンデモ」説であった。失笑するくらいでは済まない奇っ怪さがある。ある程度の知性をともなって主張されているだけに、愚かな迷信よりさらにおぞましい偽歴史創作のありさまが本書で指摘されている。「江戸しぐさ」というものがあると主張して、それに基づいて現代人のマナーを叱ることを始めたのは、1980年代当時すでに 60歳代であった芝三光(あきら)であり、同年代で市場調査会社の社長などを経た後、アメリカ公民権運動を取材したルポで賞を得ている越川礼子が彼に弟子入りして発展させ、日本経済新聞社の桐山勝が広める手助けをした。「江戸しぐさ」を正当化するために「江戸っ子狩り」などという妄想ストーリーを考え出したのは越川礼子だという。

「江戸しぐさ」に関わるトンデモの最たるものが、その「江戸っ子狩り」であろうが、その他こまごまとした、各しぐさにまつわるおかしさ(変な話であること)、史実と乖離している様は本書の第二章「検証江戸しぐさ パラレルワールドの中の「江戸」」で子細に述べられている。江戸にスープがあったとか、チョコレートが入ったパンがあったとかいう話は一体何であろうか。「江戸しぐさ」は企業のマナー研修とかに使われ、一方では教育材料として用いられ、ついには安倍政権下で道徳教育に取り入れている。そこまで行くまでに止められなかったのだろうか。この本では第五章「オカルトとしての「江戸しぐさ」」で、専門家の責任などに触れつつ、江戸しぐさがいかに浸透したかを語っている。私が思うに、ある程度の教育を受け、あるいは物が考えられれば、著者が第二章であげているような話を読めば、ちょっと待て、ということになるだろう。第二章で取り上げている江戸しぐさの各実例は『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』という越川礼子が 2001年に講談社から出した本から主に採り上げられている。企業の偉いさんたちとか教育関係者の偉いさんたちは、江戸しぐさというマナー教育の教材があります、ああそう、いいじゃないかとろくにそういう江戸しぐさ入門書などに目も通してないのかも知れない。一方で、あの「水からの伝言」同様、おかしい話と思いつつも、教育やマナー啓発の材料となれば構わないという誤った実利主義の考え方をしている向きもいるのだろう。

その「水からの伝言」といえば、この本によると TOSSという教員の教育指導研究の団体が「水からの伝言」やら、この「江戸しぐさ」やらその他怪しげな「お話」を教育材料として採用することを推進しているのだという。今さらと言われるかも知れないが、「水からの伝言」が話題になったときは、私はそこまで関心が無かったのだ。だが、今回この本を通して、あらためて、ゆゆしき問題であることを感じ入った次第である。

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(再掲)感想文:『カッパ・ブックスの時代』新海均

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/04/12『カッパ・ブックスの時代』新海均(河出書房新社、河出ブックス 2013.7.30)

図書館で借りて読んでいる。書店で見かけて前から読みたかったのだ。1970年代に 10代だった私にとって、まず出会った大人の本の一つがカッパ・ブックスのシリーズだった。カッパ・ブックスをはじめとする、×××ブックスは当時の本屋の主役の一人といっていいだろう。しかし、今や、なんということか、ある年齢層より下の人たちに向けては、カッパ・ブックスとはどういうものかをまず説明しないとならないのだ。そしてこの本を読んでいて、はたと気づいたのは、この『カッパ・ブックスの時代』そのものが「河出ブックス」というシリーズの一冊として出てるわけだけど、この「河出ブックス」という新書よりもっと大きなサイズ、B6だっけ、このサイズのシリーズは他社からは××双書とかそういうタイトルのシリーズで出ているものであって、たまたま河出書房新社は「ブックス」という名前にしているが、「カッパ・ブックス」をはじめとする「××ブックス」について語るときの「ブックス」というのは、この「河出ブックス」とは直接関係無くて、×××ブックスは、まずサイズが新書なのである。大きく分類すると、今やもうやたらめったらと各出版社から出ている「新書」のジャンルに入るわけなのだが、それでいて、今ある新書、そして最初はカッパ・ブックス以前に戦前に岩波書店から刊行が始まった「岩波新書」などとは一線を画する存在なのだ。カッパ・ブックスは明確に岩波書店のインテリ向け教養主義に対抗するものとして、より現代的でより大衆的なものを目指して創刊されている。高度成長時代に入り、新たな読者層、ホワイトカラーである新中間層が生れた時代、その試みは見事に成功した。カッパ・ブックスを成功に導いた一番の主役が著名な編集者、神吉晴夫である。

この本は、兵庫県の、中学に進学するものなど珍しいという山村で生れた神吉晴夫の生い立ちから始まって、講談社でキャリアを積んで、すでに中年になった彼が戦後に光文社の重役となってベストセラーを生み、そしてついにカッパ・ブックスを刊行、有能な編集者たちと多くのベストセラーを打ち出して快進撃( 1961年と 1967年にはベストセラー10位内 5冊をカッパの本が占めたという)、日本の教養の質を変えた(と言ったのは会田雄次だっけ?)、そのありさまが前半で描かれている。その舞台、光文社であるが、この本によると講談社が戦争中、若者を戦場に駆り立てるような戦意高揚雑誌を刊行していたりしたため、GHQ支配下で出版活動が制限されることが見込まれ、対策として別の出版社、光文社を作ったという。そして皮肉なことに戦争協力によって陸軍より優先的に配給されていた豊富な用紙によって、光文社が戦後の物資不足の中、民主主義を賛美する雑誌で活動を開始することが出来たという。入社時から切れ者であり、戦前は広報、新聞拡販などに携わった神吉晴夫は光文社で次々とヒットを生み出すわけだが、今ちょうど江戸川乱歩全集の少年物を読んでいたら、戦前講談社から出ていた乱歩の少年物を光文社から出版したいと求めてきたのは神吉晴夫だった。「神吉君が」と乱歩が書いている。ついで光文社の雑誌“少年”の編集者に乱歩の少年物連載を勧めて、ここに戦前に続いて戦後も数々の少年物が書かれることとなったのだという。

私の小学校時代、1960年代後半はまさにカッパ・ブックス快進撃の時代で、高学年になって本屋で手に取るようになる前に、新聞の大きな広告でその存在を印象づけられていた。カッパ・ノベルスの松本清張も広告のリアルな肖像イラストでおなじみになっていた。反面、当時ジュニア向けホームズ物など読んで推理小説好きを自認していたが、ミステリとして宣伝されるカッパ・ノベルスの清張作品は一見興味を引きそうな、でも子供の読むものではない、子供が読んでも面白くもなさそうなものという印象が強かった。しかし、カッパ・ノベルスの松本清張は読まなかったが(祖母が分厚い『黒い画集』を買ってきたのを、ちょっと見てみたりしていたが)、大人向けの本はまず創元推理文庫のクリスティ、ドイルから読み始め、次に手に取った大人向けの本がカッパ・ブックス……ではなかった。近所の本屋に、やはり×××ブックスが並んでいた。サイズは新書と同じだが、×××ブックスが新書と違うところにデザインがカラフルで表紙もそれぞれ工夫をこらしたものであり、そのカラフルで興味を引くような本が新書と同じ棚でなく、もっと前の方の雑誌が平積みで置かれている台の上の棚にズラリと並んでいた。新書、文庫と同じではなく、雑誌と近い目立つ場所に置かれている、というのはもっと大きな本屋でもそうだったから、全国的にそうだったのではないか。内容だけでなく、こうした外見や扱いも新書とは違うという印象を与えていた。そういう×××ブックスで私が最初に買ったのはワニのベストセラーズの浅野八郎『人間テスト』という本だった。カッパ・ブックスからは手相の本を出している浅野八郎がアメリカの雑誌に載っている娯楽としての心理テストを紹介した、少々エロチックな部分もある本だった。次に買ったのがカッパ・ブックス『頭の体操』第2集で、次が『西洋占星術』だった。以後、中学を卒業するくらいまでの 4年近くカッパ・ブックスはよく買った(書名を挙げると加藤周一の『読書術』―『頭の体操』以前の初期のカッパ・ブックスでは、内容は易しいのだけど、ちゃんと文章を読まなければならない本が普通だった、これもタイトルはハウツー物ぽいが、普通のエッセー。多湖輝の『頭の体操』以前の『読心術』、4巻まで出ていた『頭の体操』、『英語に強くなる本』―100万部売れたこの本も、しっかり読むところのある本で真鍋博の挿絵が印象的、同じ著者の『英単語記憶術』、『英熟語記憶術』、『もうちょっとで英語は話せる』、南博の『初歩・心理学』、南博訳編の『記憶術』、波多野完治の『心理学入門』(これはなかなか読み応えのある本)、木々高太郎こと林髞の『頭のよくなる本』―これなんかもハウツー物ながらちゃんと読まなければならない本、こういったところ)。

カッパの本のベストセラー本やその他のカッパの本はその後も折りに触れ買うことがあり、親しみ深いものがあった。だからカッパ・ブックスの中でも快進撃を続けた 1960年代の数々のベストセラーがこうして生れたという過程がヴィヴィッドに書かれた個所は読んでてエキサイティングである。ところがその後、1969年だったかな、大いにはめをはずした忘年会の話があったと思ったら次に話は光文社争議に突入、イッキに盛り下がるというか、いっきに暗い影が覆う。今までにないアイディアと精神で快進撃を続ける編集部のありさまを読んで―しかも彼らが作った本は私も何冊も実際に自分で読んで、その出来栄えは分っている―ハイになっていたら冷や水をかけられる。光文社社員の組合が会社上層部の意のままに動く御用組合と闘争を続ける第二組合とに分裂、会社側は第二組合を押さえ込むために、暴力に慣れたような連中を管理職として雇う。窓ガラスが割れ、破片が床に飛び散っている。数年に及ぶ闘争の中、暴力沙汰が頻繁に起こり、本書の記述によると組合員の中には膵臓破裂の重傷を負った人もいるという。その後、どうなったのだろう。

高度経済成長下の日本、労使のぶつかりあいはいずこでもあり、こうした暴力的な事態に陥った会社というのも珍しくはないだろう。当時は 60年安保、70年安保の反対運動が盛んに行われた時代であり、労働者たちも元気があったのだ。しかし、その舞台が大ベストセラーを生み出し続けている出版社というのでは注目されるのも当然だろう。この本によると組合支援には有名な作家や芸能人たちが名乗り出ている。光文社争議というのがある、というのは当時十代の私のもとまで伝わっていた。神吉晴夫が有能な編集者だが、それで光文社を辞めたということまで知っていたのだ。どのようにして知ったか分らない。まだ“噂の真相”などない時代である(あっても十代の私は読んでないだろう)、私が読んでる作家か誰かが私の読んだ何かで書いたりしていたのだろう(ちなみに私は北杜夫の本を当時から愛読しているが、ベストセラーとなった出世作『どくとるマンボウ航海記』は航海の後、最初、神吉晴夫が訪ねて来て本を書くことの打診があったとエッセーに書いている)。注意してみると、確かに最初はカッパの本の最後にある創刊のことば(例の、へのかっぱというあれ)のところとか、奥付に神吉晴夫の名前があったのが、いつの間にか無くなっていたような……。ただし私はそれはもう過去のことだろうと思っていた。神吉晴夫は争議の初期に退陣しているのだが、この本を読んで、その争議がまさに私がカッパの本を次々と読んでいた 1970年代前半に継続していたことを知った。そして争議の最中にも『日本沈没』など新たなベストセラーが何冊も生れている。ちなみに著者は争議終了直前の 1975年入社で入社してすぐカッパ・ブックスを担当して、2000年過ぎてカッパ・ブックスが終焉するときにまた担当したという。

次々とベストセラーを生み続ける有能な編集者たちのドラマ、重苦しい労働争議のドラマ、それらがちょうど入れ替わるように続くから不思議な違和感があるが、どちらも同じ出版社を舞台とした物語であり、当事者たちの真実である。ちょっと語る対象の捉え方を変えてみると、どちらかの物語になる。有能な編集者たちがいないと次々とヒットは生み出せないが、しかし彼らだけで動いている会社ではないのだ。

ところで、そのカッパ・ブックス以外の×××ブックス、光文社の編集者たちが争議の時期に移籍してカッパのノウハウを広め、編集の才を発揮したものもある(青春出版社、祥伝社、ごま書房)ということをこの本で初めて知った。××ブックス以外の分野でも活躍したという。また、かんき出版という出版社の名前は聞いたことがあるけど、これは晩年の神吉晴夫が設立を準備していた出版社だと初めて知った。

闘争の終了後、平穏に戻った光文社での1980年代のあらたな展開、カッパの本に関して言えば新シリーズ、カッパ・サイエンスの登場があった。女性向けファッション雑誌“JJ”が売れ、最初の部分はカッパ・ノベルスから出ていた(私もリストに載っていたのを覚えている)『神聖喜劇』が全6巻で刊行、光文社文庫創刊、“週刊宝石”創刊と出版社の活動が続き、時代が変ってゆく。いつしかカッパの本が時代遅れになったのだろうか。正規のシリーズとしては 23集まで出ていた『頭の体操』だが、私は新しい集が出るたびに買っていて、23集まで持っている。ひさびさに 2000年頃に出た 23集を取り出して(最後の集ということで大事に読んでいて、じっくり問題を解こうと思ってまだ最後まで読んでないのだ)巻末の刊行リストや、はさまれている広告など見ても、カッパの本は変らず健在であるようなのだが……。本屋ですぐ見つかるはずのカッパ・ブックスがなかなか見当たらなくなってきていたことには気づいていた。光文社新書が出ていたし、カッパ・ブックスの受け皿のような知恵の森文庫も登場していた。この本によると社長になった“JJ”をヒットさせた編集者がカッパのマークがきらいだったという。そのことが象徴的なように、時代と社の空気がカッパ・ブックスを存在させなくした。会社内だけの問題でもないと思うが、こういう場合、出版社が大きくなるというもの考えものだなあと感じる。

ともあれカッパ・ブックスが本屋で見られなくなった時代というのはカッパ・ブックスだけでなく、その他××ブックスというスタイルの本がこぞって消えてしまった。そしてもうとにかくやたらいろんな出版社から新書のシリーズが出ている。それらの新書を本屋で見てみると、これは世が世なら到底新書では出なくて、×××ブックスから出ているだろうと思われるようなものが見られる。より大衆向け、より柔らかい内容、よりイージーな、そんな風なもの。新書の一部は完全にかつての××ブックスを代用していると思う。しかし、カッパ・ブックスを代表とする×××ブックスに較べて、経費節約になるのだろうが、ほとんどすべて同じ装丁の、表紙絵、挿絵もほとんどない新書がズラッと並んでいるのは味気ない。1970年代当時、カッパの本を初めとした×××ブックスを本屋で見たり、買って帰ったときの面白がらされるワクワク感、ヴィジュアル的な魅力が懐かしい。私が当時大人の本を読み始めた、好奇心にあふれた思春期だったことと、カッパの本をはじめとした×××ブックスのいい時代が幸福に重なっていたのであった。さて、現在のズラーッとある新書の中に星海社新書という聞いたことない出版社の新書があって、その中の『オカルト「超」入門』という本を買って読んだのだけど、この本によると 1978年生まれで(私より約 20歳下)光文社をリストラされた後、星海社に移って活動を続けている編集者は最も尊敬する編集者が神吉晴夫なのだそうだ。こういう人も現在いるのである。どの出版社でもいい、電子書籍でも紙の本でもいいけど、カッパ・ブックスのワクワク感を21世紀の現在に感じさせてくれたらなあ。

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(再掲)感想文:漫画単行本『『大好きが虫はタダシくんの』阿部共実

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/02/28『大好きが虫はタダシくんの』阿部共実(秋田書店、少年チャンピオンコミックス 2013.1.20、電子書籍版 eBookJapanよりダウンロード )

毎週“少年チャンピオン”で読んだ『空が灰色だから』は買おうかどうか迷ったけれど、最近は漫画本を貯めるのをやめたい気になっているので買っていない。この作品集『大好きが虫はタダシくんの』は、『空が灰色だから』の 4巻と同時に出た、と思うが、今ネット書店で確認した、間違いなかった。『空が灰色だから』は買わなかったが、一冊で済むこれは買ってよもうかという気になったのだ。この作品集には“少年チャンピオン”でのデビュー作、新人賞の、どこまで行ったのか覚えてないが、新人賞にかかわっていた作品だったと思う「破壊症候群」が収録されている。。キュートでポップな今様の絵柄だが、でもどっかで見たような気もする。賞の評者の一人、浜岡賢次もそんなことを書いていたように思うが今、確認出来ない。そのどっかで見たようなというのは特定の作家でなくて、今の時代に出てくるべくして出てきたような絵柄というような感じなのかも知れない。非常に説得力のある絵柄と言えよう。でもって、その作品「破壊症候群」だが、よっぽど切り取って保存しておこうかと思った。新人の読み切りで、ここまで思うのはめったにない。探したが無かったので保存はしてなかったみたいだが、そのためにもこの本はありがたい。

それから今、“少年チャンピオン”の webコミック・サイトの“Champion タップ!”というのが運営されているが、『空が灰色だから』連載中に、今から思うと、その試験的な試みが、「浦安鉄筋家族」の特設サイトという形だったと記憶するが、あって、そのサイトで短期連載されたのが、この本で分量的に一番大きな「ドラゴンスワロウ」で、毎回毎回が何かある「空が灰色だから」に較べて、乙女二人の百合な片思いをギャグで流したなんとも言えぬいい感じが記憶に残った。その「ドラゴンスワロウ」がこの本で読める。後は巻頭のカラーは、これは「空が灰色だから」がカラーページの回のときのものだね、これは保存しているのもあるはず。

「破壊症候群」はSF的ファンタジーでアクションもあるという話なので、この先活動が続くならそういう方向で展開されるのだろうと感じられたから、「空が灰色だから」が最初に短期連載の「空が灰色だから手をつなごう」で登場したときは意外だったが、しかし確実な手ごたえがあった。はたして5巻分の作品の結実があった。そのさまをライヴで毎週見られたのはうれしいことだった。

「ドラゴンスワロウ」を落ち着いて再読したが、全般的に片思いの彼女の突っ込むギャグで流れてゆく、たわいない流れの中にふと情感あふれるコマとか、世界がいい雰囲気のコマがあって愛すべき作品である。後の作品は未読だったが、ギャグをかましながら、キュートに世界と人間の生に切迫する作者の漫画の可能性が伺える好編がそろっているというと褒め過ぎか?

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2014年 7月 〜 12月に感想を書いたもののリスト

この 9月で閉鎖することにしたページで書いた感想文。

マンガ単行本
(原作)真樹日左夫(漫画)逆井五郎『あいつ!』下巻
望月三起也『バサラ戦車隊』
かがみふみを『アシスタント』2

CD
ヒデとロザンナ 『ヒデとロザンナ ゴールデンベスト』
デヴィッド・ボウイ DAVID BOWIE『アラジン・セイン』“ALADDIN SANE”
白木秀雄クインテット&スリー琴ガールズ 『さくら さくら』
ジミ・ヘンドリックス JIMI HENDRIX『ヴァリーズ・オブ・ネプチューン』“VALLEYS OF NEPTUNE”
ローリング・ストーンズ ROLLING STONES『スティッキー・フィンガーズ』“STICKY FINGERS”
スリー・ドッグ・ナイト THREE DOG NIGHT “The Collection”
スキャンダル SCANDAL『スタンダード』“STANDARD”
エアロスミス AEROSMITH 『ドロー・ザ・ライン』“DRAW THE LINE”, 『グレイテスト・ヒッツ 1973-1988』“Aerosmith's Greatest Hits 1973-1988”

活字本
クリス松村『「誰にも書けない」アイドル論』
名和広『赤塚不二夫というメディア 破戒と諧謔のギャグゲリラ伝説 「本気ふざけ」的解釈 Book2』
前嶋信次、池田修訳『アラビアン・ナイト』8~14
日本民話の会『決定版 日本の民話事典』

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web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定

1999年の春からやってまいりました、私のページ「「すわてのメモ」ページ」ですが、この 9月をめどに閉鎖しようと思います。

「「すわてのメモ」ページ」の内容のうち、
日記的なものはツイッターで @suwate_0510Jp
感想文的はものは、このブログで
リンク集他データ的なものは、このブログに設置できるウェブページで、
というように、さっそく今から切り替えます。

閉鎖理由、サイト運営管理のシンプル化省力化、発信内容の簡略化とか……。

ついでに、このブログの記事も随時削除。

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乱歩再読メモ 『大金塊』

1978年版講談社江戸川乱歩全集に収録されている少年物は先に記事を書いた『怪人二十面相』、『少年探偵団』、『妖怪博士』が1巻に収録され、次に『大金塊』、『青銅の魔人』、『宇宙怪人』が続く巻に収録されている。そのうち『青銅の魔人』、『宇宙怪人』は戦後になって少年物執筆再開時の作品、戦前の作品は『大金塊』と他に『新宝島』がある。戦後の手塚治虫のデビュー作と同名の『新宝島』は南方の島を舞台にした、当時の国策にも合致したような冒険物であるらしく、戦前に書かれた少年物のミステリ作品は、この『大金塊』が最後である。怪人二十面相が登場しない唯一の少年物長編だという、この長編は当然二十面相の代わりの犯人一味が登場している。この犯人一味、首領や部下たちが二十面相と代わって存分に活躍させられそうな魅力を備えたキャラクターであるにもかかわらず、太平洋戦争開幕前夜でだんだんと探偵小説などが書きづらくなった世相が反映されているのかどうか、それとも乱歩の飽き性によるのか、以前の二十面相物に較べると盛り下がったものになっている。場面は留守を守る少年が盗賊に襲われる発端、それから小林少年が代わりに誘拐されて脱出する前半、暗号文に書かれた島の洞窟探検の二場面のみなのだ。しかも作中でも触れられている『妖怪博士』に続いての洞窟舞台である。でも作品の長さ自体は、以前の長編と変りないのである。

お屋敷に暮らす少年が父の留守に一人番をしている夜に盗賊が入るエピソードはモーリス・ルブランのルパン物第一作である短編集『怪盗紳士』の「ハートの7」のエピソードをそのまま流用している。ベッドで寝ようとしたところ、賊が見張っているぞとのおどしの文を見つけて、見るとカーテンの向こうから賊が見張っているので一晩身動き出来ないというシチュエーションである。乱歩は以前の通俗長編でも、これに基づくトリックを使っているけど、ここではそのまんま借用されている。私は子供時代、最初ホームズ物ばかり読んでいたが、学校図書館にポプラ社の新しいルパン全集(オイルショック以前のこととて、子供向けの本はペーパーバック的な軽装でなくて、しっかりした作りのものが多く、このシリーズも厚い表紙でビニールカヴァーがつき、箱に入っていた)が入ったのに刺激されて、自分で本屋でその全集の『怪盗紳士』を買って読んだ。『怪盗紳士』を選んだのは、これが第一作であることを知ったのと(巻数は 7巻目だったと思う)、短編集で読みやすそうだったからだ。その中で「ハートの7」を読んだときは、もし主人公と同じ目、つまり寝ているときに、動くなと書いた紙を見つけて、隅から賊が狙っていたら自分ならどうするだろうと、真に迫って状況を空想した思い出がある。だから、もしこの『大金塊』でも、このたわいないようなエピソードでも読んでる子供にとっては強烈な印象を与えたことだろうと思う。

続いては、またですか、という感じの人間椅子トリックによって、お屋敷の少年に扮した小林少年が賊にさらわれる。ここで小林少年が明智探偵の作った万能鍵で牢屋を脱するというのは、いささか安易というか今のネット風に言うとチートな感じだが、それでも賊の手中に落ちた小林少年が賊たちの様子をうかがいながら行動を開始し、賊の首領の正体を見る一連の場面は読んでいる子供たちには迫真のスリルではないかと思う。そこで出し抜かれた賊一味が次に何かたくらむのかと思ったら(賊から明智に届いた手紙には最後の手段があると書いてあるのだが、結局賊たちは明智たちの後をつけてきただけとう展開)、もうすぐに明智が小林少年とお屋敷の父子と暗号文の島へ出向くのだ。この暗号に書かれた島がどこかを見つけるのも、知り合いの登山家が暗号文に書かれた動物の名前の岩がある島を知っていたという安易な展開だ。でも、三重県にあるというその、地元の漁師が行きたがらない島に舟を雇って向う場面、巨岩を前にしての見立ての暗号解読、続いての洞窟探検と、読んでる分には先はどうなるのだろうという迫真の展開が続くのだ。前の巻の『妖怪博士』でも思ったが、引いて大人の目で客観的に評価すると、たわいない、『怪人二十面相』、『少年探偵団』に較べて盛り下がった安易な内容であっても、子供の気持ちで読んでる分には十分に迫真のスリルある読み物である、ということもあるのだ。そういう点では、乱歩は押さえるべきところを押さえているのだ。

ところで、高尚な少年愛文献研究に取り組んだ乱歩の描く明智と小林少年の関係というのもふだんから十分に妖しいものが漂っているのだが、この作品は、加えて海水の流入する洞窟を二人っきりで小林少年とお屋敷の少年がやたらと手をつないだりして逃げ惑う。

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