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乱歩再読メモ「陰獣」

初の長編『湖畔亭事件』、『闇に蠢く』に続き、“朝日新聞”の全国読者に向けて長編『一寸法師』の連載を終えた乱歩は自作への嫌悪から筆を折り、放浪の旅に出た。『一寸法師』執筆時期には同代表作の一つである『パノラマ島奇談』が書かれていたが、その旅を終え、休筆開始から 1年半余り後に書かれたのがもう一つの代表作「陰獣」だった。最初、雑誌“改造”に書いたものだったが長くなったので、融通の利く“新青年”に回したのだという。当時の“新青年”編集長は横溝正史だった。講談社 1978年版全集、中島河太郎は〈乱歩の長編代表作「パノラマ島奇談」と、中編代表作「陰獣」を収めた本巻は〉と書いている。「パノラマ島奇談」と「陰獣」と長さはそう変わらないようなのだが、ここでは一方は長編、一方は中編とされている。乱歩の長編を評した大内茂男「華麗なユートピア」でも「パノラマ島奇談」は長編として取り上げられているのだが、今回あらためて創元推理文庫版「日本探偵小説全集 2 江戸川乱歩集」で見てみたら、「パノラマ島奇談」は 126ページ、「陰獣」は 120ページとわずかな差なのだ。

私は中二の春、春陽文庫の当時、乱歩短編全集というくくりの短編集の一冊で読んだ。「陰獣」も「パノラマ島奇談」も、この「乱歩短編全集」の中に収められていた。平凡社から「国民百科事典」という全 5巻の百科事典が出ていて、家にあった。その「探偵小説」という項目は中島河太郎が執筆していて、国外50、国内50のベスト作品の表があり、その中に乱歩作品は「二銭銅貨」「心理試験」そして「陰獣」『化人幻戯』が選ばれていたので、名作であると期待して読んだのである。確かに推理小説として良く出来ており、それだけでない不気味で、なおかつセンシュアルな読後感を残すものであった。

この「陰獣」は雑誌発表時から、たいそう評判になったという。乱歩の晩年の全集に添えた「自注自解」が上記「日本探偵小説全集」に収録されているが、その「自注自解」では〈当時の編集長横溝正史君が非常に宣伝してくれたので、雑誌の再版、三版を刷るという売れ行きを見たのである。〉しかし乱歩自身、戦後の全集にそえ当時は評判になったが今読んでみると大したものではないが、〉と手厳しい。はたして「陰獣」は、大したものなのだろうか、大したものではないのだろうか。

まず、中編という長さなのだが、アイディアとしては、一人二役のヴァリエーションを核とした、あくまで短編のアイディアとして書かれた小説ということになるのだろう。そして乱歩が先の文章に続けて書いている〈この小説には楽屋落ちみたいなものがあり、そこに奇妙な魅力があるのではないかと思う。〉、これはどういうことかというと、作中ヒロインをつけ狙う猟奇的作風の探偵小説家がいて、その作家が乱歩の初期短編をもじった題名の短編を書いているということになっているのである。いわば作品中に「悪の乱歩」(笑)が登場するという趣向が珍しい。小説を書いただけではなく、実際に「屋根裏の散歩者」みたいにヒロインの屋敷の屋根裏に上ってヒロイン夫婦の動向を観察しているのではという疑惑にヒロインがおびえる。その他作品中のいろいろな事象が、乱歩の作品に関連する。そして、この趣向は単なる、それまでの乱歩作品読者を狙った「楽屋落ち」という遊びではなく、作中人物によるトリックでなく、作者の仕掛けるトリックとなっている。

真相を究明するのは、ヒロインを助けることとなった、健全な作風の探偵小説家であるが、真相に届く前に、一度誤った結論に達し、この結論を検事の元へと手紙で送っている。この誤った結論が、ちゃんともっともらしい結論になっていてほとんどそれで納得できるように作られているのが、本格推理物として、きちんとしている。そしてその誤った結論が、ちょっとした部分からひっくり返って、本当の真実の姿が浮かぶ様のスリルがある。

ヒロインを助ける健全な作風の探偵小説家である語り手が、未亡人となったヒロインと男女の関係になって、情事を行う秘密の家の中で、ヒロインを相手に真相が語られる、しかも実はマゾヒストであったヒロインを鞭打ちながら真相を語るというシチュエーションは相当に珍しく、強烈な印象を残す。もちろん、そこに至る必然性はある。そして、これがポルノ小説流行となった 1970年代以降に書かれた作品ならともかく、戦前の作品なので、決してサーヴィスでそういう描写を入れたのではなく、他にそんなに露骨な描写はない。なにしろ秘密の家を借りたヒロインと語り手が、そこで行ったことといえば、延々と追いかけっこをやったり、二人で、ずっとしくしく泣いていたりすることなので笑ってしまうかも知れないが、露骨な性描写でなく、こういうへんてこな描写がまた、かえってしっくりくるように思うのである。

昭和9年に書かれた「「陰獣」吟味」という、井上良夫の文章は「陰獣」を傑作としているが、井上良夫自身は、いわゆる乱歩趣味は好きではなく、乱歩の文章の言い回しも好きではないと書いている。しかし、たしかに、きちんと構築された謎文学であるが、その謎世界は乱歩的世界の中でこそ、輝いて見えるという、そういう作品が、この「「陰獣」ではないかと私は思う。〈それを考えると、青空が夕立雲で一ぱいになって、耳の底でドロンドロンと太鼓の音みたいなものが鳴り出す、そんなふうに眼の前が暗くなり、この世が変なものに思われてくるのだ。〉という語り手の文章、語り手がいよいよ真相を語る章の、梅雨に入る前の季節気候の描写など、こういうおなじみの乱歩調無しでは、かなりこの作品の魅力は減じるだろう。

最初に読んだとき、印象的なスリリングな場面というと、本当に殺人が起こり、ヒロインの夫の死体が、当時はこういうものがあったらしいが、船着場の、川に垂れ流す便所に流れ着くところだ。川は隅田川であり、印象的な作品舞台である。今回再読して面白かったのは、主人公と親しい雑誌編集者が、行方不明の猟奇的作風の探偵小説家が浅草でサンドイッチマンをしているのに出くわしたり、次には見世物小屋で働いているのを発見する場面である。

最後の語り手に残った疑惑を語る一章は、最後が曖昧だ、疑惑を残したという声もあり、一度乱歩も削除したことがあったという。中島河太郎は〈一応真相が語られているのだし、一人称で書かれた場合、そういう余韻を残したところで少しも差支えないはずといえよう。〉とする。確かに最後に一章を割いているのは余韻としては長すぎるかも知れず、私は最初読んだときは、本格推理小説としてよく出来ている、語り手による真相解決を受け入れながらも、この余韻の悪夢っぽさが読後に印象を残した。そして再読した今の感想としては、猟奇小説家が屋根裏に潜む光景も、やり手実業家の夫がハゲにかつらをかぶってさらに妻をいたぶるために下着姿で窓の外に立ち、やがて足を踏み外す光景も、作中で、それぞれに悪夢っぽい現実感を持っている。そして真犯人の姿……理路整然とした推理の解決の外に、こういった悪夢を抱えた小説が、この「陰獣」なのだ。怪奇幻想、当時変格探偵小説と呼ばれた作品ではなく、きちんとした本格推理小説世界に、精神と生理のかもし出す生々しいスリルを浮き上がらせたところが、この作品の魅力だ。


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