甲子園の高校野球チアが定番になった頃
「甲子園の高校野球チアが注目され出した頃+『おれはキャプテン』 on JBOOKが、確か 1976年の夏の“平凡パンチ”。これは 1979年の夏の週刊“プレイボーイ”。撮影者の名前を見ると、“平凡パンチ”が羽岡昭、餅原毅。この“プレイボーイ”が羽岡昭、なんのことはない、同じ人が撮影してるんだね。

なんといっても、オオッ、と見てしまうスパンコールつき、レオタード。レオタードという単語が一般に広まるのは、翌年以降の新体操、エアロビブームになってから、この記事に「レオタードの少女が」なんて文句はない。この写真の横の文章は「『ワタシィは愛の水中花』。 スタイルと鮮度は松坂慶子を楽に上回っている。」とある。これは、その頃、松坂慶子が五木寛之原作の『水中花』というドラマに出演していて、その中でキャバレーのバニーガール姿になってたんだね。松坂慶子が歌う主題歌「愛の水中花」もヒットしていた。それを踏まえてのこと。松坂慶子は、そりゃ美人なのは分かるけど、当時二十歳前の私なんかからすると大人過ぎ、って感じだった。今改めて当時の彼女の歳を考えると、ヘタすると、ほしのあきより若い? ってくらいなのだが。
それはともかく、このレオタード姿ってのは、応援に地元でバトントワリングやってるグループとかに頼んだりして、こうなったんだろうかね? バトントワリングなんかだと、パレードなんかでレオタード姿で演じるってのも普通にあるからね。そんな感じじゃないかと思うんだけど。で、応援だから目立てばいい、華やかなのがいいって、こういう風になったんじゃない? でもまあ、こういうのも、この時限りだったんじゃないの? 目立ちすぎだもん(笑)。どうだろう?

こちらは、その裏ページ。当時としては、こんなもんだ程度に、応援のスタイルというのも確立された感がある。これが 1985年頃になると、同じ週刊“プレイボーイ”でも、足振り上げる女の子の下に寝転がって撮影するカメラマンたちを写して、こいつらはひどい、みたいな正義のマスコミぶった記事になってた。
応援の女の子たちを取り上げた記事として記憶にあるのは、翌年の秋、月二回発行、「実験人形ダミー・オスカー」でおなじみの(笑)小学館“GORO”で東京六大学野球の神宮チアを取り上げたのを、モノクロページで見たことがある。慶応の女の子が、これはスカートと同じ色のアンダートランクスというかパンツをはいて、ウエストコーストのチアリーダー風でしたけど、ハイキックの瞬間を大きく、1ページ大か見開き 2ページかで掲載してましたな。早稲田は白のテニスのアンダースコートだったと思う。こういうのも、どの大学はどういうユニフォームでとか詳しい人はいるんだよね。この記事は保存してない。
“セクシーアクション”なんかでも最初期の頃は、この神宮チアを取り上げたりしてたけど、すぐ撮影出来なくなってますな。恐い応援団もいるみたいで(笑)。そして、1985年頃になると、高校野球の方も上記の週刊“プレイボーイ”の記事状態で。その後、現在に至るまで、どうなってるのかは知らない。
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