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甲子園の高校野球チアが定番になった頃

(2009.12.1 追記 以下の記事、掲載の 1979年の画像が週刊“プレイボーイ”のものと思い込んで記事を書きましたが、どうやら、これも“平凡パンチ”だったようです。私は該当ページしか保存してないので判断がつきません。記憶だけで書いてましたが、違ってたようです。)

甲子園の高校野球チアが注目され出した頃+『おれはキャプテン』 on JBOOKが、確か 1976年の夏の“平凡パンチ”。これは 1979年の夏の週刊“プレイボーイ”。撮影者の名前を見ると、“平凡パンチ”が羽岡昭、餅原毅。この“プレイボーイ”が羽岡昭、なんのことはない、同じ人が撮影してるんだね。

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なんといっても、オオッ、と見てしまうスパンコールつき、レオタード。レオタードという単語が一般に広まるのは、翌年以降の新体操、エアロビブームになってから、この記事に「レオタードの少女が」なんて文句はない。この写真の横の文章は「『ワタシィは愛の水中花』。 スタイルと鮮度は松坂慶子を楽に上回っている。」とある。これは、その頃、松坂慶子が五木寛之原作の『水中花』というドラマに出演していて、その中でキャバレーのバニーガール姿になってたんだね。松坂慶子が歌う主題歌「愛の水中花」もヒットしていた。それを踏まえてのこと。松坂慶子は、そりゃ美人なのは分かるけど、当時二十歳前の私なんかからすると大人過ぎ、って感じだった。今改めて当時の彼女の歳を考えると、ヘタすると、ほしのあきより若い? ってくらいなのだが。

それはともかく、このレオタード姿ってのは、応援に地元でバトントワリングやってるグループとかに頼んだりして、こうなったんだろうかね? バトントワリングなんかだと、パレードなんかでレオタード姿で演じるってのも普通にあるからね。そんな感じじゃないかと思うんだけど。で、応援だから目立てばいい、華やかなのがいいって、こういう風になったんじゃない? でもまあ、こういうのも、この時限りだったんじゃないの? 目立ちすぎだもん(笑)。どうだろう?

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こちらは、その裏ページ。当時としては、こんなもんだ程度に、応援のスタイルというのも確立された感がある。これが 1985年頃になると、同じ週刊“プレイボーイ”でも、足振り上げる女の子の下に寝転がって撮影するカメラマンたちを写して、こいつらはひどい、みたいな正義のマスコミぶった記事になってた。

応援の女の子たちを取り上げた記事として記憶にあるのは、翌年の秋、月二回発行、「実験人形ダミー・オスカー」でおなじみの(笑)小学館“GORO”で東京六大学野球の神宮チアを取り上げたのを、モノクロページで見たことがある。慶応の女の子が、これはスカートと同じ色のアンダートランクスというかパンツをはいて、ウエストコーストのチアリーダー風でしたけど、ハイキックの瞬間を大きく、1ページ大か見開き 2ページかで掲載してましたな。早稲田は白のテニスのアンダースコートだったと思う。こういうのも、どの大学はどういうユニフォームでとか詳しい人はいるんだよね。この記事は保存してない。

“セクシーアクション”なんかでも最初期の頃は、この神宮チアを取り上げたりしてたけど、すぐ撮影出来なくなってますな。恐い応援団もいるみたいで(笑)。そして、1985年頃になると、高校野球の方も上記の週刊“プレイボーイ”の記事状態で。その後、現在に至るまで、どうなってるのかは知らない。

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古典の研究

美術館行って名画を複写してくるのと、古典の研究するのとでは作業の質としては違うよな」。めったにつかないというか、このときで、まだ 2回目か。コメントがついてますけどね。「通りすがり」という方は、私がニフティに加入してパソコン通信を始めた頃にも名前をお見かけしたから、よっぽどネット生活の長い方なのだ。

少なくとも、古典の研究を全世界で続けてる方々がいる、日本にもいるから、私なんかでも、例えば注や現代語訳を便りに、小学館の古典文学全集とか岩波文庫とかで、活字になった日本の古典をなんとか読むことが出来るんです。古典絵画や彫刻は見ただけで分かる? 研究者の言うことを一から十まで頭に入れて、それで観賞してますって言うのは論外だが、まずは自分で味わい、感じてみるにしても、研究者の解説が観賞と理解を深めてくれることは言うまでもない。もちろん、そういう翻訳作業みたいなことや解説というのは、古典研究の学問の成果が素人に分かる形で表れるというごく限られた場面である。自分にとって何をやってるのか分からないから、どうでもいいような仕事だろうというのは、文化というものを軽んじているのではないかなあと思える。

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“GANG”と“セクシーアクション”

そんなわけでミス日本の「桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた」新体操ブームとかエアロビクス・ブームみたいな時代になって、一方で馬場憲治『アクション・カメラ術 』がベストセラー、そんで、こりゃ売れるってんで、エロ雑誌のヴァリエーションとして、“セクシーアクション”が登場した、という流れだと思う。

それ以前からサン出版には“GANG”ってエロ雑誌があって、“セクシーアクション”は最初この雑誌の増刊で出たってことでいいようだ。1981年夏。

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これがその“GANG”、うちに一冊だけ、ちゃんとした形で現存するもの。1982年の 4月号だから、ちょっと時期は遅い。ヌード、セーラー服、レオタードとか。まあそこそこの水準。絡みものはない。アクション写真ぽいのもある。25歳の男の1年間の芸能人オナニーネタ日記とか。蛭子先生の不条理エロ?マンガとか、劇画時代だけど、かなり絵が洗練されてきた中島史雄の短編「アコのあこがれ」とか、杉森昌武の毒のあるパロディ記事とか、南伸坊は、もうこの頃はかなりマイナー有名人になってたと思う。カラー1ページで、中学生女子のオナニーの悩みに答える絵と文章の遊び記事を南伸坊が作ってる。エロ雑誌関係でいうと、当時は白夜書房が、エロ・サブカルチャーぽいノリで、マイナーな中のメジャーみたいな存在だったが、サン出版はまた、白夜書房とは一味違った風だったような。中島史雄といえば、今は私はページを作っているほどの読者だが、当時はエロ劇画はほとんど読まず、まったく知らなかったのだ。この作品も、当時は関心がなく、久保書店から 2000年に出た再録作品集『少女狩り』に収録されてるのを読んで、その後で、この雑誌に載ってたのに気づいたんだと思う。


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こちらは、1981年夏の“GANG”裏表紙の“セクシーアクション”の広告。宣伝文句「ギャングの次にヤラシイ!」ってのが笑える。いかにもの写真でありますが、当時は、こういう写真でオオッ、よく見つけて撮影したなあと感心したものでした。二十歳過ぎてたけど、“漫画アクション”連載「昭和の中坊」の連中と大差ないという……。この号の“GANG”も、確かブルマー特集だったんだよね。で、読者の手記で年配の人の投稿があって、若い頃は周囲がちょうちんブルマーだったので、最近の露出度の高いブルマーより、ちょうちんブルマーの方が昂奮すると書いてあって(確か嫁さんに着せてるとかじゃなかった?)、そういうもんかと、性の深遠さに思いを至らされたものだった(笑)。

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「旬の話題ブログ」というので紹介されていた

さっき、ココログのアクセス解析を見たら、こないだ書いた「桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた」の記事へのアクセスが、棒グラフが、こう、横の方にえらく伸びてて、統計中の他の記事の 200〜400倍もあるので(他の記事へのアクセスは 1か 2なので、つまり 400アクセスあるということ)、どっかで紹介されたのかなと思って、リンク元を調べたら、http://www.nifty.com/ 「旬の話題ブログ」というコーナーの、10月16日 14:00更新の枠で「亀田父、処分決定後コメント…大毅の処分は重い。」とか「肉球クリーム☆こっそり使ってみたら…「おおっ!?」」などという記事と並んで紹介されていた。スタッフの方からコメントもいただいている。へえーっ……って感じですな。

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新体操ブームと馬場憲治『アクション・カメラ術 PART 2』の頃

桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた」、1980年頃から新体操がブームになって、レオタードという呼称が一般的に認知され、エアロビクス・ブームでもあって……と、あの頃のことに思いを馳せると、同時にその時代は、エロいこと大好きな野郎たちにとっては、アクション写真ブームの台頭という時代であったなあと、しみじみと思うわけです。

そもそもが「アクション写真」とかいう呼称が、まあ、そういうパンチラとか着替え覗きとかテニスのアンダースコートが見えてるところとかブルマーとか、そういうものを目当てとした写真である、というニュアンスを持つようになったのは、この本からでしょうね。ワニブックス『アクション・カメラ術』馬場憲治。これはベストセラーになった。こんなページがあったよ。「ゲンダイネット」「【あの人は今こうしている】アクション・カメラ術がバカ売れした馬場憲治」この記事読んで思い出したけど、この人、石川さゆりと結婚してたんだね。

んで、日頃、ブルマーだ、レオタードだ、女子体操の誰々がどうとか、このブログで言ってる私にとって重要なのは 1981年 5月 5日刊行『アクション・カメラ術 PART 2』の方ね。

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この本でも、表紙を見て分かるように、半分以上は、海辺の水着や街中のスカートからパンチラがターゲットなんだけど、同時に 2章、3章でセーラー服、ブルマー、女子体操、テニスといった被写体が取り上げられた。

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これは、2章にあたる部分の扉的 2ページ。そりゃ、中学高校時代と、身近にブルマー着用女子がいた私ですが、こんなに鮮明に、まじまじと、誰にもとがめられずにブルマー姿の女子を、思うまま眺められるなんて、初めてでしたからね。そりゃインパクトあった。でも、後になって考えてみると、こういうのって、あれですな、そりゃまあ、「こういう本用の写真なんだな」というのが、だんだんと分かってきましたが。それでも構わないようなきれいな写真ではある。ブルマーが数ページ分、あとレオタードとか、ジョギングパンツ、テニスのスコート姿などいくつか。写真のページが左右 2ページに、次に文章ページが 2ページ。だから、案外に文章の多い本でもある。文章では、こういう写真をどういう風に撮影するかとか、まあいろいろと書いてある。今、見返して笑えるのは、後半の方で、ギターのケースに仕掛けるとかのスカート覗き用カメラの仕掛けを、図解してあるページがあること。当時でも、もし実際にそういうこと実行して現場抑えられたら、もちろん犯罪。今なら、もっと大騒ぎである。でもまあ、こういう本のネタとしてあった時代。最近でも、携帯電話のカメラのシャッター音を消す方法とかあるね。

今思うのは、こういう本が企画で出て来るってことは、ポッと出で来たというのじゃなくて、アンダーグラウンドでは、これより先に、そういう写真を撮って、密かに楽しんだり、写真を見せあったりしてる好事家はいたんだろうし、エロ雑誌などでは、これに先んじたものがあったかも知れないなあ。

永井豪の『ハレンチ学園』やガソリンの「オーモーレツ」の ミニスカートがめくれる CMが話題になったのが、1960年代末。その時代がどういう時代かというと、下着がズロースと呼ばれる、でかいものから短いものになって、それをミニスカートでぎりぎりに隠すという、そういうファッションが確立された時代だと思う。同時に、ショーツ型のブルマーも普及した。「アタック No.1」や「サインはV」に見られるように。

これは大学の卒論らしいが、「パンツの歴史」。「これまでの大きなパンツでは、パンツの下端が日常的に露出してしまうという理由から、股ぐりを深くした小さなパンティの需要が増大したのである。」なるほどね。

で、そういうパンティを見て、子供たちはすぐに、スカートめくりを実行したけど、これは『ハレンチ学園』の影響……でいいのか? 一方で、野郎たちの、そういうものに対してアンダーグラウンドでのアプローチが、1970年頃から 1980年頃までにあって、それが 1980年になって『アクション・カメラ術』で表に出てしまったということだろう。私のページにも書いてるけどさ、こういう本が出て、「なんだ、ブルマーやレオタードをエッチな目で見ている男って、けっこういるんだなあということが初めて分かった」、おお、同志よ、感激だ、We are not alone フェチとの遭遇、なんていう当時の私のような男も多かったと思うし、そっからワニの本の会社は、そのものの「アクションカメラ」って雑誌を出したりしたし、サン出版の“セクシーアクション”、そして“投稿写真”という流れが起こってくる。同時に、そういう本や雑誌がいったん出た以上、そりゃ、あなた、中学生高校生の手に入ったら、学校で回し読み、女子の知るところとなると、今まで漠然と恥ずかしかったブルマー姿が、具体的に男のスケベ目線というのが、雑誌で解説されてるようなわけだから、当然、ブルマーへの拒否的傾向ってのは高まっていったんだろうなあと推測される。

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桑原順子という人が新体操のリボンを振っていた

“スポーツアイ”が創刊される前にあった、似たような雑誌のこととか」で書いた、なんだか新体操が注目されるようになったなあと私が感じた最初の頃が、その名前不明の雑誌の太田倫代、山崎浩子のグラビアに続いて、その秋、郵便局で見つけた、これ。

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これは、クリアファイルに入れて保存してある。このシンプルな無地のレオタード、なんか、NHK朝のテレビ小説とか、ああいう感じの真面目で明るい表情、それほど新体操選手としてシェイプアップしてなさげなボディーが。それはいいんだけど、なんでいきなり新体操なんだって感じはしたな。そもそも、この右下にある名前の「桑原順子」って誰? って、ずっと思ってたんだよね。27年間。アイドル歌手か女優として売り出そうとして、何かの事情でそのままになっちゃった、みたいな人かな? とか。

20071008


んで、今この記事書くついでに、Googleで検索してみたら、なんと 第12回目、 1980年度のミス日本だというじゃありませんかい。参考「スポニチのミス日本のページ」。27年ぶりに疑問が氷解したという、インターネットの知の営為(笑)。ミス日本、山本冨士子がそうだってのは聞いたことあるように思うが、それが 1950年で、1968年に復活して今まで続いてるんだってのも、このページで初めて知った。それはいいけど、良く見たら、12回目も 翌年13回目も桑原順子なんだね?

こういうので、なんでいきなり新体操なんだってのは、まあ、あれですな、いきなり水着ってのはどうかっていうような媒体でも、同じ水着に近いような格好でも新体操なら、スポーツの演技中ってカッコウがつくからねえ。それが歓迎されたってのはあると思う。


こっちはおなじみ、1982年の東映戦隊物「ゴーグルファイブ」、おなじみの大川めぐみ=桃園ミキ、ゴーグルピンク、オープニングテーマのところだね。『スーパーギャルズメイト37』宇宙船文庫、朝日ソノラマ 1985年頃に出た本の p.51 いかにも新体操ブームって感じでしょ。

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