(再掲)感想文:『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/05/05『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実(星海社、星海社新書 2014.8.25)

2年前に同じ著者の同じ星海社新書の『オカルト「超」入門』を非常に面白く読んだのであるが、この『江戸しぐさの正体』も内容の一部はオカルトとしての「江戸しぐさ」を語る本であった。そもそも「江戸しぐさ」とは何か。著者が最初に「江戸しぐさ」という単語を知ったのは、冒頭に書かれているのだが、地下鉄の駅の公共広告機構のマナー啓発ポスターであったという。〈調べたところ CMのために創作されたコピーではないこと〉が分ったとあるので、最初はCMのためのコピーだろう、くらいに思ったのだろう。多くの人がそう思うはずだ。だって、私にしろ人生50年以上生きてきて、「江戸しぐさ」なんて最近まで聞いたことなかった。この本を手に取るまで、せいぜい二、三度どっかで見たか聞いたかしたかなあ程度だ。2000年前後だったか、「和のなんとか」というようなのが、ちょっと流行った。雑誌とか本とかで和の小物を紹介するようなの。そう、今ネット検索してみたが、「しばわんこの和のこころ」とか。私は、この本を昨年秋に書店の店頭で立ち読みするまで、「江戸しぐさ」も似たようなものだろう、そういうのって広告代理店とかそういうのが考えついて流行らせてるんだろう、くらいに思っていたのだが、この本をざっと読んで、それが違うのが分った。

「江戸しぐさ」は単に、マナーとか道徳を押し付けがましく説いていて説教臭いだけというものではなく、あきらかに、いわゆる「トンデモ」説であった。失笑するくらいでは済まない奇っ怪さがある。ある程度の知性をともなって主張されているだけに、愚かな迷信よりさらにおぞましい偽歴史創作のありさまが本書で指摘されている。「江戸しぐさ」というものがあると主張して、それに基づいて現代人のマナーを叱ることを始めたのは、1980年代当時すでに 60歳代であった芝三光(あきら)であり、同年代で市場調査会社の社長などを経た後、アメリカ公民権運動を取材したルポで賞を得ている越川礼子が彼に弟子入りして発展させ、日本経済新聞社の桐山勝が広める手助けをした。「江戸しぐさ」を正当化するために「江戸っ子狩り」などという妄想ストーリーを考え出したのは越川礼子だという。

「江戸しぐさ」に関わるトンデモの最たるものが、その「江戸っ子狩り」であろうが、その他こまごまとした、各しぐさにまつわるおかしさ(変な話であること)、史実と乖離している様は本書の第二章「検証江戸しぐさ パラレルワールドの中の「江戸」」で子細に述べられている。江戸にスープがあったとか、チョコレートが入ったパンがあったとかいう話は一体何であろうか。「江戸しぐさ」は企業のマナー研修とかに使われ、一方では教育材料として用いられ、ついには安倍政権下で道徳教育に取り入れている。そこまで行くまでに止められなかったのだろうか。この本では第五章「オカルトとしての「江戸しぐさ」」で、専門家の責任などに触れつつ、江戸しぐさがいかに浸透したかを語っている。私が思うに、ある程度の教育を受け、あるいは物が考えられれば、著者が第二章であげているような話を読めば、ちょっと待て、ということになるだろう。第二章で取り上げている江戸しぐさの各実例は『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』という越川礼子が 2001年に講談社から出した本から主に採り上げられている。企業の偉いさんたちとか教育関係者の偉いさんたちは、江戸しぐさというマナー教育の教材があります、ああそう、いいじゃないかとろくにそういう江戸しぐさ入門書などに目も通してないのかも知れない。一方で、あの「水からの伝言」同様、おかしい話と思いつつも、教育やマナー啓発の材料となれば構わないという誤った実利主義の考え方をしている向きもいるのだろう。

その「水からの伝言」といえば、この本によると TOSSという教員の教育指導研究の団体が「水からの伝言」やら、この「江戸しぐさ」やらその他怪しげな「お話」を教育材料として採用することを推進しているのだという。今さらと言われるかも知れないが、「水からの伝言」が話題になったときは、私はそこまで関心が無かったのだ。だが、今回この本を通して、あらためて、ゆゆしき問題であることを感じ入った次第である。

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(再掲)感想文:『カッパ・ブックスの時代』新海均

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/04/12『カッパ・ブックスの時代』新海均(河出書房新社、河出ブックス 2013.7.30)

図書館で借りて読んでいる。書店で見かけて前から読みたかったのだ。1970年代に 10代だった私にとって、まず出会った大人の本の一つがカッパ・ブックスのシリーズだった。カッパ・ブックスをはじめとする、×××ブックスは当時の本屋の主役の一人といっていいだろう。しかし、今や、なんということか、ある年齢層より下の人たちに向けては、カッパ・ブックスとはどういうものかをまず説明しないとならないのだ。そしてこの本を読んでいて、はたと気づいたのは、この『カッパ・ブックスの時代』そのものが「河出ブックス」というシリーズの一冊として出てるわけだけど、この「河出ブックス」という新書よりもっと大きなサイズ、B6だっけ、このサイズのシリーズは他社からは××双書とかそういうタイトルのシリーズで出ているものであって、たまたま河出書房新社は「ブックス」という名前にしているが、「カッパ・ブックス」をはじめとする「××ブックス」について語るときの「ブックス」というのは、この「河出ブックス」とは直接関係無くて、×××ブックスは、まずサイズが新書なのである。大きく分類すると、今やもうやたらめったらと各出版社から出ている「新書」のジャンルに入るわけなのだが、それでいて、今ある新書、そして最初はカッパ・ブックス以前に戦前に岩波書店から刊行が始まった「岩波新書」などとは一線を画する存在なのだ。カッパ・ブックスは明確に岩波書店のインテリ向け教養主義に対抗するものとして、より現代的でより大衆的なものを目指して創刊されている。高度成長時代に入り、新たな読者層、ホワイトカラーである新中間層が生れた時代、その試みは見事に成功した。カッパ・ブックスを成功に導いた一番の主役が著名な編集者、神吉晴夫である。

この本は、兵庫県の、中学に進学するものなど珍しいという山村で生れた神吉晴夫の生い立ちから始まって、講談社でキャリアを積んで、すでに中年になった彼が戦後に光文社の重役となってベストセラーを生み、そしてついにカッパ・ブックスを刊行、有能な編集者たちと多くのベストセラーを打ち出して快進撃( 1961年と 1967年にはベストセラー10位内 5冊をカッパの本が占めたという)、日本の教養の質を変えた(と言ったのは会田雄次だっけ?)、そのありさまが前半で描かれている。その舞台、光文社であるが、この本によると講談社が戦争中、若者を戦場に駆り立てるような戦意高揚雑誌を刊行していたりしたため、GHQ支配下で出版活動が制限されることが見込まれ、対策として別の出版社、光文社を作ったという。そして皮肉なことに戦争協力によって陸軍より優先的に配給されていた豊富な用紙によって、光文社が戦後の物資不足の中、民主主義を賛美する雑誌で活動を開始することが出来たという。入社時から切れ者であり、戦前は広報、新聞拡販などに携わった神吉晴夫は光文社で次々とヒットを生み出すわけだが、今ちょうど江戸川乱歩全集の少年物を読んでいたら、戦前講談社から出ていた乱歩の少年物を光文社から出版したいと求めてきたのは神吉晴夫だった。「神吉君が」と乱歩が書いている。ついで光文社の雑誌“少年”の編集者に乱歩の少年物連載を勧めて、ここに戦前に続いて戦後も数々の少年物が書かれることとなったのだという。

私の小学校時代、1960年代後半はまさにカッパ・ブックス快進撃の時代で、高学年になって本屋で手に取るようになる前に、新聞の大きな広告でその存在を印象づけられていた。カッパ・ノベルスの松本清張も広告のリアルな肖像イラストでおなじみになっていた。反面、当時ジュニア向けホームズ物など読んで推理小説好きを自認していたが、ミステリとして宣伝されるカッパ・ノベルスの清張作品は一見興味を引きそうな、でも子供の読むものではない、子供が読んでも面白くもなさそうなものという印象が強かった。しかし、カッパ・ノベルスの松本清張は読まなかったが(祖母が分厚い『黒い画集』を買ってきたのを、ちょっと見てみたりしていたが)、大人向けの本はまず創元推理文庫のクリスティ、ドイルから読み始め、次に手に取った大人向けの本がカッパ・ブックス……ではなかった。近所の本屋に、やはり×××ブックスが並んでいた。サイズは新書と同じだが、×××ブックスが新書と違うところにデザインがカラフルで表紙もそれぞれ工夫をこらしたものであり、そのカラフルで興味を引くような本が新書と同じ棚でなく、もっと前の方の雑誌が平積みで置かれている台の上の棚にズラリと並んでいた。新書、文庫と同じではなく、雑誌と近い目立つ場所に置かれている、というのはもっと大きな本屋でもそうだったから、全国的にそうだったのではないか。内容だけでなく、こうした外見や扱いも新書とは違うという印象を与えていた。そういう×××ブックスで私が最初に買ったのはワニのベストセラーズの浅野八郎『人間テスト』という本だった。カッパ・ブックスからは手相の本を出している浅野八郎がアメリカの雑誌に載っている娯楽としての心理テストを紹介した、少々エロチックな部分もある本だった。次に買ったのがカッパ・ブックス『頭の体操』第2集で、次が『西洋占星術』だった。以後、中学を卒業するくらいまでの 4年近くカッパ・ブックスはよく買った(書名を挙げると加藤周一の『読書術』―『頭の体操』以前の初期のカッパ・ブックスでは、内容は易しいのだけど、ちゃんと文章を読まなければならない本が普通だった、これもタイトルはハウツー物ぽいが、普通のエッセー。多湖輝の『頭の体操』以前の『読心術』、4巻まで出ていた『頭の体操』、『英語に強くなる本』―100万部売れたこの本も、しっかり読むところのある本で真鍋博の挿絵が印象的、同じ著者の『英単語記憶術』、『英熟語記憶術』、『もうちょっとで英語は話せる』、南博の『初歩・心理学』、南博訳編の『記憶術』、波多野完治の『心理学入門』(これはなかなか読み応えのある本)、木々高太郎こと林髞の『頭のよくなる本』―これなんかもハウツー物ながらちゃんと読まなければならない本、こういったところ)。

カッパの本のベストセラー本やその他のカッパの本はその後も折りに触れ買うことがあり、親しみ深いものがあった。だからカッパ・ブックスの中でも快進撃を続けた 1960年代の数々のベストセラーがこうして生れたという過程がヴィヴィッドに書かれた個所は読んでてエキサイティングである。ところがその後、1969年だったかな、大いにはめをはずした忘年会の話があったと思ったら次に話は光文社争議に突入、イッキに盛り下がるというか、いっきに暗い影が覆う。今までにないアイディアと精神で快進撃を続ける編集部のありさまを読んで―しかも彼らが作った本は私も何冊も実際に自分で読んで、その出来栄えは分っている―ハイになっていたら冷や水をかけられる。光文社社員の組合が会社上層部の意のままに動く御用組合と闘争を続ける第二組合とに分裂、会社側は第二組合を押さえ込むために、暴力に慣れたような連中を管理職として雇う。窓ガラスが割れ、破片が床に飛び散っている。数年に及ぶ闘争の中、暴力沙汰が頻繁に起こり、本書の記述によると組合員の中には膵臓破裂の重傷を負った人もいるという。その後、どうなったのだろう。

高度経済成長下の日本、労使のぶつかりあいはいずこでもあり、こうした暴力的な事態に陥った会社というのも珍しくはないだろう。当時は 60年安保、70年安保の反対運動が盛んに行われた時代であり、労働者たちも元気があったのだ。しかし、その舞台が大ベストセラーを生み出し続けている出版社というのでは注目されるのも当然だろう。この本によると組合支援には有名な作家や芸能人たちが名乗り出ている。光文社争議というのがある、というのは当時十代の私のもとまで伝わっていた。神吉晴夫が有能な編集者だが、それで光文社を辞めたということまで知っていたのだ。どのようにして知ったか分らない。まだ“噂の真相”などない時代である(あっても十代の私は読んでないだろう)、私が読んでる作家か誰かが私の読んだ何かで書いたりしていたのだろう(ちなみに私は北杜夫の本を当時から愛読しているが、ベストセラーとなった出世作『どくとるマンボウ航海記』は航海の後、最初、神吉晴夫が訪ねて来て本を書くことの打診があったとエッセーに書いている)。注意してみると、確かに最初はカッパの本の最後にある創刊のことば(例の、へのかっぱというあれ)のところとか、奥付に神吉晴夫の名前があったのが、いつの間にか無くなっていたような……。ただし私はそれはもう過去のことだろうと思っていた。神吉晴夫は争議の初期に退陣しているのだが、この本を読んで、その争議がまさに私がカッパの本を次々と読んでいた 1970年代前半に継続していたことを知った。そして争議の最中にも『日本沈没』など新たなベストセラーが何冊も生れている。ちなみに著者は争議終了直前の 1975年入社で入社してすぐカッパ・ブックスを担当して、2000年過ぎてカッパ・ブックスが終焉するときにまた担当したという。

次々とベストセラーを生み続ける有能な編集者たちのドラマ、重苦しい労働争議のドラマ、それらがちょうど入れ替わるように続くから不思議な違和感があるが、どちらも同じ出版社を舞台とした物語であり、当事者たちの真実である。ちょっと語る対象の捉え方を変えてみると、どちらかの物語になる。有能な編集者たちがいないと次々とヒットは生み出せないが、しかし彼らだけで動いている会社ではないのだ。

ところで、そのカッパ・ブックス以外の×××ブックス、光文社の編集者たちが争議の時期に移籍してカッパのノウハウを広め、編集の才を発揮したものもある(青春出版社、祥伝社、ごま書房)ということをこの本で初めて知った。××ブックス以外の分野でも活躍したという。また、かんき出版という出版社の名前は聞いたことがあるけど、これは晩年の神吉晴夫が設立を準備していた出版社だと初めて知った。

闘争の終了後、平穏に戻った光文社での1980年代のあらたな展開、カッパの本に関して言えば新シリーズ、カッパ・サイエンスの登場があった。女性向けファッション雑誌“JJ”が売れ、最初の部分はカッパ・ノベルスから出ていた(私もリストに載っていたのを覚えている)『神聖喜劇』が全6巻で刊行、光文社文庫創刊、“週刊宝石”創刊と出版社の活動が続き、時代が変ってゆく。いつしかカッパの本が時代遅れになったのだろうか。正規のシリーズとしては 23集まで出ていた『頭の体操』だが、私は新しい集が出るたびに買っていて、23集まで持っている。ひさびさに 2000年頃に出た 23集を取り出して(最後の集ということで大事に読んでいて、じっくり問題を解こうと思ってまだ最後まで読んでないのだ)巻末の刊行リストや、はさまれている広告など見ても、カッパの本は変らず健在であるようなのだが……。本屋ですぐ見つかるはずのカッパ・ブックスがなかなか見当たらなくなってきていたことには気づいていた。光文社新書が出ていたし、カッパ・ブックスの受け皿のような知恵の森文庫も登場していた。この本によると社長になった“JJ”をヒットさせた編集者がカッパのマークがきらいだったという。そのことが象徴的なように、時代と社の空気がカッパ・ブックスを存在させなくした。会社内だけの問題でもないと思うが、こういう場合、出版社が大きくなるというもの考えものだなあと感じる。

ともあれカッパ・ブックスが本屋で見られなくなった時代というのはカッパ・ブックスだけでなく、その他××ブックスというスタイルの本がこぞって消えてしまった。そしてもうとにかくやたらいろんな出版社から新書のシリーズが出ている。それらの新書を本屋で見てみると、これは世が世なら到底新書では出なくて、×××ブックスから出ているだろうと思われるようなものが見られる。より大衆向け、より柔らかい内容、よりイージーな、そんな風なもの。新書の一部は完全にかつての××ブックスを代用していると思う。しかし、カッパ・ブックスを代表とする×××ブックスに較べて、経費節約になるのだろうが、ほとんどすべて同じ装丁の、表紙絵、挿絵もほとんどない新書がズラッと並んでいるのは味気ない。1970年代当時、カッパの本を初めとした×××ブックスを本屋で見たり、買って帰ったときの面白がらされるワクワク感、ヴィジュアル的な魅力が懐かしい。私が当時大人の本を読み始めた、好奇心にあふれた思春期だったことと、カッパの本をはじめとした×××ブックスのいい時代が幸福に重なっていたのであった。さて、現在のズラーッとある新書の中に星海社新書という聞いたことない出版社の新書があって、その中の『オカルト「超」入門』という本を買って読んだのだけど、この本によると 1978年生まれで(私より約 20歳下)光文社をリストラされた後、星海社に移って活動を続けている編集者は最も尊敬する編集者が神吉晴夫なのだそうだ。こういう人も現在いるのである。どの出版社でもいい、電子書籍でも紙の本でもいいけど、カッパ・ブックスのワクワク感を21世紀の現在に感じさせてくれたらなあ。

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(再掲)感想文:漫画単行本『『大好きが虫はタダシくんの』阿部共実

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/02/28『大好きが虫はタダシくんの』阿部共実(秋田書店、少年チャンピオンコミックス 2013.1.20、電子書籍版 eBookJapanよりダウンロード )

毎週“少年チャンピオン”で読んだ『空が灰色だから』は買おうかどうか迷ったけれど、最近は漫画本を貯めるのをやめたい気になっているので買っていない。この作品集『大好きが虫はタダシくんの』は、『空が灰色だから』の 4巻と同時に出た、と思うが、今ネット書店で確認した、間違いなかった。『空が灰色だから』は買わなかったが、一冊で済むこれは買ってよもうかという気になったのだ。この作品集には“少年チャンピオン”でのデビュー作、新人賞の、どこまで行ったのか覚えてないが、新人賞にかかわっていた作品だったと思う「破壊症候群」が収録されている。。キュートでポップな今様の絵柄だが、でもどっかで見たような気もする。賞の評者の一人、浜岡賢次もそんなことを書いていたように思うが今、確認出来ない。そのどっかで見たようなというのは特定の作家でなくて、今の時代に出てくるべくして出てきたような絵柄というような感じなのかも知れない。非常に説得力のある絵柄と言えよう。でもって、その作品「破壊症候群」だが、よっぽど切り取って保存しておこうかと思った。新人の読み切りで、ここまで思うのはめったにない。探したが無かったので保存はしてなかったみたいだが、そのためにもこの本はありがたい。

それから今、“少年チャンピオン”の webコミック・サイトの“Champion タップ!”というのが運営されているが、『空が灰色だから』連載中に、今から思うと、その試験的な試みが、「浦安鉄筋家族」の特設サイトという形だったと記憶するが、あって、そのサイトで短期連載されたのが、この本で分量的に一番大きな「ドラゴンスワロウ」で、毎回毎回が何かある「空が灰色だから」に較べて、乙女二人の百合な片思いをギャグで流したなんとも言えぬいい感じが記憶に残った。その「ドラゴンスワロウ」がこの本で読める。後は巻頭のカラーは、これは「空が灰色だから」がカラーページの回のときのものだね、これは保存しているのもあるはず。

「破壊症候群」はSF的ファンタジーでアクションもあるという話なので、この先活動が続くならそういう方向で展開されるのだろうと感じられたから、「空が灰色だから」が最初に短期連載の「空が灰色だから手をつなごう」で登場したときは意外だったが、しかし確実な手ごたえがあった。はたして5巻分の作品の結実があった。そのさまをライヴで毎週見られたのはうれしいことだった。

「ドラゴンスワロウ」を落ち着いて再読したが、全般的に片思いの彼女の突っ込むギャグで流れてゆく、たわいない流れの中にふと情感あふれるコマとか、世界がいい雰囲気のコマがあって愛すべき作品である。後の作品は未読だったが、ギャグをかましながら、キュートに世界と人間の生に切迫する作者の漫画の可能性が伺える好編がそろっているというと褒め過ぎか?

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2014年 7月 〜 12月に感想を書いたもののリスト

この 9月で閉鎖することにしたページで書いた感想文。

マンガ単行本
(原作)真樹日左夫(漫画)逆井五郎『あいつ!』下巻
望月三起也『バサラ戦車隊』
かがみふみを『アシスタント』2

CD
ヒデとロザンナ 『ヒデとロザンナ ゴールデンベスト』
デヴィッド・ボウイ DAVID BOWIE『アラジン・セイン』“ALADDIN SANE”
白木秀雄クインテット&スリー琴ガールズ 『さくら さくら』
ジミ・ヘンドリックス JIMI HENDRIX『ヴァリーズ・オブ・ネプチューン』“VALLEYS OF NEPTUNE”
ローリング・ストーンズ ROLLING STONES『スティッキー・フィンガーズ』“STICKY FINGERS”
スリー・ドッグ・ナイト THREE DOG NIGHT “The Collection”
スキャンダル SCANDAL『スタンダード』“STANDARD”
エアロスミス AEROSMITH 『ドロー・ザ・ライン』“DRAW THE LINE”, 『グレイテスト・ヒッツ 1973-1988』“Aerosmith's Greatest Hits 1973-1988”

活字本
クリス松村『「誰にも書けない」アイドル論』
名和広『赤塚不二夫というメディア 破戒と諧謔のギャグゲリラ伝説 「本気ふざけ」的解釈 Book2』
前嶋信次、池田修訳『アラビアン・ナイト』8~14
日本民話の会『決定版 日本の民話事典』

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web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定

1999年の春からやってまいりました、私のページ「「すわてのメモ」ページ」ですが、この 9月をめどに閉鎖しようと思います。

「「すわてのメモ」ページ」の内容のうち、
日記的なものはツイッターで @suwate_0510Jp
感想文的はものは、このブログで
リンク集他データ的なものは、このブログに設置できるウェブページで、
というように、さっそく今から切り替えます。

閉鎖理由、サイト運営管理のシンプル化省力化、発信内容の簡略化とか……。

ついでに、このブログの記事も随時削除。

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乱歩再読メモ 『大金塊』

1978年版講談社江戸川乱歩全集に収録されている少年物は先に記事を書いた『怪人二十面相』、『少年探偵団』、『妖怪博士』が1巻に収録され、次に『大金塊』、『青銅の魔人』、『宇宙怪人』が続く巻に収録されている。そのうち『青銅の魔人』、『宇宙怪人』は戦後になって少年物執筆再開時の作品、戦前の作品は『大金塊』と他に『新宝島』がある。戦後の手塚治虫のデビュー作と同名の『新宝島』は南方の島を舞台にした、当時の国策にも合致したような冒険物であるらしく、戦前に書かれた少年物のミステリ作品は、この『大金塊』が最後である。怪人二十面相が登場しない唯一の少年物長編だという、この長編は当然二十面相の代わりの犯人一味が登場している。この犯人一味、首領や部下たちが二十面相と代わって存分に活躍させられそうな魅力を備えたキャラクターであるにもかかわらず、太平洋戦争開幕前夜でだんだんと探偵小説などが書きづらくなった世相が反映されているのかどうか、それとも乱歩の飽き性によるのか、以前の二十面相物に較べると盛り下がったものになっている。場面は留守を守る少年が盗賊に襲われる発端、それから小林少年が代わりに誘拐されて脱出する前半、暗号文に書かれた島の洞窟探検の二場面のみなのだ。しかも作中でも触れられている『妖怪博士』に続いての洞窟舞台である。でも作品の長さ自体は、以前の長編と変りないのである。

お屋敷に暮らす少年が父の留守に一人番をしている夜に盗賊が入るエピソードはモーリス・ルブランのルパン物第一作である短編集『怪盗紳士』の「ハートの7」のエピソードをそのまま流用している。ベッドで寝ようとしたところ、賊が見張っているぞとのおどしの文を見つけて、見るとカーテンの向こうから賊が見張っているので一晩身動き出来ないというシチュエーションである。乱歩は以前の通俗長編でも、これに基づくトリックを使っているけど、ここではそのまんま借用されている。私は子供時代、最初ホームズ物ばかり読んでいたが、学校図書館にポプラ社の新しいルパン全集(オイルショック以前のこととて、子供向けの本はペーパーバック的な軽装でなくて、しっかりした作りのものが多く、このシリーズも厚い表紙でビニールカヴァーがつき、箱に入っていた)が入ったのに刺激されて、自分で本屋でその全集の『怪盗紳士』を買って読んだ。『怪盗紳士』を選んだのは、これが第一作であることを知ったのと(巻数は 7巻目だったと思う)、短編集で読みやすそうだったからだ。その中で「ハートの7」を読んだときは、もし主人公と同じ目、つまり寝ているときに、動くなと書いた紙を見つけて、隅から賊が狙っていたら自分ならどうするだろうと、真に迫って状況を空想した思い出がある。だから、もしこの『大金塊』でも、このたわいないようなエピソードでも読んでる子供にとっては強烈な印象を与えたことだろうと思う。

続いては、またですか、という感じの人間椅子トリックによって、お屋敷の少年に扮した小林少年が賊にさらわれる。ここで小林少年が明智探偵の作った万能鍵で牢屋を脱するというのは、いささか安易というか今のネット風に言うとチートな感じだが、それでも賊の手中に落ちた小林少年が賊たちの様子をうかがいながら行動を開始し、賊の首領の正体を見る一連の場面は読んでいる子供たちには迫真のスリルではないかと思う。そこで出し抜かれた賊一味が次に何かたくらむのかと思ったら(賊から明智に届いた手紙には最後の手段があると書いてあるのだが、結局賊たちは明智たちの後をつけてきただけとう展開)、もうすぐに明智が小林少年とお屋敷の父子と暗号文の島へ出向くのだ。この暗号に書かれた島がどこかを見つけるのも、知り合いの登山家が暗号文に書かれた動物の名前の岩がある島を知っていたという安易な展開だ。でも、三重県にあるというその、地元の漁師が行きたがらない島に舟を雇って向う場面、巨岩を前にしての見立ての暗号解読、続いての洞窟探検と、読んでる分には先はどうなるのだろうという迫真の展開が続くのだ。前の巻の『妖怪博士』でも思ったが、引いて大人の目で客観的に評価すると、たわいない、『怪人二十面相』、『少年探偵団』に較べて盛り下がった安易な内容であっても、子供の気持ちで読んでる分には十分に迫真のスリルある読み物である、ということもあるのだ。そういう点では、乱歩は押さえるべきところを押さえているのだ。

ところで、高尚な少年愛文献研究に取り組んだ乱歩の描く明智と小林少年の関係というのもふだんから十分に妖しいものが漂っているのだが、この作品は、加えて海水の流入する洞窟を二人っきりで小林少年とお屋敷の少年がやたらと手をつないだりして逃げ惑う。

この記事はそのうち、このページに移します。

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乱歩再読メモ『化人幻戯』

以前に書いたように、乱歩を読み出した 1972年当時うちにあった平凡社の「国民百科事典」の中島河太郎が書いていた「探偵小説」の項目に海外と日本それぞれのベスト50(だったと思う)の表があって、その表中の乱歩作品が「二銭銅貨」「心理試験」「陰獣」、そして『化人幻戯』だった。その頃、ジュニア向けのホームズ、ルパン物から創元推理文庫に読み進んで、それほど量を読んでいたのではないが、本格推理読書一辺倒だった私は、謎めいた題名とともに、乱歩が書いた本格推理長編、しかも戦後の作品だということを知って興味を持った。1973年正月明け、中一の冬、新潮文庫の『江戸川乱歩傑作選』に続いて春陽文庫の『黄金仮面』、『化人幻戯』、これも戦後、『化人幻戯』と平行して書かれた『影男』の三冊を買った。『化人幻戯』は『黄金仮面』に続いて読んだ乱歩の二冊目の長編である。その後、十代のうちに一度は読み返したことはあったと思うが、今回創元推理文庫「日本探偵小説全集」江戸川乱歩の巻に収録されているものを、ひさびさに再読した。ちなみに電子書籍版では eBookJapanで、創元推理文庫版の乱歩本がいろいろ読めるのだが(創元推理文庫から乱歩の本が出るなんて、かつては想像出来なかった)、現在のところ「日本探偵小説全集」は電子化されていないので、乱歩の通俗長編は読めても一番の名作集が読めないという不満足な状況である。

乱歩の長編評、大内茂男「華麗なユートピア」でも、これで乱歩の長編目録に堂々たる本格物を付け加えることが出来たと喜んでいる。乱歩待望の本格長編は、戦時色が強まって通俗長編も少年物探偵小説ですら時局に相応しくないということで書けなくなった乱歩が戦後を迎えて、自分のエログロな作風を反省するとともに、戦中から夢中になっていた海外本格推理小説の渉猟紹介、日本の探偵小説振興活動が中心となって自己の創作は二の次となっていた戦後の乱歩が終戦から10年を経て還暦を迎える記念に一念発起して取り組んだ長編創作の一つが、この『化人幻戯』だった。

この長編の推理小説としての出来栄えと直接関係ないところで乱歩愛読者に興味深いと思われるのは、懐かしい明智小五郎が探偵役として登場することだろう。加えて小林少年まで登場する。明智小五郎は相応に歳を取っている設定で、50を過ぎてまだかくしゃくとしているように書かれているが、戦前の作品群から計算すると、この作品の作中の年代における実際の年齢よりはちょっと若く描かれているのではと思う。それでも明智探偵はまだちゃんと歳を取っていることが描かれているのだが、小林少年は昭和10年頃の『人間豹』( 2014.12.24 追記 小林少年初登場作を『人間豹』と思って作品名をあげていた。小林少年初登場は昭和5,6年頃の『吸血鬼』)あるいは初期の少年探偵団シリーズの頃と同じように描かれているのが面白い。おかしいといえばおかしいが、小林少年は、やはり永遠の美少年でなくてはならないのだろう(実際には、少年向けのシリーズで以前と同じように書いているので、ついそのまま書いてしまったという可能性もあるだろうけど)( 2014.11.18 追記 いや、少年向けシリーズには明智探偵も出てくるのだから、小林少年だけ、つい以前と同じに書くというのもおかしいか)。

冒頭、推理小説好きの若者、庄司武彦が元華族の大金持ち、大河原義明の秘書に雇われるところから物語は始まるのだが、これまたミステリ好きの大河原義明が武彦相手に話をはずませて、乱歩に会ったことがあると言うと、武彦は明智小五郎と知己であることを告げ、乱歩が書いている明智小五郎の活躍譚は「半分は作り話だそうです」と言うのが面白い。この小説は、それまでの明智小五郎の登場する通俗長編とは違うものだと言うことにもなるのかも知れない。

ミステリ好きの元華族の屋敷を舞台に、美しいその夫人と武彦の恋慕の情、秘密結社の殺人予告におびえる男、そして起こる殺人。現場を確かめに行く大河原義明と武彦……と、いい感じにミステリアスな雰囲気がかもし出されて行く。と、そのあたりまで話が進んでから、今度は視点が変わって、明智に協力をあおいでいる警視庁の刑事箕浦の調査を中心に描かれる。このたび再読するまで、ここらへんのストーリーの真ん中あたりのエピソードをすっかり忘れていたのだが、このあたりがまた読ませる。

堂々たる乱歩の本格長編で、かつてのエログロ通俗長編とは違う……のは確かなのだけど、今度はもっと時代が下がったポルノ小説流行の1960, 70年代的エロにつながるような描写がある。ストーリー上必然性のあるシーンでありミステリ専門誌としての節度はあるものの、大河原夫人が武彦を浴室で誘惑するシーン……西洋の本格推理長編にこういうシーンがあるだろうか? そう考えると、この小説もやはりまた一つの乱歩の世界だなあと思う。

乱歩はこの時期、内外本格ミステリを研究して「類別トリック集成」を作っているが、同時に犯罪動機の分類も行っており、異常な犯罪動機についてへの興味もしっかりと示している。この作品はそうした乱歩の興味が見事に反映されたものと言える。乱歩の本格推理長編としても秀作だが、このたび再読して感じたのは、それ以上に圧倒的なクライマックス、防空壕跡の地下室での明智と真犯人の対峙、告白シーンの迫真性である。戦前は「変格推理」と呼ばれた側面、異常な犯罪心理、犯人の心理や犯罪をめぐる心理的スリルと美を描いてきて人間というものに迫り、数々の名品を生み出してきた乱歩の変わらぬ文学的追求の姿がここにあると感じた。

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乱歩再読メモ『怪人二十面相』、『少年探偵団』、『妖怪博士』

講談社1978年版全集では3巻にわたって少年物が収録されている。23巻は昭和12年、初めての少年物『怪人二十面相』、続く『少年探偵団』、『妖怪博士』の戦前の三作だ。この全集に続いて同じコンセプトの装丁で出された『江戸川乱歩 評論と研究』には、中井英夫が乱歩自身によって書かれたすべての少年物を読んだ上で(乱歩の戦後の少年物には代筆者の手によるものがある)、少年物からうかがえる乱歩世界の根源的なものに迫った評論が収められている。そこに書かれているのだが、中井英夫は少年時代に乱歩の少年物は読んだことがなかった。というのは、中井英夫はまだ乱歩が少年物を書く時代の前に少年時代を過ごしたのであり、はじめて読んだ乱歩は雑誌に載っていた大人物の連載だった。

乱歩が少年物を書き始めてから、人気を呼んだ少年物によって乱歩の世界をはじめて体験した人たちが増え、作家などになって少年物に始まる乱歩読書の思い出を書き、いつしか「乱歩体験」と呼ばれるようになっていた。たとえば北杜夫など、ちょうど少年時代と乱歩の少年物の連載時期が重なっており、戦前の東京の原っぱの記憶とともに乱歩の思い出を繰り返し書いている。この78年版全集の1巻の解説を書いている筒井康隆は最初から大人物を読んだのではなかったかなと読み返してみたら、小学校低学年で本格謎解き短編「何者」を面白いと思ったという筒井康隆でも、最初は1年生のとき『怪人二十面相』と『少年探偵団』を借りて読んだんだそうだ。なんでも『少年探偵団』の「屋上の怪人」の章の見開きの挿絵がとても怖かったそうだ。

3巻の解説を書いている中島梓=栗本薫も最初は少年向けの乱歩全集?みたいな本を読んだという。大人物では横溝作品に最初に魅せられたという。故栗本薫となると、私と一回りも歳が違わないのかな? 6歳上なんだ。彼女の時代になると、すでにラジオドラマをはじめとするメディア展開としての乱歩、二十面相と少年探偵団の時代だ。たぶん乱歩の亡くなる前後の頃だろう。戦後も続々と出された少年物の本は連載雑誌“少年”の出版元、光文社からポプラ社へと移り、代作者による大人物のリライトを含めて続々と出された。その乱歩の少年物の全貌については、1975年に出された、乱歩のミステリ研究書の題名をいただいたミステリ雑誌“幻影城”増刊「江戸川乱歩の世界」で戸川安宣がまとめている。

乱歩全集の乱歩作品目録を見ると、私が小学校高学年のときには、そのポプラ社版少年探偵江戸側乱歩全集が途中で刊行が止まっていたのが再び刊行再開されたときだった。私の体験としても本屋の子供向けの棚に、ホームズ、ルパンの子供向けリライトと並んでズラッと乱歩の少年物が並んでいた。ところが、私はそれらを読んだことがないのであった(いや、厳密には、すでに乱歩の大人物を春陽文庫で読み始めてから、たまたま妹が一冊『怪奇四十面相』を買ってきたのを一度だけ読んだ。随筆『探偵小説の「謎」』で紹介している海外作家の図書館の中で身を隠すトリックを借用していたから、『探偵小説の「謎」』を読んだ後のことだと思う)。「乱歩体験」という言葉を使うならば、私の乱歩体験はテレビ番組である。

1968年 2月からのフジTV系のアニメ「わんぱく探偵団」は、少年探偵団シリーズを土台としながら、スパイ映画ブーム、アポロ月着陸を目前に控えた時代の現代的アレンジで、まだ白黒の作品で、今見ると当時のまだ稚拙なアニメーション技術の枠内ながら毎回面白く見せた。最近知ったことだが、りんたろう監督作品だ。『黒蜥蜴』の再読感想で、『黒蜥蜴』の舞台中継の思い出を書いた。私の記憶では、それは「わんぱく探偵団」以前のことだと思い込んでいたのだが、このたび乱歩全集の乱歩作品目録を見てみたら、どうやらそれは「わんぱく探偵団」放映最中の 1968年 5月のことだったようだ(乱歩作品目録による。今、Wikipediaを見たら 7月となっていたが、どちらにしろ「わんぱく探偵団」放映中の時期)。当時、丸山明宏(現・美輪明宏)による映画『黒蜥蜴』が封切られるが、舞台でも丸山明宏が黒蜥蜴を演じていたのである(並ぶ名前が天知茂、このときから明智を演じていたとは知らなかった、Wikipediaによると戯曲化した三島由紀夫の依頼だそうだ)。続いて東京12チャンネル系の「江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎」、NHKの「明智探偵事務所」、ニッポン放送の連続ドラマと放送メディアによる(現代化された)乱歩体験が続く。

一方で「わんぱく探偵団」放映前に私ははじめてホームズ物を読んだ。河出書房から出ていた少年少女文学全集の一冊だが、これが阿部知二による創元推理文庫と基本的に同じ大人物そのまま(ごく一部のみ省略されているようだったが)で、また「オールカラー挿絵が魅力」と帯で吉永小百合が語っていた河出書房のこの全集はヴィジュアル的にカラフルで、とても洗練されており、特にホームズの挿絵はうまく表現する言葉がないが、リアルな挿絵でなくて、イラスト的というかアート的というか、垢抜けたものだった(余談だが、子供向けミステリ本での洗練されたイラストというと、あかね書房のジュニア向けの世界推理小説全集の中で、まだサイケに行く前の初期のシンプルな線の横尾忠則が『ヴァスカビル家の犬』の挿絵を描いていて、再読して気づいたときはうれしかった)。そういう体験を最初にしているから、当時偕成社やポプラ社からいろいろ出ていた普通のホームズやルパンの少年向けのものでもあまりビジュアル的にいいと思えなかった(内容も偕成社のホームズ全集で野田開作という人が書いた「白銀号事件」を次に読んだら、ワトソンの語りが勝手に三人称の話に替えられていた。極端な例では、少年向け世界推理小説全集で柴田連三郎が訳した「恐怖の谷」など、時代小説の一編かというようなホームズ主役の創作短編が入れられていたりして―ページ数合わせのためとかそんな理由なのか?、まだ適当なことが通用していた時代だった)。ましてや乱歩の少年物は本屋で背や表紙の絵を見ても、戦前の日本といった感じの泥くさいというか古臭い感じが漂っているし、内容も最初から子供向けに書かれたものだろうし、手に取る気がしなかった。

また、その頃「なつかしのメロディー」ブームになって、テレビでも以前の人気歌手が出てくる番組が作られるようになった。軍歌や戦時歌謡も歌われたりした。私が小学校高学年になると、その若者向けヴァージョンとでも言うような、「ナツマン」、つまり懐かしの漫画ブームというのが、おそらくラジオの若者向け深夜放送あたりから起こって、レコード会社等がこれは商売になると見たのではないかと思うが、あって、私より一回り上の全共闘世代が子供の頃見たり聞いたりしたラジオテレビの子供向けドラマのテーマソングがラジオから流れたりした。1971年前半頃のことだ。「月光仮面」やら「赤胴鈴之助」などだが、多くは児童合唱団が歌うそれらのテーマソング、そして初めて知るそれらの番組の内容についても、すでに「ウルトラマン」「おそ松くん」など次世代の子供文化を体験している私には、どうにも古臭くてあぜんとするようなものだった。ラジオドラマ「少年探偵団」のテーマも、曲自体は「わんぱく探偵団」に使われたのと同じメロディーなのだけど、「わんぱく探偵団」のスピーディで元気のいいアレンジにくらべて、「勇気りんりん」という歌詞なども含めて、なんとも古めかしく感じた。そういうわけで、私は乱歩の少年物については、完全に敬遠して育った。講談社1978年版全集ではじめて乱歩の少年物を読んだ。それもすでに 20歳を何年も過ぎた歳だったので読み飛ばした風だったのだろう、このたび再読といってもほとんどはじめて読むような感触であった。

あらためて気づかされるのは、初めての少年物『怪人二十面相』が書かれたのが昭和12年、太平洋戦争勃発までわずか 4年ということである。戦争時代になると、乱歩が作品を発表できる余地はまったく無くなるが(唯一、国策に沿った長編『偉大なる夢』を除き)、その時代を目前にした、この時期でもまだ乱歩が新たに少年物に進出し、それが受け入れられるような社会だったんだなあということ。もちろん、戦前のこの頃がNHKのドラマにでもあるような?暗い時代を庶民が耐えていた、みたいなものでなく結構アメリカの娯楽も入ってきていて人々は楽しんでいたというような事実を小林信彦のエッセーなどで知っていたのだが。

明智小五郎の助手、いかにも美少年好きの乱歩らしいキャラクター(ここで強調しておきたいのは、乱歩の少年好きというと、下世話な空想を働かせる向きがあるようだが、乱歩の著作からうかがえるところでは、乱歩の少年愛探求というのは、ひとつの夢、美の理想に向けてのプラトニックな探求であったらしいことである)小林少年がはじめて登場するのは、少年物開始の直前に書かれた『人間豹』であるが( 2014.12.24 追記 これは完全に間違いで、昭和5,6年くらいの『吸血鬼』が初登場、印象に残る活躍シーンもある)、そのときはまだ少年物を書くという気はなかったのだと思うのだが、どうだろう。とにかく先んじた大人物に、少年物の主役にすえるに最適のキャラクターが登場していたわけである。そして、これも直前の作品『黒蜥蜴』がある。乱歩の通俗長編は名探偵対怪人の構図が多いが、中でもこの『黒蜥蜴』のダイヤをめぐっての名探偵対女盗賊の対決の構図がそのまま『怪人二十面相』に持ち込まれているような印象を受ける。そして初期の少年物と平行して書かれたのが、とても大人向けの『大暗室』というのも面白い。

現代の感覚で読んで可笑しいのは、現代では漫画雑誌に相当するような少年向け娯楽メディアに掲載される作品であっても、あくまで良家の子女向けの作品を標榜したというのだろうか、特に登場する少年たちを語り、少年とその家族や目上の人との関係を描くような個所に、やたらと丁寧語みたいなのが使われているところ(うまく説明できてませんが)、「おとうさま」「おかあさま」とか、「妖怪博士」の最初のところで、蛭田博士の屋敷に忍び込んだ少年が縛られている少女を見て「あの悪者の老人が、おねえさまを、こんなひどいめにあわせたんだな」とか、そういうのって、私と同じ年代とか私より若くて乱歩の少年物を読んできた人たちは戦前東京の描写を除いても違和感無かったのだろうか。

“幻影城”増刊「江戸川乱歩の世界」には「創造と崩壊 乱歩の少年探偵小説」という二上洋一による評論が掲載されている。「創造」というのは乱歩が「怪人二十面相」「少年探偵団」で、名探偵と怪盗がともに紳士として対決し、競い合うという少年読者を魅了する設定を造り上げたということで、「崩壊」とは続く「妖怪博士」で二十面相が明智探偵と少年探偵団に復讐するという話にして、二十面相の地位を貶めたということだ(戦後作品もその繰り返し)。私が今回読んで感じたのは、乱歩の他の大人向け通俗長編に登場する怪人犯罪者たちもそういうところあると思うけど、調子の良いときは結構紳士面していて、二十面相も小林君がかわいくてたまらないのだよ、みたいなこと言ってるけど、立場が悪くなると、紳士づらの皮がすぐはげるというか、「小林の小僧」とか言ったりする。そして「妖怪博士」の最後となると、血を見るのはきらいだが、にくい少年探偵団と明智は洞窟内で餓死して結構というそこまで行っちゃってる。確かに「崩壊」だ。

しかし、少年読者にとっては、それは一面ではがっかりすることだろうけど、必ずしも面白さを損なう一因になるとばかりは言えないのではないか。大人的な観点では『怪人二十面相』『少年探偵団』に較べて劣った作品と評価されることが多いだろうと思われる『妖怪博士』だが、冒頭からのバカバカしいような展開にしろ、明智探偵に次ぐ特別な存在である小林少年ではなく、その他の一人一人の小学生が、直接怪人と向き合い、スリルを味わう展開は、彼等の目線で読む子供たちをわけもなく物語り世界に引き込むことがあるのではないかと読みながら思った。私は今回、この「妖怪博士」の最後のエピソード、洞窟探検で怪物が出てくる、ちょっと連載の最後の方が余って急遽作り上げたようなエピソードが実は一番面白かったかなあというような読後感を持った。大人の視点でエンターテインメントとしてよく出来てるかどうかという理知的な観点からの評価と、子供が夢中になって読む面白さというのはまたちょっと違うのかも知れない。

そのような魅力を持っていると思われる乱歩の少年向け作品は作品量としては、決して無視できない量であり、そこにうかがえるものもあるに違いないだろうけど、私としては講談社1978年版全集の3巻くらいの分量に収めるので十分と感じる。

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乱歩再読メモ『盲獣』

この乱歩の通俗長編の中でも一つの極北といえる作品、『盲獣』を読んだのは早い時期だった。中一の正月に新潮文庫の『江戸川乱歩傑作選』を読んで、次に春陽文庫を読み始めた。まず『黄金仮面』を読んだ。それから『化人幻戯』、『影男』、『十字路』と読んでいった。『化人幻戯』は「二銭銅貨」「心理試験」「陰獣」と並んで中島河太郎が、家にあった平凡社の『国民百科事典』全 5巻の「探偵小説」の項で日本のベスト50にあげていた長編であり、なおかつその題名が謎めいていることが興味をわかせた。そして戦後という、自分がいる現代とつながっている時代に書かれたものだということで親しみがわいた。そして次には『影男』『十字路』と戦後の長編を読み進んだのであった。そうしたら『十字路』と一緒に一冊になっていたのが『盲獣』だった。これは昭和 6年に書かれたもので、『十字路』とまったく時代が異なる。おそらく一冊にまとめられたのは、単にページ数の都合程度の理由だろうと思う(同文庫では『一寸法師』と『地獄の道化師』も一冊になっているが、こちらも初期の長編と戦前ミステリが発表しづらくなる頃の作品と、時代が離れている)。

大内茂男「華麗なユートピア」では〈全編センシュアリティとグルーサムネスに満ち満ちた作品だ。〉と書かれている。この文章を読んだのは、18歳の頃だったが、まったくその通りだと思った。さらに乱歩の通俗長編を読み進んだ体験を踏まえて、もう少し具体的に言えば、通俗長編で繰り返し描かれる、殺人の犠牲者の女の死体がバラバラにされて石膏の彫像にされたり、ショーウィンドウに飾られたりという趣向、レヴィユーの女王が狙われるというトピックに特化した長編である。このレヴィユーの女王というのが、1972,3年当時の私にはあんまりピンと来なかった。えらいレトロなんだろうけど、イメージそのものがよく湧かないというような代物だ。かろうじて戦前が舞台のテレビドラマで聞いたことがある、程度のものだ。しいて1972,3年当時似たようなものといえば、宝塚か 。しかし、乱歩の小説を読むと、もう少し通俗で、もう少しセクシーなものらしい。SKDというのものあって、こちらはテレビの芸能ニュースとかで見たりしたが、こちらの方が近いか。それはともかくとして、この小説は、触覚で女体の美を愛でる盲目の殺人鬼が、次々と獲物の女体を求めて、殺してはバラバラにして衆人環視のものにさらすというものである。

この長編、私が最初に読んだ春陽文庫版と 20歳頃買った 1978年版講談社全集とでは内容に違いがある。というのは、戦後の桃源社版全集での「自注自解」で乱歩が言うことには、書いてから一度も読み返していなかったが、今回全集のために読み返したら、ひどい変態作品だった、探偵小説がエログロと非難されたのはこういう作品があったからだろう、全集にも入れたくないが、そのようにしていくと半分以上の作品が入れられなくなるから目をつむって収録する、ただし「鎌倉ハム大安売り」の章だけは〈作者自身が吐き気を催すほどなので〉、削除して前後の文章を書き直して、つながるようにするというものだ。実際確認すると、講談社版の全集もそうなっている。この「鎌倉ハム大安売り」がそれほどひどいのかというと、作品全体がまあひどい話なので(笑)、全体の調子に較べると、ここだけがとびぬけてひどいという印象もない。章の名前だけ見ると、死体でハムを作ったように思えるが、さすがに盲獣大先生も、そこまで酔狂ではなかった。ちなみにその後の創元推理文庫版では、この文庫版のシリーズの編集方針から見て当然だが、掲載誌にあたって雑誌掲載時の文章を復元している。

特定の探偵役の出てこない、この小説ではあるが、盲獣大先生が暗躍してレビューの女王を我が物とし、バラバラ死体をさらし、特に猟奇未亡人軍団とやりあう様は、探偵小説的テイストで読める小説ではある。初読のときは、特にこの猟奇を求める未亡人クラブのリーダー格の女性が、どうも最近出入りしているあんまがバラバラ殺人犯らしいと気づき、罠を張るくだりが一番印象に残った。盲獣大先生はもう最初からこの世の他の存在であるが、対するこの猟奇大好き未亡人も鼻持ちならぬというか小ざかしさ全開というか……。もちろん、おそらく乱歩愛読者間では知られていると思われる「いも虫ごろごろ」のくだりも、あっけにとられながら、作者の幼児性が投影された天才殺人鬼の幼児性があっけらかんと描かれる、この場面に納得させられるのであった。今回再読して印象に残ったのは、レヴィユーの女王が連れ込まれる、盲獣のアジトの、触覚芸術の快美を得ることのみを意図して作られた、その部屋のありさまだ。当時の前衛芸術などからインスパイアされてるのかも知れないが、この描写は、そのままサイケデリックの世界とかそういう現代的なアート世界に通じると思う。

時代劇映画の世界では戦後、盲目の居合斬りの達人、座頭市というヒーローが誕生したが、さまざまな殺人鬼が跳梁する乱歩の通俗長編世界の中で、この小説の主人公は、まるで触覚で空気をも察知して自由に動けるのかと言わんばかりに、いくらなんでもという域を超えての跳梁跋扈やりたい放題、怪人を超えて悪の超人の域に達しているので、あまりな所業の数々も、超人が普通に活動している物語の非現実的、超現実的なお話として読めるというところがある。最後の方で旅に出た盲獣の「鎌倉ハム大安売り」、そして漁村でのエピソードのあたりなど、私は鈴木清順タッチで映画化すれば似合うような気がする。ちなみに、年代順に収録した講談社の 1978年版全集 6巻は、この「ひどい変態作品」と幻想的名作短編「押絵と旅する男」、本格謎解き短編「何者」、怪人対明智小五郎の通俗長編『黄金仮面』が一冊になっているという、乱歩を表現するに特徴的な一冊となっている。

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