感想文:『鯉とガスパチョ』ヒカシュー

2015/07/04 『鯉とガスパチョ』ヒカシュー(MAKIGAMI RECORDS 2009.10.20)

2008年 4月発売のアルバム『生きること』に続く 2009年10月発売の 3曲入り CD(シングルCDってことになるのか)で、現在2015年で 10年を迎えている現メンバーでアヴァンギャルド色の強い『転々』、3曲入り『入念』とリリースし、ついで 2008年『生きること』でひとつの区切りとした感があるヒカシューの新たな展開を感じさせるものなのだが、いささかとりとめのないというか、つかみどころのない感じのある 3曲である。ただ、やはり音はすごくいい。

タイトル曲「鯉とガスパッチョ」、聴いているうちに思いついたのは、これは歌謡曲や洋楽でもあったが、いわゆる夏物(特に夏向けに作られた曲)だなということ。そして夏というとヒカシューには、それこそ『夏』というタイトルのアルバムさえあるのだ。セカンド・アルバムである『夏』が 1980年、それから 30年経とうという夏の光景を描いた曲で、夏物らしい間奏のギターも情熱的な音だ。夏に続いては秋の日の」と始まる「珍無類」で「でも いい人はぐらかさないで」というような、分ったような分らないような歌詞は繰り返し聴くとクセになる。ところで歌詞ブックレットを見て見ると、現メンバーの他に、以前の故・野本和浩、トルステン・ラッシュ、新井田耕造、吉森信といった名前が載っているので、その頃の録音も使われているようなのだが、この曲だろうか?と思っている。つかみどころのないような歌詞に対し、音はふと気づくと思いの他ハードだ。3曲目「グローバルシティの憂鬱」、前の 3曲入り CD、そして『生きること』には「デジタルなフランケン」という印象的な曲があったが、やはり ITでネットワークされた現代、という観点での曲、ノリの良さ、曲のキャッチーさでは 3曲中一番の曲だ。もともとテクノポップというジャンルに分類される位置づけで登場し、演奏録音機材がアナログからデジタルへ移り行く前夜であった当初からテクノロジーとの対峙を感じさせるグループだったヒカシューが、やはりそれから30年経とうという現在の変わらぬポジションを確認させるようなナンバーである。

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感想文:『ポール・モーリア ベスト20』

2015/06/25 『ポール・モーリア ベスト20』(Universal Music LLC 配信開始日 2015.6.13 Moraでダウンロード購入)

ベスト盤で、曲目だけ見ると満足の行くものなので、ためらわずに購入したのだが(現在Moraでポール・モーリアの作品を探すとアルバムが何枚か出てくるが、曲名が日本語表記されているのは、これだけ)、1曲目の「恋はみずいろ」冒頭を聞くと、私がなじんだものとアレンジが微妙に違うのが分った。ほんのちょっとした違いで、繰り返し聞いているとかえって気にならなくなるほどだが、各々の楽器のフレーズ、混ざり具合が少し違う。特に分りやすいのはイントロからメロディに入って 4小節目がすんだ区切りでドラムが入るところでオリジナルのものは「ドッドッ」と二拍なのだが、これはもっと細かく打っている。他の曲はアレンジ違いかどうか判断できないが、全体に音がとてもいいので、「恋はみずいろ」以外も古い時代のものは録音し直したものではないかと私は思うのだが……。理由は後述。

ポール・モーリアは 1970年代初頭、私がラジオで洋楽を聞き始めた頃に「恋はみずいろ」「黒ワシ」(1971年初夏の時点での新譜だったと思う)と聴いて、たいそう好きになり、それ以来好意を持っているイージー・リスニングの音楽家である。といっても、ロックとかいろいろ聴いてるあいまに聴くという形なので、アルバムは 1978年の春に買ったベスト盤『ベスト・アプローズ ポール・モーリア』の中から気に入った曲をカセットテープに録音したものをずっと聞いていて、アルバムはすぐに売ってしまっていた。そのアルバム、1枚物だったか 2枚組だったか思い出せないが、テープに入れている曲目は

A.
恋はみずいろ L'AMOUR EST BLUE (アンドレ・ポップ)
黒いワシ L'AIGLE NOIR "De die a Laurence" (バルバラ)
蒼いノクターン NOCTURNE (ポール・モーリア)
エーゲ海の真珠 PENELOPE (ジョルジュ・ブラッサンス)
恋のアランフェス ARANJUEZ d'apies l'adagio (ホアキン・ドロリーゴ、ギイ・ボンタンペリ)

B.
愛の願い LOVE ME, PLEASE LOVE ME (ミッシェル・ポルナレフ)
シバの女王 LA REINE DE SABA (ミッシェル・ローラン)
愛のおそれ J'AI PEUR (エンリコ・マシアス)
サウンド・オブ・サイレンス (ポール・サイモン)
シェルブールの雨傘 GENERIQUE DU film "LES PARPLUES DE CHERBOURG" (ミッシェル・ルブラン)
夜のメロディー LA NUIT (サルヴァトーレ・アダモ)
輝く星座 AQUARIUS (マクダー・モット)

 ……である。「涙のトッカータ」「オリーブの首飾り」といった代表曲がテープに入ってないのは、気に入ってないからではなく、レコードに入ってなかったからで、つまりそれだけ早い時代のベスト盤だったのだ。

CD時代に入ってから、CDのベスト盤を探したのだが(まだ 1980年代の話)、いくつか出てるベスト盤で、1枚でこれ、というのがなく、気に入った曲をすべて押さえようとしたら何枚組かのものになる、それで気軽に手出し出来ずにいた。今世紀に入る頃にベストと題されているものを 1枚買ったが、これは原題が “Best Of Paul Mauriat French Pops”、つまりポール・モーリアのベストはなく、フレンチ・ポップスのベスト盤ということなので、ポール・モーリアの曲として知られているものは「恋はみずいろ」、「黒いワシ」が入っているだけ、それでもこの二曲が気軽に聴けるならと思って買った。このたび「エーゲ海の真珠」が聴きたくなって(テープおよびそれを PCに取り込んだものはあったのだが)、このベスト盤をダウンロード購入したところ、「恋はみずいろ」のアレンジ違いに気づいたのだ。

そこで現在入手できるベスト盤CDを探して Amazonのレヴューを見てみた。その結果、大丈夫そう(「恋はみずいろ」が確実にオリジナル・ヴァージョンである)と思われるのは『ポール・モーリア全集 オリーヴの首飾り Original recording remastered』という 2008年のものがそれらしく思えた。最近では 2014年の『プレミアム・ツイン・ベスト ポール・モーリア 恋はみずいろ』というのがあったが、詳細は分らない。さらに調べると、ちょうどポール・モーリア生誕90周年記念のベスト盤が発売されたというニュースを見つけた。

「ポール・モーリア生誕90周年を記念したベスト盤が発売、日本初収録曲も」(RBBTODAY 2015年6月19日(金) 10時00分)
http://www.rbbtoday.com/article/2015/06/19/132432.html

その発売元を見てみた。株式会社燈音舎という聞いたことのない会社で、新聞によく通販のみの販売で CDのセットの広告が出てるが、ああいうものを売っている会社かなと思った。そのサイトは「音楽のある風景」というのだが、さらにサイトを見ると、どうやら BSで同タイトルの番組をやってて、そこで通販をやってるらしいのだ。ユニバーサルミュージックの通販部門を請け負っている形になっているらしい。ふだんそういう通販の類は利用しないのだが、その「ポール・モーリア生誕90周年を記念したベスト盤」の内容が、出来る限り良い状態のオリジナル・ヴァージョンを選んでリマスターしたとある。その宣伝文によると、完璧主義者のポール・モーリアは古い作品の CD化を許可せず、新たに録音したものが流通していたというのだ。なるほど、それでこの「恋はみずいろ」のアレンジ違いの件が分った(と思うのだが、確かなことは分らない)。ちなみに私の持っているフレンチ・ポップスのベストの CDの「恋はみずいろ」は私が良く聞いたオリジナルと思われるアレンジのものだった。5枚組というセットに収録される曲目には申し分なく、この機会にこれさえ持っていればいいと思われる内容の、そのセットを買うことに決めた。私がこの電子データをダウンロード購入したのが 6月19日で、その 5枚組セットのリリースは 18日だったという。

そういうわけで、ポール・モーリアのベスト盤の感想は 5枚組 “Paul Mauriat Best 100” に続く。

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感想文:『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ

2015/06/18 『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ(文芸春秋、文春文庫 2009.8.10 オリジナル単行本 2006年刊行)

岡山市にジュンク堂は無くなってしまったけど、ジュンク堂があったときに、そのズラーッと並んでる文庫棚の文春文庫のところにタイトルが目について、たまには新しい作家の本を読んでみるかと買ってみた。ページ数が薄かったのも気が楽だった。タイトルの魅いたところは、なんとなくハードボイルドっぽい、そして作者名が女性らしいので、なんかカッコいいなと感じたのだったが、読んでみると、表題作は単に若気の至りの痛い男女の離婚話、しかも作者は男性だった(角田光代、といっても名前しか知らないが、その人の夫なのだそう)。

冒頭、自動販売機のルートサービスにまわる男女の話というので、良さそうなシチュエーションだと思ったんだけど……。トラックでまわる女性の方の、離婚の先輩である水城さんは魅力的なキャラクターで、最後にまわった歌舞伎町の連れ込み旅館でシャワー浴びさせてくれるというので彼女が使うところが良かった。二人の働いている事業所がセクハラとかあってバイトが大変だというのがわざとらしい。いろいろある世の中で今まで以上にいろいろある21世紀の世界で、取るに足らない男女の離婚話、知るかよ、どーでもいい…って思わせちゃったらいかんわな。

ネット書店アマゾンのレビューを見たら、結構な数あって、評価は毀誉褒貶半々で結局真ん中くらいという。こういう話が身近というか、身につまされるというかで良かったって人もいるのだ。

で、これが文庫本 88ページで後2編短編がある。「貝から見る風景」と「安定期つれづれ」だが、なんと「安定期つれづれ」は文庫化で収録されたというから、薄い本だなと思ったが(ページ数約 180)、もとはもっと薄かったのだ。「貝から見る風景」は、オフィスで働いている女房をスーパーマーケットで待つライターの夫の話で、店への投書掲示板が話のネタになる。多少興味を引くが、まあそれほどでもなく、落ち着くところへ落ち着く。「安定期つれづれ」は、夫の家庭とうまく行ってなくて実家に帰ってきて出産する予定の不動産屋勤めの女とその父親で禁煙を始めた老人の話、「八月の路上に捨てる」同様、この二編にも、この世界の片隅の登場人物のささやかな心の成長というのか生きている心の変化というのか、そういうのがあるけど、まああんましどうでもいいです、という読後感だった。


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アイドルマスター 萩原雪歩 on キャラアニ.com

アイドルマスター 萩原雪歩 【2015年11月出荷予定分】
発売元 Phat!
予約期間 ~ 2015年7月6日

アイドルマスター 萩原雪歩 【2015年11月出荷予定分】
(C) BNEI/PROJECT iM@S

夏らしい。

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感想文:『カーテン』アガサ・クリスティ、中村能三訳

2015/06/08 『カーテン』アガサ・クリスティ、中村能三訳(早川書房、早川文庫 1982.10.31 原著、日本語訳単行本は1975年刊行)

調べたら今は新訳が出てるのか、知らなかった。ちょうど新訳の出る直前に、この文庫本を買ったことになるのだな。本の最後に中島河太郎の解説が載っていて、当たり前のように読んだけど、考えてみれば、これ、創元推理文庫じゃない、早川なのだ。創元推理文庫でずいぶん中島河太郎の解説読んだけど、早川文庫に書いてたこともあったんだ(まあ、この本が最後のポアロ物という特別なものだからだろうけど)。

今まであまり意識してなかったけど、そういえばポアロには「ポワロ」と「ポアロ」二つの日本語表記がある。この本では「ポアロ」なので「ポアロ」にしておこう。ポアロ探偵には、私は本格推理小説の天才型名探偵に感じる得体の知れなさを感じるときもあったけど、彼は天才型名探偵であるとともに、元ベルギー警察の署長でもあったのだな、元警察関係者らしい強い倫理観の持ち主でもあったのだということを思い出させてくれる最後の事件であった。そう、ポアロ最後の事件であるということは、副題にもつけられているし、この本が刊行後すぐに日本語訳が出たときも大きく宣伝されていた。解説に週刊誌にも連載されたとあるが、確か “週刊文春” じゃなかったかな?それで私ももちろん本の存在を知ってたのだが、その頃は当時創元推理文庫で読める本しか読んでなかった(早川がミステリの文庫を始める直前)、それから約40年でポアロ物の代表長編を読んできて、『葬儀を終えて』、『象は忘れない』と後期、晩年の作品まで読んだので、もう読んでもいいかな、という心境で読んだ。

当初は作者没後の刊行を意図していたという「最後の事件」だが、書かれたのは 1940年代だという。だけど、この作中で描かれるポアロは老齢で身体的な不安を抱え、車椅子に乗り、ジョージに代わる従者に面倒を見られている。そのポアロが居を定めたのが、イギリスにおいて最初に住み、語り手であるヘイスティングス大尉と知り合ったスタイルズ荘であった、ということなのだ。そのかつての事件は『スタイルズの怪事件』としてまとめられている。クリスティのミステリー処女作である。私がクリスティを初めて読んだのは、あかね書房のジュニア向け世界のミステリ全集で、『ABC殺人事件』と『大空の死(雲をつかむ死)』が収録された本だった。その頃までは、もっぱらジュニア向けのホームズ、ルパン物を読んでいたのだが、ホームズ物が好きだった私には、ポアロと行動をともにするヘイスティングス大尉が語り手であるというスタイルになじめた。そこで次には初めて創元推理文庫で『ポワロの事件簿』2を、『ホームズの冒険』と一緒に買って、大人物の本を読み始めたのだった。小学6年の春だった。『ポワロの事件簿』が 2なのは、本屋の棚に 1が無かったというだけの理由で、それから創元推理文庫のクリスティ作品はかなり読んだが、その頃『スタイルズの怪事件』がちょうどカタログに無く(古い本にはリストに載ってたのだが、それが絶版になっていた)、新たに刊行された『スタイルズの怪事件』を読んだのは、1980年頃と、少し遅かった。

そのスタイルズ荘が舞台で、しかもポアロから呼び寄せられたヘイスティングスが語り手となる。『スタイルズの怪事件』、そしてそれ以前に私が読んでいる『ABC殺人事件』、そして『ポワロの事件簿』の二冊はヘイスティングスが語り手なのだが、その後、ポアロ物のうち評価の高そうな長編ということで私が読んだ本で、ヘイスティングスが語り手のものはなかったので、まさに懐かしい再会であった。しかし、ヘイスティングスの目に痛々しく映る高齢のポアロの描写と並んで、ヘイスティングスの娘(しかも長女ではない)が成人して働いており、亡くなった妻のことを嘆いているヘイスティングスの心境も、この最後の事件を迎えるに至った時の経過を伝える。

クリスティを手始めに大人向けのl本格推理小説を読み始めた私だったが、本格長編の小説が案外に読むのが苦痛だ、クリスティの小説がその中で例外的に面白く読めるのだ、というのはそのうち私も気づいた。クリスティの小説では殺人の謎の解決とともに、登場人物たちの人生ドラマも快く結末を迎えるのだ。この本では、そのドラマにヘイスティングスの娘ジュディスが加わり、彼女の動向に対してヘイスティングスが気を揉むことがいつもの長編と違った味を加えている。そしてポアロがヘイスティングスを呼び寄せた理由は、すでにかなり以前に解決した5つの、納得行く愛憎の動機による殺人事件が実は、その背後に暗躍する同一人物がいる、本当の真犯人がいるというのだ。その人物が今度はこのスタイルズ荘の住人となっている、その人物を探して新たな事件をくいとめなければならないという。そのためにヘイスティングスの力を借りたいというのだ。どういうことなのだろう、よく分らないけど、とにかくこのスタイルズ荘で新たな悲劇が起こりそうなのである。前半、なかなか目立った事件は起こらないけど、これらの要因によって、なんとも漠然と不安と悲劇を予兆させる雰囲気のうちに物語が進んで行くのが、なんともいえない。そしてついに事件は起こり始める……。

真相を知って連想したのは乱歩の名づけたところのプロバビリティの犯罪である。あれとはまたちょっと違うけど、犯罪にならない犯罪であって、犯罪をめぐる謎の解決という乱歩の定義によると、やっぱりこれも本格推理の領域だが、探偵される対象としては限界の領域というか極北というか、そういうものなのだ。しかし、確かにそこに「悪」はある。


ポアロ最後の事件という悲劇……といって案外、すんなりと私が受け入れられたのは、ポアロがすでにかなりの老齢として描かれているからというところがあると思う。そして、しかし、ポアロらしく、まったく几帳面にケリをつけ、後始末をしているのだった。本当に終盤近くで、ポアロの後をついでヘイスティングスが真相解決を試みるが、やはりいつものように失敗しているのが悲しくも微笑ましい。最後には、後で思えば、これはないだろうという人物までが疑惑の対象になるのだった。そして、他の人物に関していえば、ヘイスティングスの娘ジュディスには事件の終わりと同時に新たな旅立ちがあった。私は刊行された頃は、作者自ら「最後の事件」をわざわざ書かなくてもいいのにという思いだったが、今ではこういうのもありかな、という気持ちである。


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感想文:『会話』1,2 ナラボン

2015/05/31 『会話』1,2 ナラボン(講談社、少年マガジンKC 1 2013.11.15, 2 2015.1.16、電子書籍版 eBookJapanよりダウンロード )

“少年マガジン” の兄弟誌である月刊誌 “マガジンSPECIAL” に連載されたギャグマンガ「会話」が単行本 2巻にまとまっている。 2巻というと分量が少ないようだが、毎回多くないページ数の連載で、ちょうど高校 1年から卒業までの 3年間を描き切れているのだ。ヒロインは、ちょっぴりドジな女の子チョコとクールな女の子もなかの二人、最近の流行りのようにギャグマンガといっても美少女を前面に出した、そんなに笑えないマンガ、いやそもそも絵は可愛いのに読む気にもならないマンガだろうか? 「会話」というタイトルもユニークだが、いかにも女の子のたわいない会話のマンガだろうか……まず私にとってはギャグマンガに合った、適度にシンプルならがも可愛い女の子二人に魅かれて読んでみると…1,2話目ではまだわからないけど 3話(覚えてないけど、たぶん連載開始時は 1,2話同時掲載で 2回目が 3話……じゃなかった?)で、さっそくぶっとんだ展開になって、シリーズ全体を一言でいうと、痛快ほら話的展開が随所にある、真正面からギャグやっているマンガであった。もちろん、そういうの私は大好きである。他の雑誌はほとんど知らないけど、“マガジンSPECIAL” ってしっかりギャグマンガを載せてる雑誌だったのだが、このマンガもそうだったのだ。

『会話』 (1)   『会話』 (2)

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感想文:『ないしょのつぼみ』7 やぶうち優

2015/05/30 『ないしょのつぼみ』7 やぶうち優(小学館、ちゃおフラワーコミックス 2011.5.3)

最初に、直接この本には関係ないけど、最近年齢のせいか漫画本がなかなか読めなくなって、愛読している女性作家である赤石路代、やぶうち優の本も何冊も積んである。この『ないしょのつぼみ』7は、2年前に最初の方だけ読んで、止まっていた。

そもそもの作風に加えて、掲載雑誌が学年誌であるということも影響してか、淡々とした、この「ないしょのつぼみ」シリーズであるが、この 7は、今までに較べて一層薄いというかシンプルというか……。1年かけて解決されるお話の流れは、ヒロインつぼみが出会った男の子は幽霊?なのだが、魂が体を抜けたときに記憶が失われている。彼の過去を取り戻そうとする、つぼみ、そして交流してゆくうちに、だんだんと淡い想いを抱くようになっている。果たして記憶は取り戻せるのか、つぼみとの関係はどうなるのか……シリーズの今までだと、そのメインのストーリー展開とともに各回いろいろと事件が起こり、その事件のいくつかは「性教育まんが」としての内容に相応しいものであった。今回、「性教育まんが」的なところは、つぼみがはじめての生理を気にして母から整理用ショーツを与えられるところ、走ると乳首がこすれて気になり、ブラジャーを父母(父は産婦人科医である)から与えられるシーン、後はプールで友だちのスタイルを気にするところくらいか、あるにはあるがとても簡単に済ませている。女の子の友だちはいつも通り二人いるが、友達の出番も少ない(夏に起きるちょっとやばい事件もない)。両親の存在感が薄いこのシリーズであるが、いつにも増して薄い(ところで、最初、父は納骨に行ってなかったらしいのだが、仕事?)。

単行本に関しては「性教育まんが」的側面は巻末に収録されている第1期の番外編二編が肩代わりしてると言える。ところでひさびさにその第1期の絵を見ると、同じようでも約 6年経つと変わるものだねえ。

メインのストーリーに関してはクライマックスで十分盛り上がってスマートにエンディングを迎えるので、それは良い(そこで登場する幽霊?昴の母もやっぱり出番少ないねえ)。アストロツインという言葉を覚えておこう。

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乱歩再読メモ 『影男』

乱歩が戦後に書いた数少ない長編の一作、『影男』は、私は中学一年の冬、新潮文庫の短編集『江戸川乱歩傑作選』に続いて春陽文庫で『黄金仮面』、『化人幻戯』と読み進め、その次に読んだ長編だった。一緒に買ったのは『十字路・盲獣』、つまり戦後の長編を続けて読んだのだ。まだ乱歩の通俗長編の世界に慣れていない私には新鮮な体験であって、そのせいもあってこの長編はずっと気に入っている作品なのだが、このたび再読しても、やっぱり面白かった。

戦中に西洋のミステリーの動向に新たな興味を抱くとともに戦後、エログロな作風を反省した乱歩は自らの創作よりも探偵小説普及の活動に重きを置いていた。しかし、一部で勘違いされているように戦後の乱歩に見るべき創作がなかったのではなく、しばらくは少年物と短編いくつかを求めに応じて書いていただけだが、1954年、還暦を機に創作に力を入れることを宣言、さっそく『化人幻戯』と『影男』の二長編を連載、完成させたのだった。先に再読感想を書いた『化人幻戯』は乱歩待望の本格長編として評価されたが、一方の『影男』は懐かしい乱歩の通俗長編世界を戦後の東京に展開させたものであった。乱歩の長編評、大内茂男「華麗なユートピア」で、堂々とした本格長編と通俗長編を同時に書き進める乱歩という作家の特異性に感じ入っている。乱歩自身、こちらの『影男』が自分の本来の持ち味だが、戦前より一風気の抜けたものであるという評価を下している。しかし、決してそう捨てたものではないと私は思う。

影男という二十面相のアダルト版とでもいうべきキャラクターを創り上げて展開させる物語はいくつかのエピソードの連なりであるという点で、他の通俗長編とは構成を単純に比較できない。またですかというように繰り返される乱歩の嗜好趣味なのだが、新たな海外ミステリーを読んだ影響か、戦後という新たな時代の空気か、戦前のものとはまた微妙に異なった感触がある。そして繰り返される乱歩趣味は一層近代的に突き詰められて興味深い(そのまま次世代のスパイ映画とかアクション物、テレビ特撮物につながる世界か?)。そういえば影男と殺人請負会社のボスが、意外な場所として遊園地の観覧車や東京湾のボートの上で会ったりとか、そういう場面なんかも新鮮だった。

「アル中の人外」、「人外」という言葉を私はこの小説で初めて知ったのだが、戦地から帰って酒びたりの日々を送る、自らを「アル中の人外」と吐き捨てる父親を持ち、継母からこき使われている、かわいそうないたいけな少女が、巻頭、ホテルでの成金紳士のSM趣味光景に続いて登場する。果たしてこの少女はどうなるのか、このエピソードだけで、もうつかみはOK、軍国主義とともにエログロナンセンスの悪夢を捨て去ったはずの?戦後東京に展開する乱歩の怖ろしくも痛快な夢世界に魅せられてゆくのである。


影男 創元推理文庫版 eBookJapan


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(再掲)感想文:『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/05/05『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』原田実(星海社、星海社新書 2014.8.25)

2年前に同じ著者の同じ星海社新書の『オカルト「超」入門』を非常に面白く読んだのであるが、この『江戸しぐさの正体』も内容の一部はオカルトとしての「江戸しぐさ」を語る本であった。そもそも「江戸しぐさ」とは何か。著者が最初に「江戸しぐさ」という単語を知ったのは、冒頭に書かれているのだが、地下鉄の駅の公共広告機構のマナー啓発ポスターであったという。〈調べたところ CMのために創作されたコピーではないこと〉が分ったとあるので、最初はCMのためのコピーだろう、くらいに思ったのだろう。多くの人がそう思うはずだ。だって、私にしろ人生50年以上生きてきて、「江戸しぐさ」なんて最近まで聞いたことなかった。この本を手に取るまで、せいぜい二、三度どっかで見たか聞いたかしたかなあ程度だ。2000年前後だったか、「和のなんとか」というようなのが、ちょっと流行った。雑誌とか本とかで和の小物を紹介するようなの。そう、今ネット検索してみたが、「しばわんこの和のこころ」とか。私は、この本を昨年秋に書店の店頭で立ち読みするまで、「江戸しぐさ」も似たようなものだろう、そういうのって広告代理店とかそういうのが考えついて流行らせてるんだろう、くらいに思っていたのだが、この本をざっと読んで、それが違うのが分った。

「江戸しぐさ」は単に、マナーとか道徳を押し付けがましく説いていて説教臭いだけというものではなく、あきらかに、いわゆる「トンデモ」説であった。失笑するくらいでは済まない奇っ怪さがある。ある程度の知性をともなって主張されているだけに、愚かな迷信よりさらにおぞましい偽歴史創作のありさまが本書で指摘されている。「江戸しぐさ」というものがあると主張して、それに基づいて現代人のマナーを叱ることを始めたのは、1980年代当時すでに 60歳代であった芝三光(あきら)であり、同年代で市場調査会社の社長などを経た後、アメリカ公民権運動を取材したルポで賞を得ている越川礼子が彼に弟子入りして発展させ、日本経済新聞社の桐山勝が広める手助けをした。「江戸しぐさ」を正当化するために「江戸っ子狩り」などという妄想ストーリーを考え出したのは越川礼子だという。

「江戸しぐさ」に関わるトンデモの最たるものが、その「江戸っ子狩り」であろうが、その他こまごまとした、各しぐさにまつわるおかしさ(変な話であること)、史実と乖離している様は本書の第二章「検証江戸しぐさ パラレルワールドの中の「江戸」」で子細に述べられている。江戸にスープがあったとか、チョコレートが入ったパンがあったとかいう話は一体何であろうか。「江戸しぐさ」は企業のマナー研修とかに使われ、一方では教育材料として用いられ、ついには安倍政権下で道徳教育に取り入れている。そこまで行くまでに止められなかったのだろうか。この本では第五章「オカルトとしての「江戸しぐさ」」で、専門家の責任などに触れつつ、江戸しぐさがいかに浸透したかを語っている。私が思うに、ある程度の教育を受け、あるいは物が考えられれば、著者が第二章であげているような話を読めば、ちょっと待て、ということになるだろう。第二章で取り上げている江戸しぐさの各実例は『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』という越川礼子が 2001年に講談社から出した本から主に採り上げられている。企業の偉いさんたちとか教育関係者の偉いさんたちは、江戸しぐさというマナー教育の教材があります、ああそう、いいじゃないかとろくにそういう江戸しぐさ入門書などに目も通してないのかも知れない。一方で、あの「水からの伝言」同様、おかしい話と思いつつも、教育やマナー啓発の材料となれば構わないという誤った実利主義の考え方をしている向きもいるのだろう。

その「水からの伝言」といえば、この本によると TOSSという教員の教育指導研究の団体が「水からの伝言」やら、この「江戸しぐさ」やらその他怪しげな「お話」を教育材料として採用することを推進しているのだという。今さらと言われるかも知れないが、「水からの伝言」が話題になったときは、私はそこまで関心が無かったのだ。だが、今回この本を通して、あらためて、ゆゆしき問題であることを感じ入った次第である。

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(再掲)感想文:『カッパ・ブックスの時代』新海均

web「「すわてのメモ」ページ」閉鎖予定につき、今まで書いていた感想文をこのブログに書いてゆくことにしたので、その手始めに今年になって書いた感想文を再掲載します。

2015/04/12『カッパ・ブックスの時代』新海均(河出書房新社、河出ブックス 2013.7.30)

図書館で借りて読んでいる。書店で見かけて前から読みたかったのだ。1970年代に 10代だった私にとって、まず出会った大人の本の一つがカッパ・ブックスのシリーズだった。カッパ・ブックスをはじめとする、×××ブックスは当時の本屋の主役の一人といっていいだろう。しかし、今や、なんということか、ある年齢層より下の人たちに向けては、カッパ・ブックスとはどういうものかをまず説明しないとならないのだ。そしてこの本を読んでいて、はたと気づいたのは、この『カッパ・ブックスの時代』そのものが「河出ブックス」というシリーズの一冊として出てるわけだけど、この「河出ブックス」という新書よりもっと大きなサイズ、B6だっけ、このサイズのシリーズは他社からは××双書とかそういうタイトルのシリーズで出ているものであって、たまたま河出書房新社は「ブックス」という名前にしているが、「カッパ・ブックス」をはじめとする「××ブックス」について語るときの「ブックス」というのは、この「河出ブックス」とは直接関係無くて、×××ブックスは、まずサイズが新書なのである。大きく分類すると、今やもうやたらめったらと各出版社から出ている「新書」のジャンルに入るわけなのだが、それでいて、今ある新書、そして最初はカッパ・ブックス以前に戦前に岩波書店から刊行が始まった「岩波新書」などとは一線を画する存在なのだ。カッパ・ブックスは明確に岩波書店のインテリ向け教養主義に対抗するものとして、より現代的でより大衆的なものを目指して創刊されている。高度成長時代に入り、新たな読者層、ホワイトカラーである新中間層が生れた時代、その試みは見事に成功した。カッパ・ブックスを成功に導いた一番の主役が著名な編集者、神吉晴夫である。

この本は、兵庫県の、中学に進学するものなど珍しいという山村で生れた神吉晴夫の生い立ちから始まって、講談社でキャリアを積んで、すでに中年になった彼が戦後に光文社の重役となってベストセラーを生み、そしてついにカッパ・ブックスを刊行、有能な編集者たちと多くのベストセラーを打ち出して快進撃( 1961年と 1967年にはベストセラー10位内 5冊をカッパの本が占めたという)、日本の教養の質を変えた(と言ったのは会田雄次だっけ?)、そのありさまが前半で描かれている。その舞台、光文社であるが、この本によると講談社が戦争中、若者を戦場に駆り立てるような戦意高揚雑誌を刊行していたりしたため、GHQ支配下で出版活動が制限されることが見込まれ、対策として別の出版社、光文社を作ったという。そして皮肉なことに戦争協力によって陸軍より優先的に配給されていた豊富な用紙によって、光文社が戦後の物資不足の中、民主主義を賛美する雑誌で活動を開始することが出来たという。入社時から切れ者であり、戦前は広報、新聞拡販などに携わった神吉晴夫は光文社で次々とヒットを生み出すわけだが、今ちょうど江戸川乱歩全集の少年物を読んでいたら、戦前講談社から出ていた乱歩の少年物を光文社から出版したいと求めてきたのは神吉晴夫だった。「神吉君が」と乱歩が書いている。ついで光文社の雑誌“少年”の編集者に乱歩の少年物連載を勧めて、ここに戦前に続いて戦後も数々の少年物が書かれることとなったのだという。

私の小学校時代、1960年代後半はまさにカッパ・ブックス快進撃の時代で、高学年になって本屋で手に取るようになる前に、新聞の大きな広告でその存在を印象づけられていた。カッパ・ノベルスの松本清張も広告のリアルな肖像イラストでおなじみになっていた。反面、当時ジュニア向けホームズ物など読んで推理小説好きを自認していたが、ミステリとして宣伝されるカッパ・ノベルスの清張作品は一見興味を引きそうな、でも子供の読むものではない、子供が読んでも面白くもなさそうなものという印象が強かった。しかし、カッパ・ノベルスの松本清張は読まなかったが(祖母が分厚い『黒い画集』を買ってきたのを、ちょっと見てみたりしていたが)、大人向けの本はまず創元推理文庫のクリスティ、ドイルから読み始め、次に手に取った大人向けの本がカッパ・ブックス……ではなかった。近所の本屋に、やはり×××ブックスが並んでいた。サイズは新書と同じだが、×××ブックスが新書と違うところにデザインがカラフルで表紙もそれぞれ工夫をこらしたものであり、そのカラフルで興味を引くような本が新書と同じ棚でなく、もっと前の方の雑誌が平積みで置かれている台の上の棚にズラリと並んでいた。新書、文庫と同じではなく、雑誌と近い目立つ場所に置かれている、というのはもっと大きな本屋でもそうだったから、全国的にそうだったのではないか。内容だけでなく、こうした外見や扱いも新書とは違うという印象を与えていた。そういう×××ブックスで私が最初に買ったのはワニのベストセラーズの浅野八郎『人間テスト』という本だった。カッパ・ブックスからは手相の本を出している浅野八郎がアメリカの雑誌に載っている娯楽としての心理テストを紹介した、少々エロチックな部分もある本だった。次に買ったのがカッパ・ブックス『頭の体操』第2集で、次が『西洋占星術』だった。以後、中学を卒業するくらいまでの 4年近くカッパ・ブックスはよく買った(書名を挙げると加藤周一の『読書術』―『頭の体操』以前の初期のカッパ・ブックスでは、内容は易しいのだけど、ちゃんと文章を読まなければならない本が普通だった、これもタイトルはハウツー物ぽいが、普通のエッセー。多湖輝の『頭の体操』以前の『読心術』、4巻まで出ていた『頭の体操』、『英語に強くなる本』―100万部売れたこの本も、しっかり読むところのある本で真鍋博の挿絵が印象的、同じ著者の『英単語記憶術』、『英熟語記憶術』、『もうちょっとで英語は話せる』、南博の『初歩・心理学』、南博訳編の『記憶術』、波多野完治の『心理学入門』(これはなかなか読み応えのある本)、木々高太郎こと林髞の『頭のよくなる本』―これなんかもハウツー物ながらちゃんと読まなければならない本、こういったところ)。

カッパの本のベストセラー本やその他のカッパの本はその後も折りに触れ買うことがあり、親しみ深いものがあった。だからカッパ・ブックスの中でも快進撃を続けた 1960年代の数々のベストセラーがこうして生れたという過程がヴィヴィッドに書かれた個所は読んでてエキサイティングである。ところがその後、1969年だったかな、大いにはめをはずした忘年会の話があったと思ったら次に話は光文社争議に突入、イッキに盛り下がるというか、いっきに暗い影が覆う。今までにないアイディアと精神で快進撃を続ける編集部のありさまを読んで―しかも彼らが作った本は私も何冊も実際に自分で読んで、その出来栄えは分っている―ハイになっていたら冷や水をかけられる。光文社社員の組合が会社上層部の意のままに動く御用組合と闘争を続ける第二組合とに分裂、会社側は第二組合を押さえ込むために、暴力に慣れたような連中を管理職として雇う。窓ガラスが割れ、破片が床に飛び散っている。数年に及ぶ闘争の中、暴力沙汰が頻繁に起こり、本書の記述によると組合員の中には膵臓破裂の重傷を負った人もいるという。その後、どうなったのだろう。

高度経済成長下の日本、労使のぶつかりあいはいずこでもあり、こうした暴力的な事態に陥った会社というのも珍しくはないだろう。当時は 60年安保、70年安保の反対運動が盛んに行われた時代であり、労働者たちも元気があったのだ。しかし、その舞台が大ベストセラーを生み出し続けている出版社というのでは注目されるのも当然だろう。この本によると組合支援には有名な作家や芸能人たちが名乗り出ている。光文社争議というのがある、というのは当時十代の私のもとまで伝わっていた。神吉晴夫が有能な編集者だが、それで光文社を辞めたということまで知っていたのだ。どのようにして知ったか分らない。まだ“噂の真相”などない時代である(あっても十代の私は読んでないだろう)、私が読んでる作家か誰かが私の読んだ何かで書いたりしていたのだろう(ちなみに私は北杜夫の本を当時から愛読しているが、ベストセラーとなった出世作『どくとるマンボウ航海記』は航海の後、最初、神吉晴夫が訪ねて来て本を書くことの打診があったとエッセーに書いている)。注意してみると、確かに最初はカッパの本の最後にある創刊のことば(例の、へのかっぱというあれ)のところとか、奥付に神吉晴夫の名前があったのが、いつの間にか無くなっていたような……。ただし私はそれはもう過去のことだろうと思っていた。神吉晴夫は争議の初期に退陣しているのだが、この本を読んで、その争議がまさに私がカッパの本を次々と読んでいた 1970年代前半に継続していたことを知った。そして争議の最中にも『日本沈没』など新たなベストセラーが何冊も生れている。ちなみに著者は争議終了直前の 1975年入社で入社してすぐカッパ・ブックスを担当して、2000年過ぎてカッパ・ブックスが終焉するときにまた担当したという。

次々とベストセラーを生み続ける有能な編集者たちのドラマ、重苦しい労働争議のドラマ、それらがちょうど入れ替わるように続くから不思議な違和感があるが、どちらも同じ出版社を舞台とした物語であり、当事者たちの真実である。ちょっと語る対象の捉え方を変えてみると、どちらかの物語になる。有能な編集者たちがいないと次々とヒットは生み出せないが、しかし彼らだけで動いている会社ではないのだ。

ところで、そのカッパ・ブックス以外の×××ブックス、光文社の編集者たちが争議の時期に移籍してカッパのノウハウを広め、編集の才を発揮したものもある(青春出版社、祥伝社、ごま書房)ということをこの本で初めて知った。××ブックス以外の分野でも活躍したという。また、かんき出版という出版社の名前は聞いたことがあるけど、これは晩年の神吉晴夫が設立を準備していた出版社だと初めて知った。

闘争の終了後、平穏に戻った光文社での1980年代のあらたな展開、カッパの本に関して言えば新シリーズ、カッパ・サイエンスの登場があった。女性向けファッション雑誌“JJ”が売れ、最初の部分はカッパ・ノベルスから出ていた(私もリストに載っていたのを覚えている)『神聖喜劇』が全6巻で刊行、光文社文庫創刊、“週刊宝石”創刊と出版社の活動が続き、時代が変ってゆく。いつしかカッパの本が時代遅れになったのだろうか。正規のシリーズとしては 23集まで出ていた『頭の体操』だが、私は新しい集が出るたびに買っていて、23集まで持っている。ひさびさに 2000年頃に出た 23集を取り出して(最後の集ということで大事に読んでいて、じっくり問題を解こうと思ってまだ最後まで読んでないのだ)巻末の刊行リストや、はさまれている広告など見ても、カッパの本は変らず健在であるようなのだが……。本屋ですぐ見つかるはずのカッパ・ブックスがなかなか見当たらなくなってきていたことには気づいていた。光文社新書が出ていたし、カッパ・ブックスの受け皿のような知恵の森文庫も登場していた。この本によると社長になった“JJ”をヒットさせた編集者がカッパのマークがきらいだったという。そのことが象徴的なように、時代と社の空気がカッパ・ブックスを存在させなくした。会社内だけの問題でもないと思うが、こういう場合、出版社が大きくなるというもの考えものだなあと感じる。

ともあれカッパ・ブックスが本屋で見られなくなった時代というのはカッパ・ブックスだけでなく、その他××ブックスというスタイルの本がこぞって消えてしまった。そしてもうとにかくやたらいろんな出版社から新書のシリーズが出ている。それらの新書を本屋で見てみると、これは世が世なら到底新書では出なくて、×××ブックスから出ているだろうと思われるようなものが見られる。より大衆向け、より柔らかい内容、よりイージーな、そんな風なもの。新書の一部は完全にかつての××ブックスを代用していると思う。しかし、カッパ・ブックスを代表とする×××ブックスに較べて、経費節約になるのだろうが、ほとんどすべて同じ装丁の、表紙絵、挿絵もほとんどない新書がズラッと並んでいるのは味気ない。1970年代当時、カッパの本を初めとした×××ブックスを本屋で見たり、買って帰ったときの面白がらされるワクワク感、ヴィジュアル的な魅力が懐かしい。私が当時大人の本を読み始めた、好奇心にあふれた思春期だったことと、カッパの本をはじめとした×××ブックスのいい時代が幸福に重なっていたのであった。さて、現在のズラーッとある新書の中に星海社新書という聞いたことない出版社の新書があって、その中の『オカルト「超」入門』という本を買って読んだのだけど、この本によると 1978年生まれで(私より約 20歳下)光文社をリストラされた後、星海社に移って活動を続けている編集者は最も尊敬する編集者が神吉晴夫なのだそうだ。こういう人も現在いるのである。どの出版社でもいい、電子書籍でも紙の本でもいいけど、カッパ・ブックスのワクワク感を21世紀の現在に感じさせてくれたらなあ。

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